留学生たちとパリ Intellect (70)
MASAの周りには、実に多くの国々からの留学生がいた。
どうしてパリに留学したのだろうか?
MASA: 多くの学生が言うのは
■パリの歴史は深いから
■パリの文化の重み
というものに対する高い好奇心を感じた・・・という意見でしたね。
ニューヨークなどアメリカの大都市を
考えた留学生もいたという。
しかし、「200年の歴史しかない」アメリカと
パリとを比べると、
パリは数千年の歴史がある。
その上に多くの国と
国境を接していることが魅力的だったという。
MASA: さらに欧州は「戦場」としての経験もあります。
太古より近代までパリ自身も戦場の中心であり、
そして復興を繰り返しています。
彼らがアメリカ以上の興味を持った理由がここに
あったそうです。
アフリカや中東を祖国に持つ留学生も多かった。
欧州は言葉や文化の異なる周辺国と、
古来よりいくさの歴史があった。
その中で文化を育み、
時としてわだかまりをも寛容に解いていった。
MASA: アフリカや中東で 「今まさに戦場!」と化している
彼らの祖国の【あるべき未来の姿】が
欧州であったのかもしれませんね。。。
その後、僕は彼らの祖国を廻る度に
彼らが話していたことを痛感する事となります。
第一次、二次大戦から 未だ100年すら経っていない。
しかし、フランスとドイツは、現在では調和を見せている。
そこには宗教的な対立がある中東とは多少異なるが、
紛争の歴史、犠牲者の数共に、
比べ物にはならない深さと
犠牲があったのだとMASAは言う。
MASA: フランスには、植民地を多く抱えた
支配国としての歴史もあります。
スタッフのうち数名は、
元フランスの植民地国から来ていました。
そんな彼らの歴史観は、
僕のような日本人にはわからないものでした。
支配された経験、
そしてそれを恥とする国家的レベルでの羞恥心。
自分たちの世代で、その過去の辱めを是正してみせる!
と 夢見る野心。
そういう彼らの持つエネルギーこそが
僕の内面に 大きなエネルギーを与えました。
MASAは、だいたいは、日本語でスタッフと話していた。
しかし、彼らと話す事により、必然的に
英語やフランス語、スペイン語、ドイツ語、
アラビア語で話すこともあったという。
ところでアジア系はいなかったのだろうか?
MASA: 残念ながら アジア系は採用しませんでした。
どうにも エンターテイメント性が足りないんです。(苦笑)
ビジネス上で必須となる人の魅力の一つに
この「エンターテイメント性」は必死です。
そしてアジア系はここが概して足りない。。。
インドは、アジアの一部であるが、
一般にはアジア系と言う時に
インド人は入れない人が多い。
MASAのスタッフにはインド人は、いたという。
MASA: インド人のスタッフは一人いて、
おもしろい奴でした。
女好きで、事実、モテていました。
話のロジックが巧みで、
いつも誰かが、
そのインド人と話したがっていました。
留学生の多くは、母国に戻り、
貢献する未来を夢見ていたという。
そんな彼らの愛国心は、非常に深く、
見習うべきものが多かった。
MASA: 今でも連絡をとっているスタッフもいます。
自国で公務員になり、当時の夢の通り、
自国の改革を進めている者が多いです。
そして「ビジネスはおまえに教えてもらった!」 と
言ってくれます。(笑)