”縄文の人たちはいつも幸せだったんですよね?” ーーコントロールやジャッジをしない充足 | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

「じょうもん」ーーなぜか今ブームです。展覧会が終わる寸前に、私も江戸東京博物館に行きました。

 勇ましい埴輪ではなくて、ぼーっとした土偶を見たかったのです。

 

 縄文の遺跡からは武器が見つかっていない、ということで、弥生時代以降とは違う精神文明が長く続いていたようです。

 火炎土器のすばらしさはもちろんあります。が、定住稲作文化の「弥生」時代以降のマーシャルアート(武器や闘いのわざや戦闘ハウツー)がない......。

 

 したがって埴輪の武人や軍馬のようなフィギュアもなく、

 女性らしい優しい「練り物ぽい造形」がたくさん展示してありました。

 ↓写真禁止の分は、おみやげになっています。(なんか往年の特撮映画✨の怪人のようにほっこりと温かい感じ)

 ミナミ=アシュタールさんを中心に、「じょうもん」文化の啓明性があちこちでとりあげられ、こんな本も出ています。

 で、縄文人のメンタルはどんなだったのか、ミナミさんが宇宙存在アシュタールに聞いた話がこれ。

 

幸せというのは状態です。

条件ではありません。


あなた達の幸せは概ね物質的に恵まれている、人間関係

(パートナー、友達、親子など)が良好だということですね。

それは条件ですね。

あなた達は、お金があれば幸せ、大きな家に住んでいれば幸せ

大好きな人と一緒にいられれば幸せ、旅行に自由に行ければ

幸せ・・というように何かが出来れば幸せだと表現します。


でも、じょうもんの人たちは条件で考えることが無かったのです。

たとえば、人を好きになったとして、あなた達はその人が自分も

好きになってくれる(相思相愛)な状態が幸せであり、その人と

相思相愛になれなければ不幸せ、かわいそうな私という考えが

ありますが、じょうもんの人たちは相思相愛にこだわらないのです。

自分がその人を好きだと思う気持ちだけで十分満たされたのです。」



「じょうもんの人たちには所有という概念がなかったので

もちろん物質的にも人より多く持っていることに幸せを感じる

ということもありませんでした。

怒りという感情もありましたが、何かを取られた、裏切られた、

傷つけられた、ということもありませんでしたのでほとんど

感じることがなかったということです。

 

そして、そもそも二元的な概念、善悪、良し悪し、対極の世界という概念が無かったのです。

すべてがOKの考えでしたので(もちろんイヤなことをすべて受け入れたということではありません、イヤなことはイヤだとはっきりと伝えていました)善悪などで判断することはなかったのです。

善悪の判断は宗教で後にあなた達の支配者に刷り込まれたものであるということはお伝えしたいと思います。

神の言葉(支配している宇宙人の言葉)をもとにしてつくられた判断の基準です。

常識、倫理観、道徳観なども同じです。

いまのあなた達はそれを判断基準として、判断することを刷り込まれてしまっているのです。


(中略)
ですから、(じょうもんの人たちは)幸せだぁ~と思うこともなければ、不幸せだぁ~と

思うこともなかったのです。

難しいですか?


幸せが良い事で、不幸せが悪い事だという判断が無かったのです。

何が幸せで、何が不幸せだという判断が無かったのです。

常に自分でいることだけでした。


何かが起きたらそれもOKなのです。

身体を脱ぐ事にも抵抗はしません。

身体を脱ぐことは特別な事、怖い事、悪い事、忌む事では

無かったのです。
........................(中略)

常にニュートラルな状態だと表現すればわかりやすいでしょうか?

だから、常に満たされていたのです。」

 

🌟二元論・二極対立の価値観の中で、考えがちなわれわれからすると、このおだやかな中道の生き方は、高僧のような、童子のような、あるいは動物のような感じかもしれません。でも、「常に満たされていた」は、土偶や土器を眺めているだけで、じゅうぶんに伝わってきました。

 これを作っていたとき、どんなにこの人は自分に集中して、イキイキと、しっかりと、自分自身でいたんだろう。

 

 でもーー「絵」はなかったんですね、この時代。ラスコーの洞窟壁画みたいなものとか、エジプトのピラミッドの内部に描かれている神さまの絵とか。

 あれほど、ものすごいはばたくような土器を作っているのに、これは不思議。

 

🌟絵がなかった。ということは、昔の絵は「願望充足のヴィジョンボード(みんなで獲物を射止めているさまとか)」みたいなものが始まりだったから、そういう「不足感」「いまここにないものをほしがる気持ち」「切迫した希求感」は「じょうもん」人にはなかったのかも......

 

🌟博物館のカフェには期間限定のスイーツ「JOMON」が出ていました。

 ナッツ主体なおいしさでした。ひらひらしているのはチョコです。あー、土の世界の暖かさ。

 

「縄文」のひとたちは、狩猟採集民族でしたから、獣も仕留めて食べ、木の実やお芋や果実も食べていたけれど、畑作とか牧畜とか、つまりは動植物を「コントロールする文明」ではなかった......

 

🌟ちなみに上の文庫本の著者で、縄文大好きで雑誌を発行していた望月さんが、質疑応答部分「片付けられない高校生の悩み」に対して、

「それは定住しないで、ものはその場に残して、次々移動していった「旧石器時代」らしい生き方

 と評しています。(新石器時代は定住するので、所有物であるおうちを片付けざるを得ない)

 

 そして、鉢植えを枯らしてしまう、という悩みに対しては、「鉢植えとあなたは対等なのに、上から目線になっていませんか?」と諭しています。うーん、痛い。そして、縄文時代は「森の木々とかすべてのものがカミとして自分を見つめている意識」だったので、「いま以上に監視社会(笑)」。

 

 つくづく「コントロール」って自己尊厳感というよりも、自己不信感でもあるよ、と思いました。ここで肩の力が抜けるか抜けないかの分かれ目。

 

🌟あっ例の届かない「完全栄養パン」ですが、問い合わせを出した翌日に、出品者から丁寧なネットの返事が来て、「すぐに代替品とおわびのおまけもつけて発送します」とのこと。

 ハピザップは功を奏しました。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

✨『人造人間キカイダー』とか『怪傑ライオン丸』とか『電人ザボーガー』とか......です。↓カイメングリーン