↑世界はスノードームの中・自分作・演出
きのうの「受け入れます」から、バトンタッチされたような感じの記事です。
ちょっと大きな風穴をあけてくれました。
[ダメな自分をそうなんだーと受け入れる。認める。それでいいんだと手を放す……]
すると(以下引用)
————
自動アップデート オン!
みたいになる。
(夜中に自動アップデートされます、
ってやつ)
それが最近かなり加速している。
自分が!を降参して
手放したら
自動的に
誰かがやりに来てくれる
————
世界を味方にするには、
自分が自分の味方になること♡
こんな単純なことなのだ!
————
(昨日の「万能感を受け入れる」のとよく似ています。自分が、自分が、と万能感できりっと行動していると、行き詰まります。さらにこの「万能感」を何とかしよう、としても、埋め込まれているアプリみたいで動かせない。このうえは、自力でなんとかしたい、でもできない、というときに「できない自分」「万能感のある自分」を受け入れてしまう)
————
無理させる上司や
無理させる旦那や
バカにする友だちが
いるわけじゃない。
あなたが
あなたをどう扱っているか♡
それだけ!←叱咤激励したり自分責めしたりせず、あせらず、もういい、とオッケーを出す
私はこれを知ってしまったので
わくわく!笑笑
自分に
もっと甘々で、
誰よりも味方でいてあげよう
と思います。
————
★自分の生き方の中での、いろいろな障害(万能感とか癖とか)に気づいたとき、それを遺伝子コードとか、あるいは別の手(「発作またぎ」とか「見る、聞く、感じる」とマインドフルネスに落とす)を使って、除去する、外す、オフにする、はぐらかす? という方向がひとつあります。これが従来の大嶋流。
しかし、それを除去するのではなく、「受け入れます」にしたとき、それは敵ではなくなり、共存して、突然楽になる、という大嶋ブログの新境地。
「受け入れます」「許します」がキーワード。
上のHappyhappyさんの記事のリブログでは、「降参」「ダメな自分でしかたないと認める」したとたんに、すべてが自分のために回りだした、とあります。
世界が「チームわたし」になってしまったように。
★これは絶対の「自己肯定」が世界を回しだす、という奇跡。
自己を改善して、何かを乗り越えて、よくやった自分を認める(査定・「よーやっとるよ」)のではなく、そのままで認めてしまう…………
そうすると、
「これでいいのだ」(例のバカボンパパ)
の楽な世界にいたってしまう……
えっと、もうちょっと自分でがんばれよーと自分に言いたくなるのは、まだ自力本願の「万能感」なんだなあと思います…………でもそれをすら、脱・査定して「受け入れる」と楽なのか……?
と、次なるこの課題に大いに引き込まれつつ。
でももともと「私=世界」なのだから、世界は「わたしのスノードーム劇団」
※それが、自分応援のストーリーのみを上演するようになった、というHappyhappyさんの境地。
※
☆ようやく春らしい気温になってきました。
昨日夕方はたまたまJR乗り換え駅の八幡神社に寄ってみたら、宮司さんふたりが門のところで何かのお清めの儀式を行い、関係者らしい十人ほどのおじさんが頭を下げている、というのに遭遇。五分くらいで終わったのですが、これもすごいシンクロかも。お詣りしてきました。