カゴの中
昨日仕事の合間にデパートに立ち寄って、何か買い物でもしようって意気込んでたのに、モノで溢れかえった売り場を見てたら急にげんなりしてきて、もういっそのこと何もいらない、という気分になってしまった。たくさんの商品がきれいに収まることでかえってなにも目立たなくなり、書き割りのようにテクスチャーマッピングされた風景になってしまっていた。本当に店主が売りたいと思っているモノだけ置いてある店にいって、他愛もない話をしながら、必要な分だけ分けてもらうことが、どれだけ楽しいことなのかをあらためて感じました。ちなみに、自分で買ったものは考えて買ったつもりなので、断捨離はきらいです。
見えない壁
最近、2つの見えない壁が見えるようになった。1つ目は大きな組織にいると守られているように感じてそのポジションで甘んじられるようになる壁。そして2つ目はその環境に馴染むために自己防衛本能で自分で作ったものだった。そのことに気づいたことで、両方が見えるようになった。1つ目はそこから出ればすぐ消える壁だったが、2つ目はやっかいな壁だった。コントロールもできるようになり、その壁自体も自らの一部だと思い込んでいたからだ。一度刷り込まれるとなかなか存在さえにも気づけなくなる。当たり前ということを疑うのは難しい。でも見えるようになった今、少しずつ解体していかなければならない。不安がいっぱいだが壁の向こうに新しい道が見えたことは良かったと思う。さあ、やらなくちゃ。
ペーター・ツムトア
ペーター・ツムトアさんの建築は、テルメ・ヴァルスに行ったことがきっかけで、聖ベネディクト礼拝堂や聖コロンバ教会などを旅するたびになるべく見に行くようになりました。ツムトアさんが建築したものは、新しく建ったものでも、どこか時代とかに流されない本質的な空間体験が待っています。この「建築を考える/ペーター・ツムトア」には、そんな建築をする人の考えてることが少しだけ垣間見える気がします。批判的な眼をもってこの世界を観察する部分と、自然や職人に対しての謙虚さの対比が興味深かったです。攻撃的で熱いものと静かで穏やかな部分を持つからこそ、ああいう建築を建てるのかと理解できました。それにしても葛西薫さんの装丁はすごい。アウラを纏っていました。
エンデの遺言

近所においしいパン屋さんができた。
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今度マーケットに出店するから来てねと誘われた。
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そのマーケットで個人で作っているシャツを買った。
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そのシャツのブランドをネットで調べた。
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そのオーナーが最近読んだ本がブログにのってた。
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「モモ」を書いた人がお金のことを書いてるのか、へ~。
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で、その「エンデの遺言 根源からお金を問うこと」を何で手に取ることになったんだっけ、とこの本を読むきっかけをさかのぼってみたら、この本の内容と似ていることに気づきました。エンデ自身も「パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、2つの異なる種類のお金であるという認識です。」という言葉を残してますが、まさにパン屋さんからのきっかけでした。しかしこの本を買ってからそうとう時間が経ってしまってから本を開くと、そこにはこんなことが書いてありました。「あなたが人生の岐路で悩んでいる時、ちょうどぴったりの瞬間に、ちょうどぴったりの本を手にとり、ちょうどぴったりの箇所をあけ、ちょうどぴったりの答えを見つけるならば、あなたはそれを偶然だと思いますか?」











