前回前々回前々々回の続きです。




「家族」となった家族には、

実は大事なことがあります。




それは、「戦争」です。




人の行いのなかで、

「戦争」というのは避けられません。




そのために動物たちは「群れ」を作ります。

つまりは「自分の家族」ですね。




私たちのほとんどは、

「家族」を守るためには、

とてつもない力が湧いてくるのです。




第二次世界大戦のとき、

多くの人たちが「お国のため!」といって亡くなっていった、

死ににいけたのは、

間違いなく、

「家族(ただし、核家族的なレベルの意味ではない)」のためだったのです。





いろいろな成功者の自伝でも、

多くの方が、

というか、ほぼほとんどの方が、

「家族」のためにふんばった!ために、成功できたと思えるほどです。




人は、

「自分の夢」のためには、なかなか頑張れません。

「自分の欲望」のためにも、なかなか頑張れません。

でも、「家族」や「他人」のためには、頑張れるのです。




そういった意味で、

人間とは、そもそも「トランスパーソナル(超個的=利他的)」な存在と言えると思います。




まあ、実際のところは、

前の記事でお伝えした通り、

「個」が「他」がいてはじめて存在し得るのですから、

「個」を守るために「他」を守る、

とも言えると思います。

「個」と「他」はそもそも切り離せない、同一のものなのですから。




ああ・・・またややこしい話になってきてしまいましたが、

そういう理由で、

「家族のような会社」にすると、

社員のモチベーションは上がるんです。




もちろん、ただ「家族のような会社」にすれば良い、

というわけではありません。

そのために、絶対に必要なことがあります。




それは・・・
前回前々回の続きです。




じゃあ、「内側」にアイデンティティーがないなら「外」に!

と思っても、もうとっくに「外」は崩壊。

ルールもなければ、信頼できる家族も友人もいない。




ほんの一時代前、

そんなことが「カッコ良い」とされた時代、ありました。

それで、全部壊しちゃったんですね。

一度壊したものは、なかなか元には戻らないのが、

悲しいかな自然の法則。




おっと、話がずいぶん脱線&長く&面白くなくなってしまったので、

話を戻すと、




まあ、そんなわけで、

ほとんどの人が、今「存在の不安定性」の中で生きているわけです。

「頼りになるのは『お金』だけ。」

ってのも、そんな流れですね。





で、そこに一石を投じられるものといえば、

やっと話が戻って「会社」となるわけです。




「仕事のための会社」

ではなく、

「自分の居場所としての会社」、

つまりは、

昔の古き良き日本の会社のような、

「社員を『家族』として考える会社」です。




僕は、この会社の形態を、

新しくしたカタチで復活させたいと思ってます。




ほどよく自由で

ほどよく拘束があり、

自分の居場所が与えられている、

そんな「場所」としての会社。




家族が会社と切り離されていない、

社員の家族が「会社の家族」でありえるための会社です。





つづく。












前回の続きです。




前回、人が幸せでいられるのに必要なのは「居場所」で、

それは「人間関係」のなかにある。

と書きました。




でも、これに加えて、必要なのは、

実は、戻って「場所」です。




まあ、これは当たり前っちゃあ、当たり前なのですが、

人というのは、肉体という「物質」があり、ある程度の空間を必要とします。




「居場所」というのは、本当は「精神的なもの」であり、

また様々な特定の人々が「織り成す」ところにできあがるものですが、

それを「投影」するための「空間」が必要なんです。




で、それが「会社」になる。




そもそも、

人のアイデンティティー、つまり「私」というのは、

人間関係と環境などの「外部」があってはじめて生み出されるものです。




ですから、友人や付き合う人が変われば、人の性格や思考はカンタンに変わります。

(変わらずにいられる人が、より力を持つ、というのはこの世界の構造です。)




逆にいってしまえば、

「ある人」から、人間関係や環境を奪ってしまえば、

その人のアイデンティティーは崩壊してしまうのです。




世界、そして日本では、

近年「個人主義」のために、

・・・というよりは、

「個人主義」という思想をベースとして、

要は人が個々でバラバラに生きている状態、が多く起こるようになりました。

つまり「外部」が昔と比べ、減ったり、またはつねに流動しやすくなった、ということです。




これにより、

人のアイデンティティーは、不安定なものになりました。




「自分探し」なんていうのは、その最たるモノで、

じゃあ、自分の内側に「アイデンティティー」を探してみよう、

という発想です。




でも、残念ながら、

内側を一生懸命探したけれど、

探せば探すほど「アイデンティティー」が見えなくなって、

ますます不安定になってしまった。

というのは、ことの顛末でした。




つづく・・・