ずっと前から、

なんですべてのいわゆる「先進国」は、不景気になるのだろう?

と考えていて、

ようやく答えがわかりました。




きっかけになったのはマンガの「島耕作」。

島耕作のマンガは、

その時代時代にいた人のリアルな考えが分かって非常に面白い。

とくに昔のシリーズを読むのが役立ちます。




で、島耕作を読んでいて、

「あ~、日本の大企業は、20年前から、ちっともなんで不景気なのかを理解していないんだなあ。」

と思ったわけ。




なぜ?

それは「人」というものをよく理解していないからでしょう。




先進国が不景気になるのは、

「すでにみんなが十分に満足するものを持ってしまった」からです。




ここまでは、なんとなくみんな思いつく辺りだと思います。

では、ここから解説していきましょう。




「すでにみんなが十分に満足するものを持ってしまった」時点で、

景気というのは急激に失速します。




というのは、

私たちのほとんどは、

もちろん私を含め、

「モノの価値」が分からないからです。




もちろん、すべての分野において分かる人がいます。

これを読んでいるあなたも、

あるモノについては、非常に「違いが分かる」かもしれません。




でも、よく考えて欲しいのは、

あなたの周辺にある99%のモノの価値の「違い」、

は認識デキないはずです。





まだ国の経済が発展していない頃、

いわゆる「発展途上国」みたいな状態のときには、

誰にでも分かる「品質の悪いもの」があります。

なので、そのモノの品質の「違い」は、誰にでもわかり、

人は、「もっと良いモノ」を求めるのです。





この時、景気は加速します。

「もっと良いものが欲しい」

「あんなものが欲しい」

この熱意こそが、経済の原動力であることは、間違いありません。





欲しいモノがあるから夢中で働く、

やってみたいコトがあるから夢中で勉強する。

勢いのある「途上国」において、

例外はありません。

そうですよね?




でも、そうやってたくさんの人が欲しいものを手に入れていくと、

「あるところ」で「満足」が起こります。




たとえば考えてみて欲しいのですが、

ユニクロの服、と、無名だけど上質の服、

を並べてみて、

「あ~、ここがこう上質なんだな~。これゼッタイほしいな~」

と思える人など、一握りしかいません。

「ユニクロの服で十分!」

多くの人がそう思っていると思いますし、実際こういう声をよく耳にします。




国全体で、ある程度の水準のものがどこでもつくれるようになってしまうと、

あとは「細かい違い」に注目した商品をつくるしか売れませんが、

それはほとんどの人には売れません。

つまり「欲しい」にはならない、ということです。




「細かい違い」に注目して、

「もっと良い製品を!」

と商品開発するのは、

言ってしまえば「オタク的ビジネスモデル」といえます。




こうなると、経済はどんどん縮小していくしかありません。

手元にあるものが壊れない限り、

特に「欲しい」と思うものがないのが、ほとんどの人だからです。

一部の「細かい違い」が分かる人だけが、「欲しい」と思う世界ですね。

あとは、たまたま「買い替え時」の人が、どうせなら、と違いに注目するくらいです。




つまり日本は、

完全にこの「オタク的ビジネスモデル」にハマっているのです。

だから経済は収縮します。




続きは明日・・・

え~、今日はざっくり?




自然にとって大概良くないのは「偏る」ことです。




アースフルに関係することを学んでいると、

よく自然療法にハマったり、

農業にハマったり、

科学を否定したり、

そんな「100%」な方に多く出会いますが、

100%の偏りは、基本キケンであります。




というのは、

「現状」にあるものは、ある時点では私達が求めたものであり、

つまり「必要」であるから存在しているわけです。




現時点では、あまりにそれが偏って批判の対象になるとしても、

それにはやはり大事な意味があるわけなので、

それを100%否定してはいけません。




自然療法系で西洋医学を100%否定する人はいますが、

西洋医学の良さ、というのはやはり非常にあって、

本当に自然療法を利用して多くの方を治している医師の方は、

僕が知っている限りでは間違いなく西洋医学も取り入れています。

緊急の時には西洋医学、

とりあえず体力がないときには西洋医学、

など、

やはりそれはそれで、他には変えられない価値があるものです。




もちろん、自然療法を100%否定するのもおかしな話で、

自然にはつねに「多様」なアプローチが求められ、

また価値があるものです。




大事なのは、「なにか1つで100%」にしてしまわない、ということです。

「八方美人」が、より自然に沿う生き方です。




しかし、面白いのは、

人間(の意識)にとってはまったく逆で、

「偏り」がある方が、社会的に成功したり、価値を見出されたりするものです。




「器用貧乏」という言葉などありますが、

なんでも出きる人、というのは、

案外何も成し遂げたりしないものだったりしますね。




目立った成功者を見ると、

育ちや心に「偏り」がある場合が多く見受けられます。




まあ、本当は、

「偏り」というのは、

人間にしか存在しない、

のですから、

当たり前といえば当たり前といえます。




本質的に自然なものにアプローチ(たとえば体とか環境とか)する場合には、

「偏らない」ように気をつけ、

人間にアプローチする場合には、

「偏る」ように意識していくと、

うまくいきやすいです。




「才能」や「特徴」と言われるものは、

基本的に「偏り」のことです。

キョーレツなことをすると、人の印象に残ります。

「いい人」になるとモテない、

「ヤな奴」が意外とモテる、

のもそんな理由ですね。

印象が強い方が一般的にはどうしても「勝ち」になってしまうのが人間の世界。




ビジネス的には、

当たり障りのない、

「良い商品・サービス」になるほど一般的には売れにくくなりますね、やっぱり。





しかし、偏るものがいっぱい増えていくと、

世界が「多様」になっていき、

100%が減っていく(=偏らなくなっていく)、

というのもまた、自然のダイナミクスといえます。




人は自然の一部ですが、

自然は人の一部ではありません。




人間の営みはすべて自然の営みの一部ですが、

人間が考えてやっている営みは自然ではないのです。

人間の考えて行う営みは人間だけの世界のためにしかなりません。




その違いを理解してみると、

いろいろとよくわかってきて面白いです。




僕はずっと前から、

どうも「計画をする」というのが苦手だった。




というのは、

「計画なんてしても、その通りにいくわけないじゃん!}

というものだ。




自然を知れば知る程、

未来というのは、

私たちが思ったようにはならないことが分かる。




でも、

計画を立てるのは、

「その通りにいくため」

じゃなかったんだな~、

と最近気づいた。




計画というのは、

あくまで自分を客観的に判断するための「指針」なんですね。




人というのは、

渦中に入ると、物事を冷静に判断できないものです。

だから、あらかじめ、渦中に入る前に、

「こうなったら方向が変わってきているよ」

と知らせる何かがいるのです。




それが計画の役割。




まあ、もうちょっというと、

計画というのは、

「いつ撤退したらいいか」

「いつ考えなおすべきか」

「なにが分かってなかったのか」

を知るためにある。

・・・というか、

そういう計画でなければ意味がない、

と言ってもいいくらいだと思う。




予想よりうまくいったら、

それは勝手に飛翔させればいいわけで、

それこそ計画なんて「縛り」以外の何物にもならない。

だから、

「うまくいくための計画」

なんていらない。




「計画」ってのは、

失敗したときのためにあるんですね。




こういう1つ1つのことを、

きちんとわかっていくのって、

大変だわ。