え~、今日はざっくり?
自然にとって大概良くないのは「偏る」ことです。
アースフルに関係することを学んでいると、
よく自然療法にハマったり、
農業にハマったり、
科学を否定したり、
そんな「100%」な方に多く出会いますが、
100%の偏りは、基本キケンであります。
というのは、
「現状」にあるものは、ある時点では私達が求めたものであり、
つまり「必要」であるから存在しているわけです。
現時点では、あまりにそれが偏って批判の対象になるとしても、
それにはやはり大事な意味があるわけなので、
それを100%否定してはいけません。
自然療法系で西洋医学を100%否定する人はいますが、
西洋医学の良さ、というのはやはり非常にあって、
本当に自然療法を利用して多くの方を治している医師の方は、
僕が知っている限りでは間違いなく西洋医学も取り入れています。
緊急の時には西洋医学、
とりあえず体力がないときには西洋医学、
など、
やはりそれはそれで、他には変えられない価値があるものです。
もちろん、自然療法を100%否定するのもおかしな話で、
自然にはつねに「多様」なアプローチが求められ、
また価値があるものです。
大事なのは、「なにか1つで100%」にしてしまわない、ということです。
「八方美人」が、より自然に沿う生き方です。
しかし、面白いのは、
人間(の意識)にとってはまったく逆で、
「偏り」がある方が、社会的に成功したり、価値を見出されたりするものです。
「器用貧乏」という言葉などありますが、
なんでも出きる人、というのは、
案外何も成し遂げたりしないものだったりしますね。
目立った成功者を見ると、
育ちや心に「偏り」がある場合が多く見受けられます。
まあ、本当は、
「偏り」というのは、
人間にしか存在しない、
のですから、
当たり前といえば当たり前といえます。
本質的に自然なものにアプローチ(たとえば体とか環境とか)する場合には、
「偏らない」ように気をつけ、
人間にアプローチする場合には、
「偏る」ように意識していくと、
うまくいきやすいです。
「才能」や「特徴」と言われるものは、
基本的に「偏り」のことです。
キョーレツなことをすると、人の印象に残ります。
「いい人」になるとモテない、
「ヤな奴」が意外とモテる、
のもそんな理由ですね。
印象が強い方が一般的にはどうしても「勝ち」になってしまうのが人間の世界。
ビジネス的には、
当たり障りのない、
「良い商品・サービス」になるほど一般的には売れにくくなりますね、やっぱり。
しかし、偏るものがいっぱい増えていくと、
世界が「多様」になっていき、
100%が減っていく(=偏らなくなっていく)、
というのもまた、自然のダイナミクスといえます。
人は自然の一部ですが、
自然は人の一部ではありません。
人間の営みはすべて自然の営みの一部ですが、
人間が考えてやっている営みは自然ではないのです。
人間の考えて行う営みは人間だけの世界のためにしかなりません。
その違いを理解してみると、
いろいろとよくわかってきて面白いです。
自然にとって大概良くないのは「偏る」ことです。
アースフルに関係することを学んでいると、
よく自然療法にハマったり、
農業にハマったり、
科学を否定したり、
そんな「100%」な方に多く出会いますが、
100%の偏りは、基本キケンであります。
というのは、
「現状」にあるものは、ある時点では私達が求めたものであり、
つまり「必要」であるから存在しているわけです。
現時点では、あまりにそれが偏って批判の対象になるとしても、
それにはやはり大事な意味があるわけなので、
それを100%否定してはいけません。
自然療法系で西洋医学を100%否定する人はいますが、
西洋医学の良さ、というのはやはり非常にあって、
本当に自然療法を利用して多くの方を治している医師の方は、
僕が知っている限りでは間違いなく西洋医学も取り入れています。
緊急の時には西洋医学、
とりあえず体力がないときには西洋医学、
など、
やはりそれはそれで、他には変えられない価値があるものです。
もちろん、自然療法を100%否定するのもおかしな話で、
自然にはつねに「多様」なアプローチが求められ、
また価値があるものです。
大事なのは、「なにか1つで100%」にしてしまわない、ということです。
「八方美人」が、より自然に沿う生き方です。
しかし、面白いのは、
人間(の意識)にとってはまったく逆で、
「偏り」がある方が、社会的に成功したり、価値を見出されたりするものです。
「器用貧乏」という言葉などありますが、
なんでも出きる人、というのは、
案外何も成し遂げたりしないものだったりしますね。
目立った成功者を見ると、
育ちや心に「偏り」がある場合が多く見受けられます。
まあ、本当は、
「偏り」というのは、
人間にしか存在しない、
のですから、
当たり前といえば当たり前といえます。
本質的に自然なものにアプローチ(たとえば体とか環境とか)する場合には、
「偏らない」ように気をつけ、
人間にアプローチする場合には、
「偏る」ように意識していくと、
うまくいきやすいです。
「才能」や「特徴」と言われるものは、
基本的に「偏り」のことです。
キョーレツなことをすると、人の印象に残ります。
「いい人」になるとモテない、
「ヤな奴」が意外とモテる、
のもそんな理由ですね。
印象が強い方が一般的にはどうしても「勝ち」になってしまうのが人間の世界。
ビジネス的には、
当たり障りのない、
「良い商品・サービス」になるほど一般的には売れにくくなりますね、やっぱり。
しかし、偏るものがいっぱい増えていくと、
世界が「多様」になっていき、
100%が減っていく(=偏らなくなっていく)、
というのもまた、自然のダイナミクスといえます。
人は自然の一部ですが、
自然は人の一部ではありません。
人間の営みはすべて自然の営みの一部ですが、
人間が考えてやっている営みは自然ではないのです。
人間の考えて行う営みは人間だけの世界のためにしかなりません。
その違いを理解してみると、
いろいろとよくわかってきて面白いです。