この「人間関係の神話」というコンセプトは、

 

もともとはプロセスワークから来ています。

 

そこに僕なりにいろいろと加えたものです。

 

 

 

以前から人間関係のセミナーでは、

 

「人間関係の神話」というものがある、

 

と伝えているのですが、

 

まあこれはわかりにくいみたいですし、

 

そもそも「神話」という単語自体の理解が難しいので、

 

表現を変えて説明していこうかと思います。

 

 

 

「人間関係の畑」

 

という方が、ダサいけど(笑)、わかりやすいかなと思います。

 

 

 

その人との人間関係のタネを、

 

「どんな畑に巻いたのか?」

 

ということなんですね。

 

 

 

「畑」というのは、

 

「コンセプト」や「意志」であります。

 

 

 

 

たとえば、

 

「先生と生徒」

 

という関係で生まれた人間関係は、

 

その後、恋愛関係のようなものに発展して、

 

結婚したとしても、

 

それはあくまで「先生と生徒」という畑で育っている人間関係なのです。

 

 

 

なので、

 

この関係は、

 

・先生だった人が、相手にとって「先生」であり続けられるか?

 

・生徒だった人が、先生から学び続けられるか?

 

という2点において、

 

維持されています。

 

 

 

 

なので、

 

1,「先生」だった人がもう先生でなくなってしまった場合や、

 

2,「生徒」だった人が、相手から学ぼうとしていたもの興味がなくなった。

 

には、

 

相手が「先生と生徒」という関係をドロップした・・・えーと、失くしたかな?・・・・

 

ことによって、

 

人間関係が崩壊してしまいます。

 

 

 


(その2に続く・・・)

 

 

「人と仲良くできる人」が、

「コミュニケーション能力が高い人」のだと思っていませんか?

 

 

 

実は人と仲良くできるようになるのはカンタンです。

 

人と仲良くできるようにするためには、以下に3つのことを満たすだけでOKです。

 

  • 自分が相手にとって何らかで魅力的であること
  • 他人を批判したり怒ったりしないこと
  • 相手の話を聞いてあげること
 
この3つを満たせば、誰とでも仲良くでき、
友達・・・であるかどうかは個人の基準の問題として、
たくさんの「仲の良い人」をどんどん増やすことができます。
 
 
 
コレと
「コミュニケーションが能力が高い/上手なこと」
とは違います。
 
 
「コミュニケーションが上手」とは、
 
「自分が求める関係/結果」を相手から引き出せること
 
を言います。
 
 
 
たとえば、人と仲良くできる人が、
 
『本当に心から打ち解けて話せる友人または愛する人』
を見つけられるか?
 
といったら、
これは残念ながら違います。
 
心から打ち解けて話せる人とは、
 
やはりお互いに相手の悪いところを言い合ったり、
相手がダメなところを指摘してあげる必要がどうしてもあります。
 
ここを間違っていると不幸で、
「仲良くできるからつきあったのに、付き合ってみたら喧嘩ばっかり。あんな人だとは思わなかった!」
ということになります。
 
 
・・・どうしてこんなことになるの?
 
というと、
付き合う/結婚する/パートナーを組むといった、
「ある一線」を超えたときから、
お互いが「もうちょっと近づきたい」として、
「今までしたことがなかったこと」を相手にしまうからです。
 
ただ仲良くできる相手と、
悪口も言い合える相手とは、
根本的に「持っているもの」が違うのです。
 
だから、
『本当に心から打ち解けて話せる友人または愛する人』を見つけたいなら・・・
 
出会ったときから
悪口や批判、心からの打ち解け話もしてみて、
それでもなお受け入れて仲良くしてくれる人
を見つけないといけない、
のです。
 
最初に仲が悪かった/ケンカした人の方が、
意外とあとになってみれば「親友」になったりすることがあるのは、
このせいですね。^^
 
 
 
そういうことが分かっていて、
 
相手の能力や特性によって
付き合い方や関係を使い分けたりできるのが、
 
「コミュニケーション能力が高い人」
ということなのです。
 
 
 
もちろん、
「コミュニケーション能力が高い人」は、
その人が望むなら、たくさんの人と仲良くすることはできますので、
 
コミュニケーション能力を高くしたら
「人と仲良くできなくなる?」
ということではないです、あしからず。
 
 
 
PS.
余談ですが、
「コミュニケーション能力」
にもいろいろあり・・・
 
「全部のコミュニケーション能力を上げる」
ということはとっても大変で、才能もあるので、
 
勉強したい人は、
『自分がどんな結果を出せるコミュニケーション能力が欲しいのか?』
にきちんと気づいておくと良いかと思います。
 
 

たくさんのお母さんの子育てを見ていると、

 

おそらく「自立」のつもりで育てようとしているだけど、

 

どうも「独立」と勘違いして育ててるように思えることがよくあります。

 

 

 

 

「自立」とは、「自ら立つ」こと、

 

つまりは

 

「自分で(生きたいので)生きる」

「自分で(やりたいので)やる」

 

ことです。

 

 

 

一方「独立」とは、

 

「独りで立つ」こと、

 

つまりは『自分一人っきりでやれる』ということです。

 

 

 

自立、というのは、

 

自分がやりたいなら、人に頼ってぜんぜんOK。

 

(理論上は)他人に依存してもぜんぜんOK。

 

重要なのは

 

「自主性/自発性」があるか、

 

ということです。

 

 

 

ここから転じて、

 

「もし誰も手伝ってくれないときは、(自分がやりたいんだから)ひとりでもやる」

 

ということなので、

 

結局は他人に依存することには決してならないのですが、

 

別に「独りでなんでもやれる」必要は全くありません。

 

 

 

 

一方、独立は、

 

独りで立たないといけないので、

 

なんでも自分でやれなければいけませんが、

 

その「やること」が自分がやりたいことじゃなくても構いません。

 

 

 

多少正確さを欠くか、と思いますが、

 

「自立」の反対語は「依存/隷従」でしょう。

 

他人に言われること/指示されることをやるようになること。

他人に判断を仰ぐこと。

 

自分で物事を判断したり、決めることができない。

自分から考えて動くことができない。

 

そういう人は、たとえ「なんでもできる人」であっても、自立はしていないのです。

 

 

 

 

 

近年の日本人の多くは、

 

自立と独立を履き違えて育てられた人が多いのではないでしょうか?

 

 

 

 

子育てシーンで、

 

こどもが「やりたい」と思っていることを、

 

まず「第一に優先」して育てている姿をみることは、

 

あまりありません。

 

 

 

一方、

 

「自分でやりなさい!」と

 

「独立力」を育てている一方で、

 

ようするに親が子どもに指示を出し、やりたいことを抑えて「やらせている」ということで、

 

「自立心」の方を奪っている、というところが、

 

なんとなーーーく多くかいまみられる気がします。

 

 

 

人に頼る、

甘えられる、

他人にやってもらう、

自分にとっては必要ないと思うことはやらない、

 

・・・それは全部「自分がやりたいこと」のためには役立つことで、

 

決して「ダメなこと」ではありません。

 

 

 

親は子を甘やかすのは悪いことではありません。

 

・・・ただし、「自立心」を奪わなければ、です。

 

「親が助けてられないなら、他の方法でなんとかやる!!」

 

と思うのが「自立した子」であって、

 

「親の助けを受けない」のが自立した子ではありません。

 

 

 

生きたい、自分にはやりたいことがある。

それをなんとしてでも(どんな手段を使ってでも)やってやるんだ!

 

というのが自立心です。

 

親の助けは「手段の一つ」。使えるなら使うに越したことはありません。

だってその子が持っている「リソース」なのですから。

 

 

 

「いや、親の助けなんか借りない!」

というのは「独立心」。

 

「自分で独りでも生きていけるようになるんだ」

 

って、

 

なんかかっこいいようにも思いますが、

 

実はなんか「スケールが小さい」ですね。

 

「もっとやりたいことないの?」って思う。

 

 

 

 

自立心をを育てるために一番大事なこと。

 

それは、こどものやりたいこと、

 

「どうやったらやれると思う?」

 

が一番大事な声掛けではないかとおもいます。

 

 

 

子どもが「パパにやってもらう!」と答えた時に、

 

「なるほど、よく考えたね!」と第一声で褒められる親になりたいものです。

・・・「でもパパにはできないよ。」とは言ってもいいですよ、ちなみに。。。