僕としては、
今の世の中のほとんどの人が、
普通に考えること、
つまりは「自然に基づいて考えること」ができなくなっていると思う。

自然とは、
要は科学的でもあるのだが、
科学でさえも、
理想主義的でポリティカルに正しい発表しかできなかったりするので、
歪められているように思いますね。


例えば、
この世界というのは、
やはり「力」というものはとても大きいものとして働いている。

だから、平和で、争いのない世界を作るなら、
やはり何らかの「力」を持たないといけない。


と、ここで、
「力を持たないといけない。」とか書くと、
「おっ、キマさんは憲法9条反対派か?!」
とか
「なんかええこというてるけど、結局パワー主義なんか」
とか考える人が出てくるわけだけども、

僕が言いたいのは、
「力」は必要だとして、
では平和を作り出したり、
自分たちが幸せに暮らせるため、
「そもそも力って何よ?」
と考えることを問いたい。

例えば僕らが毎日生活しているなかで、
平和な生活を守ってるものは何かと考える。

もちろんそこにはいろいろな「力」が働いてるわけで、
お金の力もあれば、暴力の力もあるし、、、ということですが、
それだけ?
ではないよね。

例えば、仲間がいる力とか、カリスマ性とか。

ようは「力」って、
「他人への影響力」
なんだよね。

僕が思うには、
人というのは、自分たちが一緒にいて、
助けてくれて、
楽しくて、
自分を大事にしてくれる人
なんかは、やっぱり幸せに平和に生きられると思う。

そういう「人の繋がりをもつ力」ってのもある。

じゃあ、それを国家戦略・防衛に役立てようぜ!
って考えだってあると思うんですよね。

例えば、
国軍とかではなくて、
国で外国へのボランティア団体を持つ。
で、徴兵ならぬ、「徴ボランティア」をして、
人生の何年かは他国の人を助けることをしなければいけないわけだ。

もちろん危ない地域もあるから、
彼らを守るために、自衛隊が派遣されることもあるだろうね。

そうやって、世界中の国の人を積極的に助け、繋がっていくって戦略を立てれば、
日本という国の防衛になると思うんだよね。

軍事兵器に使われるお金を考えたら、
多少贅沢な感じで海外でボランティアすることもできるだろうし。

そもそも、人を助けることがどうみても比較的好きな日本人には合う「戦略」であると思える。
国際的な視野も広がるし、コミュニケーション能力も上がる。
生きる目的だって、見つかる人がいっぱい生まれるだろう。
だって、そこで目の前に広がるのは、
「不都合な現実」
なんだもの。



このやり方がうまくいくかどうかは別として、
そもそも実際にやって見る前から判断しても仕方ないんだけども、

こうやってもっと普通に、
基本のところから考え直す時期に来てると思うのです。

「この人と一緒にいるとワクワクする!」

と思ってできた人間関係は、ワクワクしなくなったら崩壊します。

 

「この人、かっこいい!/かわいい!」

と思ってできた人間関係は、相手がかっこよく/かわいくなくなったら崩壊します。

 

「憧れ」

で出来上がった人間関係は、憧れがなくなると崩壊します。

 

「お金があるから!」

で出来上がった人間関係は、お金がなくなってくると崩壊します。

 

「一緒に幸せになろう!」

と思って出来上がった人間関係は、幸せを追求しなくなったら崩壊します。

 

「成長しよう!」

で出来上がった人間関係は、成長しようとしなくなると崩壊します。

 

「仕事で一緒に」

で出来上がった人間関係は、仕事がなくなると崩壊します。

 

「こどもが同じ学校に・・・」

とかで出来上がった関係は、子どもが一緒にいかなくなったり、子どもがいなくなると崩壊します。

 

「趣味で」

という関係は、趣味をしなくなると崩壊します。

 

「あの人は良い人」

という関係は、相手のことを「良い人」と思えなくなると崩壊します。

 

「たまたま同じ場所に」

という関係は、その場所に行く機会が薄れれば、(事実上)崩壊します。

 

「一緒にいるとなんか気持ちがいい」

という関係は、「気持ちがいい」と感じなくなると崩壊します。

 

「結婚したい!」

と思ってできた結婚関係は・・・長続きします。(お見合いとか)

「結婚」に価値を見いだせなくなったら崩壊します。

 

 

 

 

・・・あなたが、

今の相手との人間関係を築いた「きっかけ」は何でしたか?

「なぜ」付き合うようになりましたか?

 

相手は、どのように考えて、その人間関係を築いたと思いますか?

ソレに対してあなたは、どのように考えてそれを受け入れましたか?

 

それがその人とあなたの人間関係の「畑」だと考えてください。

 

 

 

(次回からは『解決編』に行く予定・・・)

その1の続きですが、

 

 

この例で、

 

「先生と生徒」という関係が

 

崩壊したからといって、

 

「すぐに疎遠」になるわけではありません。

 

 

 

ただ、その人間関係という「建物」を築いてきた「柱」が抜けてしまった。

 

だから、もしそこに新たな柱を入れるかしない限りは、

 

いずれは崩壊します。

 

 

 

 

といっても、

 

建築物であれば、

 

そこに新しい柱をそのまま入れ替える

 

ということができるかもしれませんが、

 

残念ながら人間関係においてはできません。

 

 

 

その柱のあとに構築されていったすべての部分に、

 

その柱が入り込んでしまっているからです。

 

 

 

たとえば、あなたの人生で、

 

子供の頃に「たしかにあった」と疑いようもないと思っていた事柄が、

 

タイムマシンかなにかで「無くなってしまった」としたらどうなるでしょうか?

 

 

 

通っていたはずの小学校が存在しなかったことになったら?

長い時間を一緒に過ごした友人がいなかったとしたら?

etc

 

 

そうなると、

そのあとの人生、

そして「今」の人生は、違っているものになっているはずですよね?

 

 

 

これと同じようなことで、

人間関係において、

その「畑」となったものが無くなってしまうと、

 

その後に一緒に作り上げたものは、

すべて「根本から変容」してしまうのです。

 

「無いことになってしまう」

といっても過言ではありません。

 

 

 

 

だから、

「長年一緒に築いてきたはず・・・」だけど「すでに変容してしまった過去」を「材料」として

新しい人間関係を作り直す、というのは、

かなり困難を伴うものなのです。

 

 

 

(その3に続く)