東京日日新聞 1935(昭和10年).3.9 南太平洋に日本人万歳の秘島
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どちらに向ってもわが海外発展を阻止しつつある昨今、紀の国屋文左衛門を産んだ和歌山県から裸で飛び出した二十数名の同県人が南太平洋の孤島に一楽天地を築き上げているという面白い話がある。
南太平洋のフィジ島の東方に現在英国の保護下にある余り世間に識られないフレエンドリ群島(またはトンガ群島ともいう)と称する一国家がある。
議会には一名の英国人も参加せぬ点が他の保護国と大いに異っている、タウフア女王の婿君にして首相であるツギイー、土地大臣アタ両氏は共にシドニー大学出身の秀才で警察大臣カホ氏と共に一般土民から多大の信望を担っている
フレエンドリ群島に日本人が最初に渡航したのはまだ最近のことである、一九一八年フィジ島にいた日本人三名が突然濠洲シドニー日本総領事館を通じてトンガ島に赴き商売をはじめたいからと渡航許可を願ったことがあるがその時は入国禁止令で拒絶されたが、その後禁止令の中から日本人を除外することとなり一九二〇年はじめて日本人がトンガ島に渡った、爾来日本人は和歌山県出身者のみ現在までに二十五名となった、これ等の内には過去十五ケ年間コプラ農林の経営に当っている中尾重平氏、十三年間バナナの栽培に当っている山下音吉氏等をはじめとしトンガ島の首都ヌクアロファ市に本店を有し各島内に支店を設けて内外貿易に従事せる伴野兄弟商会の伴野安伸氏の如きあり同氏は全邦人二十五名の内殆どその半数を使用し多数の土人をも雇い日本からわざわざ八十数トンの小蒸汽船を取寄せ各島の特産物を集めて日支英各国との貿易に従事し大いに幅を利かしている
フレエンドリ群島に日本人の渡航を拒絶したいきさつについて最近判明した面白いエピソードがある、当時該群島の移民事務を取扱っていた警察大臣は現在の土地大臣であるアタ氏であったがついこの間アタ氏は某日本人に次の如き打ちとけた内輪話をした
私は(アタ土地大臣)某国の大学に留学中「世界中で日本人ほど恐るべき悪質の国民は他に見出すことは絶対に出来ない、かれ等は世界中一番憎むべき国民である」との教育を受け留学から帰島して警察大臣の椅子についていると、私の眼前に出されたものは日本人の渡航許可願であった、私は驚いた、これは困ったこととなった、どうしても世界で一番恐ろしい日本人をこの島に渡航することを許す訳に行かない、私は一大決心して入島まかりならぬと拒絶した、処がその後日本人が如何なる国民であるかを真に知る機会を与えられた、この島に来ている日本人と交って見て私がかつて学生時代に教えられた教育は全く事実に反する事のみであった、日本人は世界中稀に見る勤勉な、真面目な、親切な、廉潔な、義に富んだ欧米の文化国と相併立して進みつつある末頼母しい国民であることを発見してその昔自分の世間知らずの無分別から最初の日本人渡航者等を拒絶したことを今更ながら恥じている
かくて現在では日本人は各官吏から一般土人に至るまで非常に尊敬され好感を以て迎えられている
サイクロン被害に遭ったトンガですが、親日国としてのエピソードも多くあります。あまり知られていないものからまずご紹介します。