NHKの大河ドラマ「光る君へ」では、いよいよ主人公のまひろ(紫式部)が『源氏物語』の執筆に取り掛かりました。『源氏物語』以降、源氏亜流と呼ばれる王朝文学が数多く生まれました。『狭衣物語』『夜の寝覚』『浜松中納言物語』などが有名です。その後、平安時代末期には、『とりかえばや物語』や藤原定家の『松浦宮物語』が執筆されました。
今回紹介する『有明の別れ』(在明の別)は、これら源氏亜流文学の様々な特徴をピックアップし、集大成したような作品です。著者は不明ですが、定家の『松浦宮物語』を引用していること、『古今集』にある「有明のつれなく見えし別れより、あかつきばかり憂きものはなし」という和歌について、定家が「歌人として生まれたからには一生に一度はこんな歌を詠んでみたい」と高く評価していることから、作者は、藤原定家の関係者ではないかと思います。
あらすじは、男装の麗人の右大将が、天皇に女性であることを見破られ、右大将の妹と偽って入内し、皇后となる物語です。兄と妹が入れ替わる『とりかえばや物語』にストーリーが似ていますが、『とりかえばや物語』の様に、トランス・ジェンダー的な性格から男装や女装をしていたわけではなく、父親が後継ぎに恵まれなかったことから、陰陽師らに相談し、祈祷によるお告げによって男装していたのです。
興味深いのは、主人公である右大将が、龍笛や笙、琵琶を演奏すると、天に稲妻が走り、芳香が漂うなどの奇跡が起きることです。先行する王朝文学の『狭衣物語』には、主人公が横笛を演奏すると、月から神霊が降臨するシーンがありますが、『有明の別れ』では、このような奇瑞のシーンが4回も登場します。奇瑞も少しずつ変化していくのが面白いところです。
最初は右大将が笛を吹くと、天に異変が起こり、芳香が漂うのですが、天皇との合奏で、笙を吹いた時も、やはり奇瑞が起きるのです。やがて息子の春宮(皇太子)が成人し、春宮が横笛を吹いた時も奇瑞が起きます。そして最後は、春宮と母の女院(右大将)が合奏した時、7人の天女が降臨するのです。
おそらく音楽こそが神霊と感応する手段であり、天のメロディでもある神霊のメッセージを受け取るシャーマンの資質は、音楽によって育まれ、次世代へ継承できることを示しているのでしょう。
『有明の別れ』の写本は、1952年に、伊勢松坂の豪商・小津桂窓(おづ けいそう)の西荘文庫から発見されました。小津桂窓は江戸時代後期の豪商でしたが、商売は息子に任せて、もっぱら珍書の収集に力を入れていました。彼は不思議な物語文学が好きだったようで、『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴を財政的に支援していました。収集した書籍は、数万巻にのぼったといわれています。後に、西荘文庫の蔵書は市中に売却されたため、『有明の別れ』の写本をはじめ、多くは現在、天理図書館に所蔵されています。
今回は、大槻修先生の『有明の別れ-ある男装の姫君の物語』(全対訳日本古典新書、1979年創英社)(残念ながら絶版)を参考に、奇瑞が起きる4つのシーンを抜粋のうえ、加筆修正してご紹介しましょう。
(1)臨時客の宴で奇瑞を招く
左大臣の屋敷では、臨時客の宴が開かれ、琴などの演奏が始まりました。右大臣が、催馬楽の「安名尊」(あなとう)を歌い出しなさる声は、尽きることなく立派なものでした。左大将は、昔から琵琶に優れていらっしゃいましたが、今はつれない姫君の耳に「あれは左大将様の琵琶の音だわ」と思い出して下されとばかりに、普段から心配りして磨いておられた比類なき素晴らしい音色を奏でました。
しかし、主人の右大将の横笛の音色こそ、いつもより一層素晴らしく、雲居を響かすばかりの風情があり、しみじみと心をそそられるのを、その座にいた者達は一同、たえ切れず感動の涙をこぼしておられました。右大将は、ご自身の心に決心なさる理由があって、いまは今生の思い出にとばかりに、知られていない秘曲を残らず吹き立てなさると、他の楽器を奏する者たちは、皆、演奏をやめて、涙をぬぐっておられました。
雲の上の天上界でも、その感動にたえ切れなかったのでしょうか、限りなく晴れていた空が、にわかに曇って、随分と稲妻がきらめき、なんとも表現しようもない芳香が、あたり一面に吹き出したのです。父の左大臣もびっくり仰天、思わず立ち上がって、右大将の吹いている横笛を取り上げて隠してしまいました。
臨時客に参集の人々は、「随分と不思議な、あまりの奇瑞を見てしまったことよ」と、皆、まるで草木がしおれるように、ぐったりしておられました。この大変な出来事に興も覚め、左大臣は急いで内に入ってしまいなさったが、ただ参集の人々への品々の録や、大臣の贈り物などは、普段より一層のこと、贅を尽くしておられました。
(2)帝との合奏でも奇瑞
折からおぼろにかすむ春の月光に、天皇様の横笛(龍笛)の音は澄みのぼって、たとえようもない風情がありました。右大将は気持ちを抑えがたいほど興がわいて、本来、龍笛を持つべきところを、三位の中将が担当しておられる笙の笛に取り代えて、心ゆくまで吹き添えなさったのです。
その素晴らしい音色は、いま少し耳馴れず、珍しい心地がなさるので、天皇様も「これもまあ、なかなかの風趣な音色であることよ」と、あまりの素晴らしさに聞きほれていらっしゃいました。
澄み昇る月の光のもと、秘曲を求めて山に登っていったとかいう人、弁の少将(『松浦宮物語』の主人公)のことも、しみじみ思い出されて、同じことならば、天までも心騒ぐばかりと、右大将は、笛を吹き澄ましなさったのです。
すると、星々の光は輝き、月の光はさらに煌々と照り輝やき、空全体の光が、ぐっとこの地上に近づいてくる感じがしました。香ばしい風が御殿の上に満ち満ちて、白い雲がたなびきわたるので、天皇様も、随分そら恐ろしくなられて、あの臨時客の折、右大将の横笛を父左大臣が急いで取り隠しなさったとか、それを無理やり自分が吹くように要請したため、右大将も大層つらく、恨みも深いことであろうと、あまりに不思議な奇瑞に、急いで右大将の笛を取りやめなさったのでした。
百聞は一見に如かず。右大将の笛については、他人の口を通じて耳にしておられましたが、ものの数ではなかったことよ。今宵、天皇様ご自身がご覧になった奇瑞の物すごさに、あまりにもの珍しく、驚きなさって、「早晩、大納言に昇り得ることは当然、いやそのくらいのみならず、大臣の位も、この右大将の身にあまるはずはないけれども、世の末までも書き置くこともあろうため―」
と、天皇様はお考えになり、余りの昇進はともかくとして、右大将を権大納言の列に加えなさる旨の宣旨がございました。
(3)春宮の笛にも奇瑞
春宮様の美しさ、とりわけ今日は不思議なまでに、光を差し添えていらっしゃいました。
昔、櫛箱の中に隠しておられた御笛を、女院(右大将)ご自身が春宮様に教えて、伝えていらっしゃったのも、この日のためだったのでございましょう。
上皇様は、まだ在位のころ、ただ興味の湧きなさるまま、思うがままに、右大将に横笛を強要しなさったけれども、春宮様に対しては、さてどうしたものだろうか、万が一困った奇瑞が起きては、とそればかり考えなさって、とりあえず誦経をなさっておられました。
管絃の宴が始まり、関白殿が、昔から高名な琵琶をかきならされるにつけても、(思い出は、あの梅花の宴でのこと)、右大将が笙の笛を吹きなさった折にふれても、まずは亡きご子息内大臣のことを思い出されて、こっそりと涙をおし拭っておられました。
太政大臣は、過ぎし日々のことは、さっぱり忘れ果てていらっしゃいましたが、春宮様の素晴らしい横笛の音色に、右大将の面影を思い出した人々は、耐え切れずに、皆が皆、袖を涙でぬらしておられました。
さて女院は、昔の男装した右大将でいらっしゃったころを思い出されると、現在このように、女院として、錦の帳の中で、大切にかしずかれておられるお気持ちも、何か心に染まず、いっそ袖をうち返して帳台から出て、ともども宴に加わりたいとまでお思いでありました。
春宮様も、雅楽における血筋からでしょうか、同じく人々の耳も驚かさんばかりと、人の聞かぬ隙々をねらって、女院が一生懸命にお教えになった曲を、音の限りに吹き立てなさったところ、例によって、もの狂おしい夜なのでしょうか、三月十四日の月も随分おぼろでしたが、空が突然晴れ渡って、いいようもなく香ばしい風が、さっとあたり一面に吹き出したのです。この度もまた、上皇様を始めとして、一同皆、大層不思議なことと思ってお騒ぎなさったのでした。
(4)女院との合奏に、天女たちが降臨
御前の桜が散りまごう匂いまでも、ただ一つに吹き入れられて、感激する人たちの心は、ただもう我を忘れて、茫然とするばかりに雲の様子が変わって行き、月の光は、いよいよ煌々と照り輝いて、いろいろな楽器の音色、ただ同じ調べに吹き合わされる、空のかなたからすっと降りくる雲のかけはしが、遥かに見え隠れして、この世の出来事とは思えぬほどです。その実、まるで異郷の音楽のように、音色さえ変わってゆくのを、春宮様にとっては意にかなわれるのか、まったく誤つことなく吹き立てなさったところ、女院も誦経のことも今は分別つかず、大層もの悲しくお思いになって、御前の琵琶を手元に引き寄せられて、日ごろは手に触れることもない琵琶を、なんとお思いになられたのでしょうか、今宵の春宮様の調べに合わせて、繰り返し弾き澄ましなさったのでした。
女院の調べは、春宮様の笛の音とみごとに調和して、なんともたとえようのない素晴らしさです。その時、言い尽くせない珍しい衣装をこらした天女が七人、雲のかけはしから降臨されたのです。咲き誇る桜の、美しく散りまどうあたりに、たなびく雲を踏んで、一返り舞いを舞ったその袖が、風にひるがえるうちに、天女がまとう天つ領巾(あまつひれ)も吹き迷わされて、目を射るばかりの明るさです。天女たちのあでやかさといったら、言葉に尽くしようもありません。
春宮様は静かに、吹き澄まされる笛の音に添えて、
乙女子(おとめご)が 花の一枝とどめおけ
末の世までの 形見にもみむ
(天女たちよ、花の一枚だけでもとどめ置いて下さい、後世までの形見として、私は見つめ続けるでしょう)
とおっしゃったところ、耐え切れぬ想いからでしょうか、七人の天女のうちの一人が、花の一房を摘み取り、たなびく雲の上から降り来て、女院のいらっしゃる御簾(みす)のあたり、吹きまよう風に紛れて近づくと、女院の袖の上に、その花を差し上げたのです。
この世には いかがとどめむ君と我が
昔、手折りし 花の一枝
(この世に、どのようにして止めておきましょうか、この花の一枝を。昔、私とあなたが手折ったものでしたが―)
女院は、その花を手にされながら、ご自身の流れ出る琵琶の音色につけて、何か半分夢心地であられたのでしょうか、ただそこはかとなく、
花の香は わすれぬ袖にとどめおけ
なれし雲居に たちかへるまで
(かぐわしい花の香りを、昔を忘れ得ぬこの袖にとどめ置いて下さい。私が住みなれた、あの雲の果ての天上界に帰るまでは)
といわれるのを、天女は耳にするや、ほんの少し涙を押し拭って、そのまま天上界へ帰り上ってしまわれました。その折の風の香りが、御殿の内に満ち満ちて、名残に澄み渡った空の様子など、改めて言葉を尽くすのもおろかな風情でございました。
※ 天女の降臨は、天武天皇が吉野宮で七絃琴を弾いていた時、天女が降臨するのを見たという故事がルーツです。「五節舞」(ごせちのまい)の起源といわれる伝説です。
また、「7人の天女」というのは、おそらく初代・神武天皇が皇后を選ぶ時、三輪山の野原でユリの花を摘んで遊んでいた7人の乙女の中から、三輪の神の娘・五十鈴姫を選んだ故事に由来するのでしょう。
そうすると、「昔、手折りし 花の一枝」という和歌から、右大将の前世は、天武天皇か、神武天皇であることを示唆していることになります。
ちなみに、舞楽の「散手」(さんじゅ)は、槍を振るう勇壮な舞ですが、「散手」は、神武天皇の皇后となられた五十鈴姫の父親の率川明神(狭井大神、三輪大神の荒魂)のことで、神武天皇から900年後の神功皇后の三韓征伐の時に顕現された神姿を舞にしたものと言われています。