『住吉物語』の箏の音 | 日本音楽の伝説

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六国史、枕草子、源氏物語、十訓抄、古事談などの日本の古典から、雅楽をはじめ、音楽にまつわる伝説・伝承をピックアップ!

NHK大河ドラマ『光る君へ』には、主人公のまひろ(紫式部)をはじめ、清少納言や赤染衛門など、平安文学の中核を成した女性作家たちが登場します。彼女たちの文学性を育んだ文学は、どのようなものだったのでしょうか。清少納言の『枕草子』(201段)には、彼女のお気に入りの物語が記載されています。

 

物語は、住吉。宇津保。殿うつり。国譲りはにくし。

埋れ木。月待つ女。梅壺の大将。道心すすむる。松が枝。こまのの物語は、古蝙蝠(ふるこうもり)(扇子)さがし出でて、持て行きしが、をかしきなり。ものうらやみの中将、宰相に子うませて形見の衣など乞ひたるぞ、にくき。交野(かたの)の少将。

 

物語と言えば、まず『住吉物語』『宇津保物語』が気に入っています。ただ、(宇津保物語の)中でも「殿移り」の巻は好きですが、「国譲(くにゆずり)」の巻は気に入らない・・・。

 

 

紫式部の『源氏物語』第二十五帖の蛍の巻にも、「住吉の姫君の、差し当たりけむをりは・・・」と、光源氏が物語小説の評論を語る場面があります。

 

住吉の姫君の、 さしあたりけむ折はさるものにて、今の世のおぼえも なほ心ことなめるに、主計頭が、ほとほとしかりけむなどぞ、かの監がゆゆしさを思しなずらへたまふ。

 

『住吉物語』の姫君が、不遇の時は仕方が無いとしても、運命が好転して、陛下の眼に止まった時でさえ、あわや卑しい主計頭の妻にされてしまいそうになる箇所などを読んで、あの大夫の監の役人の忌まわしさと思い比べておられました。

 

『住吉物語』は、あまり知られていませんが、清少納言や紫式部たちに大きな影響を与えた物語小説です。

この物語は、いわゆるシンデレラ・ストーリーです。1000年以上も昔に、シンデレラにそっくりな物語が、日本で流行したとは驚きです。

 

主人公の箏を弾く姫君は、母親が亡くなった後、継母いじめを避けるため、住吉に住む母親の乳母の元に隠れ住んでいました。そこへ、彼女を慕う男君が、長谷観音の霊夢と箏の音を手がかりにやって来て、姫君を探し出すという物語です。『宇津保物語』と同様、姫君が箏を弾くシーンの描写が素晴らしい。

ちなみに、彼女を慕う男君は、当初、姫君に手紙を送ったはずが、継母の策略で手紙が、妹(継母の娘)に届けられてしまい、関係がややこしくなるのです。

 

『住吉物語』一二 琴の音(角川ソフィア文庫『住吉物語』より抜粋の上、加筆修正)

 

寝殿の東側に三の君が住んでいらっしゃったので、少将はそこへ通う際に見る西の対は、趣があるように見えるため、「一体どんな方が住んでいるのだろうか」と心惹かれて日を過ごすうちに、少将は、秋の夜長に所在ない寝覚めをして、物悲しく、しみじみとした夜中、寝室に近い庭の荻の葉にそよぎ渡る風の音も、毎晩、通って来る心地がして、たいそう肌寒い頃、枕の下で一晩中鳴いているこおろぎの鳴き声も、なんとはなしに涙を催しがちな折節、爪音、やさしい箏の琴の音がどこからともなく聞こえてきたので、「驚いた。これはどうしたことか・・・」と思って、枕を立てて起きになると、 西の対から聞こえてくるとお思いになる。

 

常日ごろ趣深いと思っていたため、一層、「どんな方が住んでいるのだろうか」と心を落ち着かせて、頭を巡らしていらっしゃると、「私が手紙を出した姫君こそ箏を弾く・・・」と思い出して、三の君に「箏の音をお聴きになっていますか」と尋ねると、「最初からしみじみと聞いています」とおっしゃるので、情趣を解する人だと思って、「これはどなたが弾いておられる箏の音ですか」とお聞きになると、「私の姉に当たる人が御弾きになられています」とおっしゃったので、「兵衛佐殿の妻の方ですか」とお聞きになると、「そうではなく、皇族の血筋の宮腹でいらっしゃる姉です。いつも無心に箏を御弾きになっています」と思慮もなくいうのもいとおしいが、心の中では、「呆れたことに騙されていたのだ」と思い、「対の姫君は、このことをどんなに馬鹿げたことと思っていることだろう。筑前はなんということをしてくれたのだ」と思って、朝になる前に帰って、筑前を召して恨み言をいいなさると、弁解のしようもなくきまり悪そうにしているのだった。

「こうなったら何をいっても仕方がない。このまま知らない顔で過ごそう。中納言の邸で決して何も申し上げるな」とおっしゃったので、筑前は顔を赤らめて、「どうして口に出せましょう」といって去っていった。

 

<邂逅>

日も暮れたので、松の木の下で、「人ならば問うべきものを」などと歌を吟じて、難渋してたたずんでいらっしゃった。ただでさえ、旅の空というものは悲しく感じるのに、夕波に千鳥が悲しそうに鳴き渡り、岸の松風が物寂しく吹いて来るのに合わせて、箏の音がほのかに聞こえてきた。

 

箏の曲は、律の調べで、盤渉調に澄み渡っている。これをお聞きになった中将の心は、言葉にしていえるようなものではなかった。「驚いた。まさか姫君の箏ではあるまい」などと思いながら、その箏の音に引き寄せられて、何とはなにしに近寄ってお聞きになると、釣殿の西面に若い一人二人ほどの声が聞こえてきた。また箏を弾く人もいる。

「去年の冬は、落ち着いた雰囲気がありました」「この頃は、松風や波の音もなつかしく感じられます」「都にいた時には、このような場所は見たこともありませんでした」「ああ、この景色を風情のわかる人に見せたいものですね」などと語り合って、「秋の夕暮れは、普段よりも旅の空がしみじみとしています」などと趣のある声で、今様を謡っているのを、侍従の声だと聞き分けて、「驚いた」と胸がどきどきして、「そう思うからであろうか」と思ってよく聞いてみると、

訪ねる人もいない住吉の渚なのに、誰が待つといって、松風が吹きわたるのだろうかと、歌を吟じる声を聞くと、それは正しく姫君の声だった。「長谷観音の霊験は、あらたかなものであったな」と嬉しくなった。

 

夜が更ける頃に、侍従が先に立って、中将の道案内をした。それでも中将は、すぐに共寝をすることもなさらないで、始めから今日までのことを訴えつづけ、涙ながらにおっしゃった。

あっという間に夜も明け、お日様が出る時間になって、姫君の顔を拝見なさったところ、かつて嵯峨野で垣間見た時よりも、盛りの美しさに見えて、寝乱れた髪はぼんやりとして、魅力的なことはいうまでもない。