『夜の寝覚』と琵琶の秘曲 | 日本音楽の伝説

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NHK大河ドラマ『光る君へ』の影響でしょうか、平安時代が注目されるようになってきました。今後、平安時代を題材にしたライトノベルや映画が流行るかもしれません。紫式部が『源氏物語』を執筆した後にも、「源氏亜流」と呼ばれる王朝物語がいくつも生まれました。

これら「源氏亜流」の王朝物語の中では、『狭衣物語』『夜の寝覚』『有明の別れ』などが有名です。『狭衣物語』はリンクを参照ください。そして今回は、『夜の寝覚』をご紹介しましょう。

 

 

 

『夜の寝覚』は、あの藤原定家が絶賛した物語小説です。著者は、『更級日記』を著した菅原孝標の女と言われています。

 

姉の許婿である男君の勘違いから、一夜の関係を持ってしまった主人公の寝覚の君(中の君)が、相思相愛にも関わらず、一緒になれない恋に苦しむ物語です。心理描写に優れ、現代小説にも通じるものがあります。

 

今回は、冒頭部分で、主人公が夢の中で、天人から琵琶の秘曲を教えてもらうシーンをご紹介しましょう。

現代でも、夢の中で、音楽のヒントを得るケースはいくつもあります。例えば、ビートルズの「Yesterday」は、ポール・マッカートニーが夢の中で聴いて、どこかで聴いて覚えていた曲だろうと思っていたそうです。しかし、誰に聴かせても、誰も知らない曲だったため、自分の曲としてリリースしたものだそうです。また、『更級日記』を読むと、著者の菅原孝標の女も、子供の頃、同じように夢に天人が現れた体験をしています。

 

 

 

『夜の寝覚』(現代語訳は、角川ソフィア文庫『夜の寝覚』から抜粋し加筆修正)

 

世の中の男女の仲について、今まで様々なケースを随分と見聞きしてきましたが、これからお話する、恋の苦しみで、夜中に目覚めてしまうほどの相思相愛の二人が、深い契りを結びながらも、悩み尽くすという例はめったにありません。

 

主人公の中の君の父である太政大臣は、妻と死別したあと、後妻を迎えるという気持ちもさらさら無く、四人の子供たちを迎え寄せて、ご自身の手で、子供たちを育てながら、男子には笛と漢詩文を習わせ、女子には、姉には琵琶を、妹の中の君には箏の琴をお教えになりましたが、お二人とも聡明で、みごとにお弾きになるのでした。

 

中でも、中の君はまだ十三歳ぐらいで、稚拙なのが当然の年ごろながら、父の太政大臣がお教えになるレベルを上回って、たった一度、曲を習っただけで、言いようもない優れた音色で箏をお弾きになるのでした。

父は「この子の優れた演奏は、今世だけの努力の成果ではあるまい。おそらく前世の因縁があるのだろう」と、中の君のことを、しみじみと愛しんでおりました。

 

中秋の名月の夜、中の君の夢に、たいそう優美で麗しい姿の、唐絵の人物のような姿の天人が、琵琶を持って現れました。そして、「あなたがお弾きになった箏の琴の音が、天上界まで響いてきたのです。わが琵琶の音を伝承すべき方は、地上には、あなたをおいて他にはいません。これも皆、前世からの約束事なのですよ。この秘曲をお弾き取りになり、天皇様にまでお伝え申し上げるほどに」と言って、天人が琵琶を教えてくれたのです。中の君はとても嬉しく思い、多くの曲を、あっという間に弾き覚えてしまいました。

「残りの曲で、地上に伝わっていないものがまだ五曲ありますが、来年の今晩、また降臨してお教えしましょう」と言って、姿を消してしまいました。

 

夢から覚めると、明け方になっていました。琵琶は、父も習わせていないもので、中の君は特に弾こうとは思わないのに、夢の中で、天人から習った曲の数々がたいそうはっきりと思い出されました。不思議に思い、琵琶を取ってお弾きになると、父の大臣がそれをお聴きになって、「これはいったい、なぜこんなに上手く弾けるようになったのか。なんとも不思議なことだ」と驚きました。しかし、中の君は、夢のことは恥ずかしくて、お話しできませんでした。不思議なことに、日ごろ習っている箏の琴よりも、夢の中で習った琵琶の方が、いささかも、つかえたりすることなく、まごつくような調べもなく、自然と思い出されるのでした。

 

一年後、その日は朝から雨が降り続いたため、中の君は「今宵は、月は出ないだろう」と残念に思いながら、一日中、物思いにふけりながら空を眺めて過ごしていました。しかし、夕方になると、風が吹いてきて、昨年よりも空が澄んで、月が明るく輝いたのです。

父の大臣は、宮中で詩会や管絃の御遊があるため不在で、大臣邸はとても静かでした。中の君は端近に出て、御簾を巻き上げ、宵のうちはいつものように箏の琴をお弾きになり、人々が寝静まり、夜が更けてしまってから、昨年、天人に教えられたとおりに、琵琶をありったけの音で、お弾きになったのでした。

 

それを聴いた姉君は、「中の君が、日ごろ弾いている箏の琴よりも、この琵琶の音の方が優れて聴こえますよ。琵琶は以前から、特別に父が私に教えてくださっているけれど、いつもたどたどしく、上手に弾けないでいるというのに、中の君の音色は、驚くほどだこと」と、驚いていました。

 

おやすみになると、昨年と同じ天人が夢に現れて「お教えした以上に、素晴らしい琵琶の音ですこと。これを聴いてわかる人は、地上には、とてもおられないでしょう」と言って、残りの曲あと五つを弾き教えてくれました。

そして、「ああ、残念なことよ。これほどの方なのに、ひどく悩み、心を乱さねばならぬ因縁がおありになるとは・・・」と言って、天上界へ帰っていかれるのを夢でご覧になりました。

 

目が覚めて教えられた曲を弾いてみると、まったく滞ることなく弾けるです。自分でも不思議なことと驚き、思い余って、姉君に、「夢の中で、琵琶を教えてもらったのです」とだけ伝えましたが、それ以上は、お話しになれませんでした。

 

翌年の十五夜に、中の君は月を眺めて、箏や琵琶を弾きながら、格子も開けたまま床に就きましたが、夢に天人が現れることは、もうありませんでした。中の君が目覚めると、月が明け方の空にかかっていました。悲しく残念に思って、琵琶を引き寄せて、天人に教えてもらった曲を弾きました。

 

天の原

雲の通ひ路 とぢてけり

月の都の 人も問ひ来ず

 

夜明けの風に合わせて弾く琵琶の音が、言いようも無く素晴らしいため、父の太政大臣も驚いて眼を覚まし、「珍しいほどに、不吉で愛おしい」と、娘の演奏を聴いておりました。