2024年元旦 Eテレ 舞楽「陵王」午前6:05~午前6:25 | 日本音楽の伝説

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2024年1月1日 の朝、Eテレで放映される宮内庁楽部による舞楽は「陵王」です。辰年を祝うには、相応しい舞楽です。朝早い午前6:05~午前6:25  (20分)の放映。朝の弱い方は、録画しておきましょう。

 

 

奈良の大仏開眼の前、天平七年(736年)のこと、インド僧の菩提センナとベトナム僧の仏哲、ペルシャ人李密翳が来日しました。この時、行基が勅命により、難波の港へ雅楽の楽団を連れて、出迎えたそうです。

ベトナム僧の仏哲が教えた林邑八楽の一つが「蘭陵王」(らんりょうおう)で、その仮面は、タイなどの仮面に装飾が似ています。林邑というのは、ベトナムのことです。

後に、菩提センナは大仏開眼の導師を務め、仏哲の伝えた林邑八楽は、大仏開眼の祭典に華を添えました。ちなみに、菩提センナの墓所は、現在も奈良にあります。

その後、尾張の浜主が、孝謙天皇の命を受けて「蘭陵王」の一部改作したとされます。しかし、1300年も前に、インドやペルシャから、遥々と日本にやって来たものです。

 

6世紀の中国・北斉の蘭陵王・高 長恭(こう ちょうきょう)は、武勇に優れた将軍でしたが、顔が優しく美しいため、兵士の士気に差し障りがあることを気にして、わざと龍の面をつけて指揮を執り、戦いに勝利したといわれています。「陵王」の舞振りは、軍隊を指揮している場面を映したものなのでしょう。

 

次のリンクは、宮内庁楽部の山田文彦先生による舞楽「陵王」です。

 

 

北周との戦において、蘭陵王・高長恭は、わずか500騎を率いて突入し、洛陽城の西北角の金墉城にたどりつきました。しかし、城の守備兵たちには、味方かどうか判別できません。そこで、高長恭が兜を脱いで素顔をさらしたところ、味方であること知った守備兵たちは開門し、このことにより北周との戦に勝利することができました。兵士たちは「蘭陵王入陣曲」という曲を作り、彼の勇猛を称えたと伝えられています。

 

蘭陵王は実在した人物で、墓所は、河北省邯鄲市磁県講武城鎮劉荘村にあり、弟の高延宗が贈った詩が刻まれた墓碑が発掘されています。

 

また、「教訓抄」の別の伝説では、隣国との戦の最中に死んだ王の後を継いだ太子が、父王の墓前で苦戦を嘆いたところ、父王の霊魂が、天の運行を逆転させて、沈みかけていた太陽を中天に戻し、戦に勝利することができたと伝えられています。これを祝して「没日還午楽」(ぼつじつかんごらく)という曲を作ったそうです。この物語は、おそらく中国古典の「淮南子」の覧冥訓にある魯陽公が戦の最中に日没となった時、矛で日没の入り日を招くと、太陽が再び上ったという故事が原典なのでしょう。

 

クリスマスの冬至の頃は、一年で昼間が一番短く、最も太陽の勢いが衰える時ですが、一陽来復の曲として、「陵王」は、新年を迎えるには相応しい曲といえます。

2024年は、国内政治のゴタゴタや、ウクライナ戦争、中東戦争も鎮まり、平和な時代になって欲しいですね。

 

「源氏物語」にも、何ヶ所か登場しますが、光源氏は武将ではないため、舞っていません。また、三島由紀夫は、「蘭陵王」の龍笛を聴いた体験を小説として残しています。

最近では、2018年に、宝塚歌劇団による「陵王-美しすぎる武将-」が上演されています。東儀秀樹さんが、宝塚に楽曲を提供されたそうです。