『義とされた罪人の手記と告白』@多摩南読書会 | First Chance to See...

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エコ生活、まずは最初の一歩から。

 前々回の『ルクレツィアの肖像』、前回の『ブルーノの問題』に続き、今日もまた多摩南読書会にオンライン参加させていただいた。

 

 今回の課題本、ジェイムズ・ホッグ著、高橋和久訳『義とされた罪人の手記と告白』は、2024年4月に白水Uブックスから出版されたばかりだが、原著が出版されたのは1824年、ちょうど200年前である。日本語訳も、1979年と2012年に『悪の誘惑』の邦題で出版されたことがあり、今回の白水Uブックスでは訳者によるあとがきが3種類も収録されている。こういう生真面目な編集方針はすごく嬉しい。

 

 

 本の表紙と帯を見ればおわかりの通り、ごりごりに本格派の悪魔が出てくるガチのゴシック小説である。ただし、小説の最初の1/3ほどは「編者が語る」という形で「今から百五十年ほど前」に起こった出来事が事実として判明している範囲で説明され、次にその出来事の主要人物の一人が残したとされる「罪人の手記と告白」が丸ごと転載され、最後に再び編者によって、「手記と告白」が発見された経緯が説明される、という体裁になっている。こういう凝った構成が、「早過ぎたポストモダン小説」と帯に書かれる所以である。

 

 何しろ「今から百五十年ほど前」の出来事だから、編者が調べて書いたとされる事実関係はいささか曖昧で不明な箇所も多く、読んでいて「よくわからんな?」と思うことしばし。あまり深く考えずとりあえず「罪人の手記と告白」に進むと、「編者が語る」では意味不明だった箇所の真相がわかって納得すると同時に、「罪人」の自己欺瞞の塊みたいな語り口に対して「何と勝手な言い草」「自己都合最優先にも程がある」「そんなんだから悪魔につけこまれるんだ」と、随時ツッコミながら読むことができてなかなか楽しい。「早過ぎたポストモダン小説」の面目躍如である。

 

 中でも私は、「罪人の手記と告白」に出てくる謎の男(=悪魔)が、上手に「罪人」の虚栄心を煽り、「罪人」を上手に取り込んでいく様に、「さすが本物の悪魔は一味違う、悪いなあ」と、呑気に感心しながら読んでいた。何せ、ニール・ゲイマンのファンタジー世界に出てくる悪魔たちときたら、最初のうちは悪ぶっててもたいてい心優しいしねえ。が、読書会の他の方々から「現在パレスチナのガザ地区で起こっていることを思い出し、読むのがつらくなった」との声もあり、おのれの不謹慎を恥じ入る羽目に。言われてみれば本当にそうでしたわ……。