First Chance to See...

First Chance to See...

エコ生活、まずは最初の一歩から。

 紀元前、カリンガ戦争に勝利したアショーカ王が、二度とこのような悲惨な戦禍が起こらぬようにと自らが持つ巨大な力を9つの書物に閉じ込め、9人の戦士に一冊ずつ渡して未来永劫守るよう命じた。戦士たちは思い思いの場所に散り、世代交代を繰り返しながら書物を隠し続けたが、ついに恐るべき敵が現れ、書物は1冊、また1冊と、その巨大な敵に奪われていく。最後にしてもっとも貴重な9冊目が奪われることだけは何としても阻止せねば——そのために選ばれたのが、己の出自を知らず裏社会で生きる孤児のヴェーダだった。

 

 

 インドの神話を現代に甦らせた、イマドキよくあるスーパーヒーロー映画、と言ってしまえばそれまでで、正直、ものすごく出来がいいというわけではない。ただ、肩のこらない娯楽作として観ている分には十分楽しめた。多分、私が気付いてないだけでインドの神話絡みのモチーフがあちこちで引用されているんだろう——ラーマ神の表象だけは『RRR』のおかげですぐわかったけど。

 

 タイトルになっている「Mirai」とは、この映画オリジナルの固有名詞だが、日本語の「未来」にちなんで名付けられたのだそうな。監督いわく、日本のアニメ、『ドラゴンボール』や『NARUTO -ナルト-』が大好きで、映画を作る上でも大きく影響されたらしい。実際、「Mirai」という固有名詞にとどまらず、秘密の本9冊のうちの1冊は日本で保護されていたという設定になっていて、その結果、日本の、屋敷とも道場ともつかぬ謎の建物で敵との一大バトルが展開されたりもする。

 

 ただ、この謎屋敷には至るところに垂れ幕やら何やらが下がっており、そこにビミョーな感じの日本語の標語(?)が書かれているせいで、アクションよりもそっちのほうが気になって仕方ない。本当は、こういうところに日本語のネイティヴチェッカーを入れられればよかったんだろうけど、ま、このビミョーさも味わい深いと言えなくもない、か?

 

 とは言え、もし自分が日本語ネイティブチェックの仕事を任され、あの場所にふさわしい言葉を選んで並べてくださいと言われたら、ううむ、正直かなり悩ましい。「何か違う」はわかっても、「正しくはこれ」を提示するのはなかなか簡単じゃない。でもとりあえず、袖口に書かれた「ふさわしい」だけは外してもらうよ!

 猫のミチがケージ上段に上がらなくなってはや数ヶ月(!)、事態は一向に改善していない。ケージの外でも、少しずつ距離を縮めて触れるようになろうと日々あれこれ務めているが、私に触られると思うとミチはさっと身を翻して逃げてしまう。ブラッシングなど夢のまた夢。

 

 マジでつらい。

 

 本気で嫌われているとか、怖がられているわけではないと思う。実際、台所でカルカンをあげる用意をしているとすごい勢いですりすりしてくるし、カルカンが食べたくなったらそれとなく私のほうに寄ってアピールすることも学習した。私のことを本当に警戒していたら、こういうことはしないよねえ。多分。

 

 そして4日前から、ミチは夜になると私の一人掛けソファに上がり、ゴロンゴロンと自分の匂いをすりつけて、そのままそこで寝るようになった。

 

 

 かわいすぎる。

 

 

 別の角度から見ても当然かわいい。

 

 

 いやもうかわいいったらありゃしない。

 

 前にブログ記事に書いた通り、ミチがこのソファに上がること自体はこれまでにも何度かあった。が、ここまでがっつりくつろいで寝ることはなかったと思う。しかも、こうして寝るのは今日で4夜連続だ。今まさにこのブログ記事を書いている最中も、ミチはソファの上で寝ている。

 

 

 どうかこの先も我が物顔でおくつろぎください。あなたが望めば、そのソファはいつだってあなたのものです。

 クリムトが1910年に描いた「若い婦人の肖像」は、1916年にウィーンの画廊に展示され、何者かに購入されたが購入者は不明、その後の所在も不明。

 1925年、イタリアの美術館がクリムトの「婦人の肖像」という絵画を購入。

 1996年、美術史専攻の学生が「婦人の肖像」を調査し、実はこの絵画、長年所在不明だった「若い婦人の肖像」を加筆修正したものだと突き止める。

 翌1997年、美術館から「婦人の肖像」が盗まれる。

 2019年、美術館の壁にからまったツタの裏から「婦人の肖像」が傷一つない状態で発見される。

 

 この奇妙奇天烈な一連の経緯自体はまごうかたなき事実だが、ただ何がどうしてこうなったのかは皆目わかっていない。モデルの女性の正体も、クリムトが加筆修正した理由も、盗難も返却も、何もかもが謎。フランス人作家カミーユ・ド・ペレッティはそこに着目し、「本当はこういう事情だったのかも?」という仮想の物語を紡ぎ出した。

 

 

 さすがフランスで数々の文学賞を受賞しただけのことはある。1910年代のウィーンから現在のニューヨークまで、時代と場所と視点を次々と変え、それでいて読者を過剰に混乱させることなく、次第に一枚の大きな構図が見えてくるよう上手に仕立てられている。奇妙奇天烈な事実関係を損ねていないことは言うまでもない。細部の描写も凝りすぎず、いい塩梅で物語に彩を添えている。

 

 読んでいて実に楽しい。とりわけ、第一次世界大戦下のウィーンで貧しいシングルマザーと息子が〈カフェ・ツェントラル〉でホットチョコレートを味わうシーンでは、次にウィーン旅行する機会があったら私もぜひ試したいと思わずにはいられなかった。実際、この本を読んで〈カフェ・ツェントラル〉でホットチョコレートを注文したフランス人観光客は結構いるんじゃないかしら?

 

 

 写真は、私が2016年に〈カフェ・ツェントラル〉で注文したメランジュ。初めてのウィーン旅行だったんだけど、あれからもう10年も経ったなんて!