First Chance to See...

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エコ生活、まずは最初の一歩から。

 東京都庭園美術館で始まったばかりの「ルーシー・リー展 ー東西をつなぐ優美のうつわー」に行ってきた。

 

 

 私がルーシー・リーの作品を単品ではなくまとめてたくさん見るのはこれが初めて。日本では日本の民藝と結びつけて語られることも多いため、何となく民藝っぽいものを想像していたら、実物の器は写真でイメージしていた以上に「薄い」。そして、文句なしに美しい。まさに建物自体が美しい東京都庭園美術館にぴったりの企画で、どこもかしこも目の保養だった。

 

 1902年、裕福なユダヤ人医師の家庭に生まれたルーシー・リーは、ウィーン工業美術学校に入学し、陶芸の、というか、ろくろの魅力にハマって陶芸家を志す。ウィーン工房のヨーゼフ・ホフマンからも認められ、学生のうちからパリ万国博覧会に出品するなど、陶芸家として順風満帆な滑り出しに思われたけれど、1938年、ナチスドイツのウィーン併合により、ロンドンへの亡命を余儀なくされた。

 

 ルーシー・リーという英語っぽい名前のせいもあって何となく「イギリスの陶芸家」という感じがする(本名はルツィエ・ゴンペルツ)が、改めて彼女の来歴を振り返って見ると、彼女の美意識を育んだのはロンドンではなくウィーンだったんだなと思う。

 

 実際、ルーシー・リーがロンドンに亡命した当時、彼女の作風はイギリスの陶芸界の大物、バーナード・リーチから酷評されたそうな。リーチの垢抜けない、じゃなかった、厚ぼったい陶芸作品を見れば、彼にルーシー・リーの美意識が理解できたはずもない、というか、こやつのせいで危うく陶芸家としてのルーシー・リーのキャリアとセンスがぶち壊しになりかねなかったと思うと、軽く目眩がしますな。

 

 幸い、ルーシー・リーがアシスタントとして雇ったドイツ移民の若者、ハンス・コパーが彼女のセンスを後押ししてくれたこともあり、彼女は自分の美意識に自信を取り戻す。薄いけど、華奢じゃない。凝っていても、すっきりしている。

 

 

 素晴らしい。

 

 と、美しいものをたっぷり拝んでいい気分になったところで、東京都庭園美術館に併設されたカフェに入る。

 

 

 梅雨前線が頑張っているおかげで、7月だけど屋外テラス席でも快適だった。

 カフェに集う芸術家、と言えば、グスタフ・クリムトを筆頭にウィーン分離派の面々が集ったカフェ・ムゼウムとか、そういうヤツですね、わかりますわかります、私の大好物です——と言いたいところだが、現在三菱一号館美術館で開催中の「“カフェ”」は、いわゆるウィーンのカフェとはかなり性質の異なる場所だった。

 

 

 もちろん、パリにも芸術家たちが集まって侃侃諤諤やり合うカフェはたくさんあったと思うが、今回この美術展で積極的に取り上げられているのは、カフェ・コンセール(客にアルコールを提供しつつ歌や踊りを見せる)とか、さらに一歩進んで、客も一緒に踊れるガンゲッドとか、より芸術度を増したキャバレーとか、そういう場所である。なるほど、だから美術展のタイトルでわざわざ「“カフェ”」と引用符をつけていたのかと、展示物を観ながら納得した。

 

 中でも有名なのが「ムーラン・ルージュ」。今じゃバズ・ラーマン監督の映画やそのミュージカル版のほうが咄嗟に頭に浮かんでしまうけれど、19世紀末のパリに誕生した本物のムーラン・ルージュが具体的にどんなところだったのか、ロートレックのリトグラフなどを通じて改めてイメージさせてくれる。こっちが本家本元だってのに、ミュージカルの印象のほうが強くてすまん。

 

 美術展のキービジュアルになっているラモン・カザスの「マドレーヌ」を含め、展示品の大半は撮影可。

 

 

 この絵に添えられた解説によると、この絵が描かれた当時、「カフェで一人、酒と煙草を嗜む女性」というのは、(売春婦しぐさに通じるとして)なかなかに挑発的だったそうな。私は場所を問わず酒も煙草も嗜まないけれど、今の時代、「カフェで一人、酒と煙草を嗜む女性」が性売買とは無関係の、ごく当たり前の風景になっててよかったと思う。

 猫のミチは快食快便、すこぶる元気に暮らしている。おなががすくと催促がましく私の足元に近づいて来て、「カルカンはまだ?」と言わんばかりに見上げてくる。台所でカルカンをお皿に移していると、激しくすりすりしてくれる。羽根つきオモチャを振ると、最近はなぜか床の上にゴロンと寝転がり、羽根に頬擦りして感触を愛おしむことが増えた。それじゃ運動にならないのでは、とも思うが、動物病院で肥満と判断されたわけじゃなし、ミチが楽しそうだからまあいいや。

 

 

 が、実のところ、この一ヶ月、私の心は重かった。というのも、先月末にミチを動物病院に連れて行ってからというもの、ミチがケージ上段に上がらなくなったからだ。

 

 正確には、いったん上がりはしたが、上がった際に私が待ってましたとばかりにブラッシングしようとしたところ、私がブラシを持ち帰るタイミングとミチが顔を振るタイミングが重なり、結果としてまるで私がミチの顔をブラシで殴ったみたいになったのが致命的にまずかった。これまでにもブラシが顔に当たることはあったけど、なまじ洗濯ネットにくるまれて病院に行ったばかりだっただけに、ミチの心に「ケージ上段=怖いことをされる」と刷り込まれてしまったらしい。

 

 とは言え、これまでずっと毎日上がって毎日寝そべってたんだもの、そのうちきっと上がるはず——と、日々祈るような気持ちで待ち続けてとうとう一ヶ月が経ち、それでもミチは変わらずケージ上段を避けている。たまに何かのはずみで上がることはあっても、これまでのように「安全な場所」としてのんびりくつろぐ姿を見せることはない。

 

 そのかわり、ミチはケージ上段以外の場所、キャットタワーのハンモックとかふかふかベッドとか、そういうところではのんびりくつろいでいる。気持ちよさそうに居眠りしている。ミチとしては、ケージ上段以外の場所でくつろげるようになったから、怖い思いを押し殺してまでケージ上段に上がる必要がないのかもしれない。

 

 が、これまでミチがケージ上段にいる時にモフったりブラッシングしたりしていた私としては、ミチがケージ上段に上がらない以上、お触りもブラッシングもできない。ケージ上段以外の場所、たとえばミチがキャットタワーでくつろいでいる時、そっと指を伸ばして鼻タッチするくらいならできるけれど、それが精一杯、私がさらに触ろうと指を伸ばすと、鼻を近づけるどころか目一杯背を反らして逃れようとする。

 

 つらい。ミチと暮らし始めて1年半、ここに来てまさかこんな試練と向き合う羽目になろうとは。

 

 ……1年半も猫を飼っててどんだけ猫の扱いに不慣れなんだよ、と言われたら返す言葉もないけれど、でも、嗚呼、どうか今ここに書いている内容を「そんなこともあったねえ」と笑って読める日が来てくれますように!