130日間世界一周 -3ページ目

ボルドー(4)

 

さて、空港に入ると大勢の客でごった返している。

インフォメーションに聞くと、今は全線ストップしているがもう少しで復旧するから待ってろ、と言われる。

 

本を読みながらしばらく過ごし、2時間程経ったあたりでアナウンスが流れた。

「エールフランス、パリ行きのお客様お待たせ致しました。準備が整いましたのでチェックインカウンターにお進み下さい。メルシー」

予定より3時間遅れでようやく搭乗手続きを済ませ、スーツケースを預ける。

こんなに待たされて日本であれば大騒ぎになるだろうが、普段から待たされるのに慣れているらしく、誰一人として文句一つ言わない。

私も別段急ぐ予定がある訳ではないのでのんびり構えていた。


 

キャリーバックを引きながらセキュリティーを通過する際に、事件は起こった。

X線を通したバックを、係りの女が開けろと言い出した。

(他の客は皆フリーパスなのに、まあいいや)

素直に開けると、今度はまとめた小荷物ひとつひとつを、ガサゴソとあさり出す。

黙って見てると、ひとつずつX線の機械に通し始めた。

別に見られて困る物は持ってないが気分が悪いので

「何か探し物ですか~?」

おちょくると顔色を変えながらも、無視してガサゴソ続けている。

と、その時、女の右手がビニールにくるまれた包みを掴んでしまった。

(おっと、ゾウだ)

インドで買った、頭がゾウで手が四本のガナッシュだった。

これはいいやと思い、

「ちょっと待てよ女。それは俺の大切な神様だから、見てもいいけど丁寧に扱えよ。」

あくまで英語の会話はせずにフランス語で、

「あなた、検査を拒否するのね」

みたいな事を言う。

「いやいや、違うよバカ。それよりお前英語をしゃべれよ。」

「あんた、これ以上逆らうと酷い目に遭わすわよ。」

不思議なことに女のフランス語がよく解る。


ついに大声で

「お前じゃ話にならん。お前の上司で英語の話せる奴を呼べ。」

顔を引きつらせた女が受話器を手に取ると、何やら捲し立てた。

(呼んでくれるんだ)

と、待っていると、30秒も経たないうちに警官が現れた。


 

その警官は本当に英語が全然ダメだ、という事は後になって解ったが女を含めた他の連中は明らかに私の言う事を理解していた。

面倒くさそうに、

「おいおい、一体どうしたんだよ。」

「彼女が私の神様を侮辱したんです。」

「違うわよ。この男が検査を拒否したのよ。」

「お前、自由・平等・博愛の国フランスで宗教の差別をしたんだよ。これをマスコミにリークしたら外交問題にもなりかねんよ。解ってるのか、この重大性を!!!」

警官以外の連中の顔色が変わる。

よし! 手ごたえを感じてつい調子に乗り、問題発言をしてしまう。

「第一お前ら、毎日この国際空港で働いていて、何故英語を話せないんだ!あったま悪いんじゃねーの~~~!」

 

これだけは警官にも通じたらしく

「おい!荷物を持って付いて来い。これは命令だ。」

厳しい口調で言い渡されてしまった。

(クッソ~! こいつらだけは・・・。)

しかし、逆らうと本当に撃たれそうな雰囲気だった。


 

空港内のポリスオフィスに入り、待合室でじっとしておく様に言われる。

ロンドンのOに電話を掛けてみた。

「まいど。どうも先日は色々と世話になったね。」

「おうおう、今どこよ?」

「実はボルドーの空港で、警察に拘束されてるのよ。」

「えっ!!? なんで?」

「搭乗前のセキュリティーで女と揉めたら、警官を呼ばれて半分逮捕された。」

「シューボマーと疑われている訳?」

「いや、そんなレベルじゃないよ。」

「なんか言ったんじゃない?」

うっ!さすが鋭い、

「英語しゃべれんなんて頭悪いんじゃねぇの~、って」

「お前ー、あれだけプライドの高いフランス人に、それを言っちゃあおしまいだよ。おそらくこれ以上の事にはならないと思うけど、困ったらまた電話して来いよ。」

「ありがとう」

 

しかし、まいったね。

そんなに怒ることないのにねぇ・・・。



数独

読者の皆様こんにちは。


ここ数日サボってしまってごめんなさい。

先週末から3日間パリに行ってました。

初めてオルセー美術館に行ってみましたが、素晴らしかったです。

ルーブルは広すぎて一日で観て周るには無理がありますが、こちらは半日かけてじっくりみるには丁度いい大きさでした。


月曜の夜には帰って来たんですが、実は数独(すうどく)というゲームにはまってました。

タテヨコ9マスずつの枠の中に数字を入れて行くパズルです。

これは日本生まれのものらしいですが、今、ロンドンで大ブームになってます。

地下鉄やバスの中で皆、ペンを片手に難しい顔をしてやってます。


まぁ とにかく、明日から再開させますのでお楽しみに~。

ボルドー(3)

車を走らせて10分程で高速の入り口が見えてくる。

高速に乗り、看板を注意して見ていると飛行機のマークが目に付いた。

(そちらに向かって後はメドックだな)

と思いながら運転した。


ところが、行けども行けどもメドックが出てこない。

ついに飛行機のマークも出て来なくなってしまった。

サービスエリアで車を止め、ドイツ人と思しき男に聞いてみる。

「Oh!  あなたまるっきり逆に来てますよ。メドックなら北に向かわなければならないのに、今は南に向かってます。」

親切な人で、色々と解りやすく教えてくれた。

既に時間は11時半を過ぎている。


そこから、今度は迷わずに行くことが出来た。

途中三度道を尋ねたが、皆愛想良く教えてくれた。

フランスの田舎の人達は感じがいい、と聞いていたが本当だった。

景色が一面ブドウ畑になって、しばらく走ると右手に『シャトー・バタイユ』の看板が見えて来た。

時計の針は1時をまわっている。

事務所を訪ねると技術責任者が迎えてくれた。

「11時に来ると聞いてたのに、なかなか来ないので心配してました。」

「すみません。色々とアクシデントがありまして・・・。」


工場やワインセラーなどを案内してもらい、最後にワインをご馳走になった。

「フランスワインは、近年では2000年と2003年が当たり年と言われてます。値段が同じ位ならば、これらの年を選ぶ方がいいですよ。」

なんて事も教えてくれた。

その彼も非常にフレンドリーでいい奴だった。

しかし、暗くならない内にと思い、彼に礼と別れを告げ車に乗る。

帰りは市の中心地に行くだけあって簡単で、スムーズに1時間足らずで辿り着いた。



翌朝、ホテルをチェックアウトした後空港に向かった。

空港で車を返す時に受け付けのマドモアゼルから

「今日は全仏でストライキの日です。飛行機も飛んでませんよ。」

と言われ唖然とする。

ここから驚くべきトラブルに巻き込まれてしまう。



ボルドー(2)

空港からタクシーでボルドー市内に向かった。

車に乗って5秒もしない内に、おかしな事に気付いた。

 くっ臭い!!!

とても常識では考えられない様な臭いがしている。

たまに山手線などに浮浪者が乗っており、強烈な臭気を皆が遠巻きにしているのに出くわす事があるが、まさにあれと同じ臭いだ。

それがたった50cmの至近距離にいるのだからたまらない。

後部の窓を左右とも一杯に下げたが余り効果がなかった。

フランス人は風呂に入らないと聞いたことがあるが、これで仕事が出来るのが全く不思議だ。

降りようかとも思ったが、流しのタクシーがいる保証はないし荷物も沢山あるので我慢した。


拷問のような20分が経ち、市の中心街にある『ボリー・マヌゥ』のオフィスに着いた。

オーナーは出張中だったので、部長のデュポン氏が対応してくれた。

ワインの産地、歴史、味わい方などを丁寧に解説してくれた後、

「実際にワイナリーを見たいですか?」

「ええ、是非」

「それでは明日、私たちが持つ7つのワイナリーの内一番の『シャトー・バタイユ』に行って下さい。ここから70キロ位の所にあります。」

「どうやって行けばいいですか?」

「街でレンタカーして一時間もかからずに簡単に行けますよ。ところでホテルは予約してますか?」

「いいえ、まだです。」

「少し待ってて下さい。駅の近くのホテルを予約しましょう。」

「有難うございます。」

ワイナリーには明日の11時にアポを取ってもらった。


ホテルにチェックインしてからしばらくし、夕食に出た。

適当にレストランに入って、またもや飛び上がった。

 くっ臭い!!!

おそらくチーズの臭いだろうが強烈だった。

息を止めて、外に逃げ出した。

なんか知らんが鼻の構造が違うんかいな・・・。



翌日朝、ボルドー駅の建物の中にあるレンタカー屋に行った。

24時間で空港で返すことにした。

『シャトー・バタイユ』の住所を言って、マダムに行き方を聞いた。

「近くから高速に乗り、空港のマークのある方に行きます。途中でメドックと書いている方に曲がり、まっすぐ行くとあります。」

「カーナビはついてるの?」

「そんなものはありません。」

「地図はないの?」

「勿論あります。この2枚よ。」

ボルドーの市内とA4サイズにフランス全土が載ってる2枚だった。

この時すでに、この計画にはかなり無理があるような気がしていたが、デュポンもマダムも当たり前の事の様に言うので、流れに従うことにした。


10時前に出発し10分程走ってると、信号待ちで隣にいた車のドライバーが何か言っている。

とても重大事の様な感じだったので降りてみると、タイヤが一本パンクしていた。

何じゃこりゃ、引き返そうと車をUターンさせた。

周り切れなかったので、少しバックさせようとマニュアルのギアを入れ替えようとするが、どうしても入らない。

考えてみたらフランス製の車を運転するのは初めてだった。

歩道でジッと私のことを見ていたマダムに助けを求めると、

「ギアの取っ手のすぐ下に付いているレバーを引きながらやるのよ。」

身振りで教えてくれる。

その通りやると見事バックギアに入った。

やっぱり感性が違うのね・・・。

「メルシィーボクゥー、マダ~ム」


車を交換してもらい再度出発。

既に時間は10時半近くになっていた。

(まずい、急がないと。)

地図をまじまじと見て解ったが、高速は迷路みたいに入り組んで走っている。

(これは一度間違えたら、えらい事になるなぁ。)


ここではっきりと、自分のやろうとしている事の難易度を自覚した。

例えるなら、日本語の解らないフランス人に東京駅近辺で車を渡し、

「お前厄年だから佐野厄除大社に行って来い。適当に首都高に乗って宇都宮の方面に向かって行き、佐野藤岡で下りれば着くよ。」

何故こんなことが出来ると思うんだろう。

おそらく悪い意味ではなく、人のことに関心が無いんだろうな。

まぁ とにかく感性が違うわ・・・



ボルドー(1)

フランスにはパリでなくボルドーに向かった。

私の友人が神楽坂でフレンチのレストラン『ラリアンス』を経営しており、彼からワイナリーのオーナーを紹介してもらっていたからだ。

飛行機の中で、3ヶ月前の出来事を思い出していた


日本を出る前の12月初め、ドイツ人の友人とグループで飲んだことがあった。

酔いが回ってきて、何故だかイスラムの自爆テロと、特攻隊の話題が持ち上がってきた。

私が、

「その二つは似て非なるものだ。イスラムはキチガイだが特攻隊は正気。」

と言うと、ドイツ人が

「そんなことない、全く一緒だ。お前は自分に身内意識があるので美化して考えているようだが、現象としては同じだろ。」

「何言ってんだよ。

奴等は死んだら英雄になって天国に行け、70人の処女が自分を待ってると信じてる。

こちらは皆、教養のある立派な青年達。死にたくないが、それこそ国の為に仕方なくやったんだよ。」

「でも、やっぱり洗脳されてたんだろ。」


(洗脳だったらお前らも人のことを言えないだろ!)


言いそうになったが、(それを言っちゃおしまいよ)ふとそんな声が頭の中で聞こえてきたので止めた。

周りも止めに入ったので、話題を変えた。ただ、

「もうこれ以上は言わないから、一度でいい!靖国神社に行ってみてよ。同盟国だったんだし、お前も海軍にいたんだから筋は通るでしょ。」

と言っておいた。



特攻の対象はあくまで軍艦(軍人)、テロは女子供を含む民間人。

以前アメリカ人に

「パールハーバーが卑怯だって笑わせるな。

海軍基地が日曜日で気を抜いてました、なんてよく恥ずかしくもなく言えるね。

それなら、広島・長崎・東京大空襲で何十万人の民間人を焼き殺したお前等は何だ?

悪魔か!?」

と言って引かれたことがある。

しかし、

「それなら特攻は状況が変わっても、民間人相手には絶対にやらなかったか?

第一、日本軍は民間人を殺してないのか?」

と詰められると、グッと来る。

冷静に考えると本当に違いはあるのだろうか・・・?



これに少しだけ関連する話で、『結果とプロセス』。

以前の上司から(結果は大事だけど、プロセスはもっと大事だ)

と、耳にタコが出来るくらい聞かされた。

確かにそう思う。

結果が全てであれば、ホリエモンや孫正義は世間からもっと尊敬されるはずだ。

世の中を知っている人からすれば、(恥ずかしくもなく、ようやるわ)

としか見ていない。

その点、三木谷さんや熊谷さん(GMO)は育ちが良いだけあって上手いよね。



先日の選挙では、自民党ではなく小泉首相が圧勝した。

素晴らしいね。

嫌いな人も多いみたいだけど、今の日本は悪平等の社会であり、それをまともに正すにはあのくらいの事をやる必要があったのだろう。

郵貯や年金は勿論、国防(例えば北からミサイルが飛んできても、技術的に可能なのに今の法律では打ち落とせない)も早急に正す必要がある。

バカが

「日本が世界に誇る平和憲法を守りましょう」

などとほざいているが、余りに程度が低くて話にならない。

やられてからでは遅いのにねぇ。


また、日本人は白人に対して自信を持てない様に洗脳され、早60年が経った。

この『自信』があるかないかで、人は行動が全く変わるし他人にもすぐに覚られる。

これは今後、急速に良い方向に向かうと信じている。

とにかく、今以上に変な国になることは無いから、小泉さんにはやりたい放題やってもらいたい。



ロンドン(5)

翌日の日曜日、昼過ぎに家を出てOと二人でゴルフに行った。

車で20分位の所にある、バッキンガムシャーというコースだった。

貸しクラブがどうにも合わなかったことと、芝の下が粘土みたいな土でダフリが多くスコアにならなかったが、台湾以来のゴルフを楽しんだ。

ここのオーナーはアサヒビールらしい。


夕方、2泊の予約を取って貰っていたハイドパーク近くの五つ星、バークレーにチェックインした。

小さなホテルだが、品と威厳を兼ね備えた雰囲気がある。

夕食後、一人でカジノ『パームビーチ』に行った。

いつもの様に、ブラックジャックをやるがどうにも集中出来ない。

ここ最近ずっと寝不足だったせいか、いきなり眠気が襲ってきた。

10万位負けたところで止め、ホテルに帰る。


ホテルの部屋で水割りを飲みながら、イギリス人の事を考えた。

来る前の先入観に反して、皆とても感じが良い。

黒人達も、アメリカにいるような「ヘイ、メ~ン」なんて口のききかたをするのを見かけない。

イギリス人は子供の躾に非常に厳しく、裏でビシバシやっているらしい。

同様に彼らも躾られてるんだろうね。

Oが言うには、仕事でイギリス人と駆け引きをしていると、とても老獪だと感じるらしい。

何百年も、世界でトップに君臨する事が出来た知恵なのか。

しばらくここで暮らしてみようかなぁ・・・。



翌朝、朝食に下のラウンジに降りていった。

ほとんど食べるものが無く、コーヒーとハム・卵・パンを食べた。

食べ終わると、ウエイトレスが伝票を持ってきた。

まさか一泊7万も払ってるんだから朝飯位ついてんだろ?

恐る恐る見ると、25ポンド(5000円)。

ガ~ン!!

ショックだった。


昼間にシティにある大和のオフィスに行き、Oと昼食をとった。

なんてことない和食だったが、10ポンド。

「なんか安いじゃん」

大分麻痺してきたのか、昼飯2000円がとても安く感じられる様になっていた。


翌日、ヒースローから飛行機でボルドーに向かった。

まさかそこで警察に逮捕されることになるとは夢にも思わずに・・・。

ロンドン(4)

翌日土曜日、どこかに出かけようという事になった。

大英博物館は昔行ったことがあるのでナショナルギャラリー(美術館)に行くことにし、下の小さい男の子も連れて三人で駅に向かった。


「東京の地下鉄の初乗りは160円だよね。ここは幾らだと思う?」

「300円位すんの?」

「400円だよ」

「ホントかよ!!」

「タバコはなんと1000円だよ。」

「えっ!! それでも吸ってんの?」

「最初は俺も驚いたけど、不思議なもんですぐに慣れちゃうんだよね。」

日曜から泊まるホテルではもっと驚かされることになる。


冬のロンドン特有の、小雨がぱらつくドンヨリとした天気の中チャリングクロスで下車し、トラファルガー広場に面してそびえ立つ重厚な建物に入った。

有難い事にロンドンにある博物館や美術館は殆ど全てが無料で鑑賞出来る。

大英やV&Aミュージアムなど、この国が何百年もかけて世界中から集めてきた(強奪してきた)美術品が所狭しと並んでおり、圧倒させられる。



ところで、この広場の中心に太くてかなりの高さがある円柱があり、頂上にネルソン提督の大きなブロンズ像が乗っている。

今から丁度200年前、フランス・スペイン連合軍をネルソン率いるロイヤルネイビーが、トラファルガー沖で迎え撃ちこれを撃破した。

彼は海戦の最中にフランスの狙撃兵に撃たれて命を落とすが、国を救った英雄としてイギリス人なら知らない人はいない。

世界三大提督と言われるのがあり、一人は忘れたがネルソンとあともう一人はあの東郷平八郎提督(元帥)である。


丁度100年前の1905年ロシアのロジェストウィンスキー(?)提督率いるバルチック艦隊を、日本海で東郷提督(当時)率いるインペリアルネイビーが迎え撃ち、完全試合で勝利する。

このブログのトルコ編でも書いたが、このニュースは世界中で一大センセーションを巻き起こしたらしい。

しかし、このような事実(三大提督)も学校教育で取り上げないため、知ってる人は少ないだろう。

色々な国の人間と話をしても、東郷元帥の名前は知ってることが多い。

戦争が、良い悪いとか正しいか間違いとかの前に、事実は事実としてきちんと伝えるべきだろうにね。



たっぷり時間をかけて鑑賞し、夕方家に帰った。

奥さんがローストビーフの大きなかたまりを焼いてくれ、私のお土産のイスタンプールで買ったキャビアも食卓にのぼり、楽しい夕食となった。


ロンドン(3)

シティからタクシーに乗りOの家に行った。

週末の2日間は泊めて貰える事になっていた。

料理上手で美人の奥さんに二人の男の子、絵に描いたような幸せな家庭にお邪魔した。


奥さんの日本料理に舌鼓を打ちながら、英国の話になる。

「イギリス人は喧嘩っ早そうなイメージがあるけどどうなの?」

「スコッツは気が短いと言うけど日本人程じゃないよ。」

「怒らないの?」

「まぁ、滅多にないね。特にハイクラスの連中はそれなりのスクールで、『人前で感情をあらわにする事は恥ずかしい事』という教育を受けるんだよ。

差別も同じね。」

「オフィスでも怒鳴ったりする人はいないの?」

「たまに日本から来た人が、それを知らずに怒鳴り散らしてヒンシュクをかってるよ。」

「で、どうなるの?」

「思い切り皆から軽蔑されるね。彼は怒鳴らないとマネジメントが出来ないのか、それ程能力が低いのか、ってね。」

これは、私にとって相当なカルチャーショックだった。

大きな声を出さずにそれなりの経営をするなんて、かなりの人格者でないと出来る訳ない、と信じてたが彼等は幼い頃からそれを目指しているんだ。

今迄(この旅行中も含めて)、大声で人を従わせていい気になっていた自分が、とてもちっぽけに感じられた。



Oが、「ところで、これだけ色々な国を周って何処が一番良かった?」

「何と言っても台湾だね。天国みたいな所だったよ。」

「中国人じゃないの?」

「俺も行くまで知らなかったけど、もともとの台湾人のマインドはかなり日本人に近いよ。

そして、なんと言っても日本のことが好きなんだよ。」

「朝鮮でも同じ統治をしてたのに、不思議だねぇ。」

「朝鮮民族はまた特殊だよ。誰だって1000年以上にわたって中国、日本、ロシアから虐められ続けたらヒネクレちゃうだろ。」

「女は綺麗なの?」

「綺麗だし性格が優しいよ。日本人の気が強くタチの悪い負け犬達に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ。」

話は尽きなかったが、もう遅かったので寝ることにした。

ロンドン(2)

大和証券の話が出たので、少し脱線してこの業界の事を書くことにする。


私が入社したのは昭和63年、バブルの絶頂期だった。

映画『ウォール街』がヒットしたりして、新卒人気ランキングでも高い位置にあった。


当時は(おそらく今も)完全に人間性が狂ったおやじが大勢居て本当に凄かった。


社長は土井テイホウ、他の役員も含めて、皆一見してどう見ても堅気には見えない方々ばかりだった。

私は結構好きにやらせてもらえたし、バブルの浮かれた雰囲気も十分に味わえたから何も文句なんかない。

しかし、多くの社員は泣かされており、営業場は殺伐としていた。

一度、「仕事が出来ない」という烙印を押されるととことん虐められる。

「お前なんか男じゃない」とネクタイをハサミで切られたり、皆の前でスカートをはかされたりしていた。

一部上場の金融機関での出来事などとは信じられないが本当の話だ


この土井が会長になってからのこと、何をトチ狂ったかボランティアに目ざめたらしい。

そして太鼓持ちの亀戸支店長が、皆を毎週休みの日の朝6時に集合させ、公園の掃除を強制した。

皆、毎日早朝から深夜までボロボロになるまで働いて、バカ支店長の点数稼ぎに利用される。

ここまで行くと可哀想を通り越して腹が立ってくる。

もっと凄いのは、全店トップセールスのスーパー支店長は顧客の金を横領、なんと7年の実刑判決を受けた。

ただ、思い入れも勿論あるので、まともないい会社になってもらいたいと心から願っている。


次は何年か前に亡くなった巽ゴロウ氏。

一代で光世証券を中堅まで育てあげ、大証の理事長(?)まで昇りつめた。

このおやじがバブルの頃、芦屋の六麓荘に居を構えようとしたことがある。

ここは知る人ぞ知る日本一の高級住宅地。

六甲山の麓からはじまり、上になるにつれて家がでかくなっていく。


私の友人がここの上の方に住んでおり、何度かお邪魔したことがあるが、特に夜景は素晴らしい。

また神戸の震災の時、町内会で自警団を組織したことは有名な話だ。

この町内会はどういうカラクリか知らないが、新規の住人を皆で審査して受けるか断るかを決めるらしい。

そして、この巽に対する答えは

『成金の株屋ごときが付け上がるな』


それから何年かしてバブル崩壊、

「私は株屋ではなく大証の理事長、りっぱな経済人です。」

として再度トライ

事業に失敗して家を売らざるを得なかった人もいたりして、広い土地が巽の手に渡った。

そこに彼は物凄い大きな家を建てた。

友人が近所の幼馴染と建築中の建物を見て、

「なんか知らんが要塞でも出来るんかいな?」

と話していた。


私も見たが、屋根のうえにはいくつかのブロンズ像が乗っており、そのひとつが弓を引いている。

そして、その矢が彼の幼馴染の家を向いている。

これは風水によると、巽の家の悪い運気を全て注がれることになってしまうらしい。

驚いて抗議したが無視。

ホントに困ったおやじだね。


とにかく、言いたかったのは証券業界には変なのが多いということだ。

ロンドン(1)

3月4日金曜日 昼前にヒルトンを出発、ホテルカーのベンツで空港に向かう。


昨晩、ホテルのバーでインド系のバーテンと話をした。

ウィーンでは余り有色人種を見かけなかったので、何故ここで働いているのか興味があった。

「出身は何処なの?」

「バングラデシュでしゅ」

「この国に来て長いの?」

「私が子供の頃あの国は内乱がひどかったので、家族そろって逃げてきました。」

「ここは住みやすい?」

「とてもいいですよ。全体的に豊かだから皆余裕があり、いい人が多いです。

リヒテンシュタインに行かれたことはありますか?」

「いや、ないよ」

「とてもお奨めですよ。ほんの小さな国ですがとても豊かで、とにかくいいですよ」

「ありがとう。今度行ってみるよ。」


空港に着くと、雪の為飛行機が1時間遅れ。

16:00ヒースローに到着する。

飛行機の窓から見えるロンドンの街、特に住宅街は整然としていて非常にきれいだった。

街の真ん中に大きな観覧車が見える。

スッチーに聞くと「あれはロンドンアイですよ」と教えてくれた。

ロンドンの目玉か・・・。

ブリティッシュエアーが何かの記念で最近造ったらしい。

この時は、まさか4ヶ月後にその隣にあるフラットに住むことになるとは思いもしなかった。


空港からはO君のアドバイス通り電車で街に出ることにした。

タクシーだと60~70ポンドもかかると脅されていたからだ。

なんとかエクスプレスで街に出て、そこからタクシーでシティーにある彼のオフィスに向かった。

結局〆て45ポンド(9000円)かかった。

ホントに高いね。

もう一つ驚いたことがある。

有色人種の数がやたらと多いことだ。

黒人、インド人、アラブ系、アジア系、ニューヨークかと思う程だ。

17年前はこんなにはいなかったはずだけど・・・。

景気がいいし容易に受け入れているからなのかなぁ。


私もかつて在籍したD証券のヨーロッパ・ヘッドクオーターの建物を見てまたまた驚いた。

大きなビル一棟全部が持ち物で中には400人位いるとのこと。

荷物を引きずりながら受付に行くと、初めは怪訝そうな顔だったのが部長の客と解り態度が変わった。

Oとは東京で会ったのが最後で、5年振りだった。


つづく