ウィーン
3月1日早朝ブカレスト発、ウィーンに到着した。
ふと、最近余りにも金を使い過ぎている事を反省し、空港ではリーズナブルなヒルトンを予約した。
街に入る車窓から見て感じたのは、さすがに芸術・文化のメッカだけあり明らかに今迄の国とは品が違う。
例えるなら、不良ばかりの公立中学からボンボンの通う私立中学に転校してきたみたいなものかな。
街はこじんまりしており、路面電車で簡単にクルッと一回りすることが出来る。
そして、街中いたる所に歴史的建造物がありワクワクさせられる。
ローマと似た感じもあるが、あれ程ゴテゴテしておらずやはり一枚上手の印象を受ける。
ドイツ語圏の京都と言われているらしい。
当然同様にお高くとまってるとも・・・。
翌日、市内観光の後ガイド付きでシェーンブルン宮殿に行った。
そこで女帝マリア・テレジアの事を強調して話していた。
フランス人の亭主との間に何と16人も子供を産み、それぞれヨーロッパ中の王室と姻戚関係を結ばせていった。
その中の15番目がフランス革命でギロチンにかけられたマリー・アントワネットだった。
当時はここが世界の中心だったらしい。
私がガイドに
「マリア・テレジアはクィーンですか?」
と聞くと大きくかぶりを振りながら
「いいえ、いいえ、エンプネス(女帝)です。クィーンとは格が違います。」
はっきり言い切っていた。
「それなら日本のエンペラーはエリザベスより上か?」
聞こうかと思ったが大人気ないのでやめといた。
夜、毎年ニューイヤーコンサートが開催される何とかいうホールにウィーンフィルを聞きに行った。
演目はマーラーの巨人で本当に素晴らしかった。
クライマックスでは後頭部がビリビリに痺れてしまった。
これに気を良くして翌日オペラ座にオペラ鑑賞に行ってみた。
チケット売りお奨めの」『ワーサー』だったが今一つピンと来なかった。
オペラは初めてだったが、歌舞伎と同じである程度の予備知識がないと訳が解らんと云う事はわかった。
この国の印象は結構良かったが、3月だと言うのにとにかく寒い。
寒波が来ていたせいもあるが、大陸特有の足先から這い上がってくるような底冷えがした。
今度はもっといい季節に彼女と一緒に来ることにしよう。
そして、いよいよ明日行くことになったロンドンの友人O君に電話した。
「ホテルをエージェンシープライスでとってくれない?」
「いいけど、どのくらいのクラスを考えてるの?」
「どうせだからやっぱ五つ星がいいよね。」
「けっこう高いけど大丈夫?」
「高いって東京位でしょ。」
「バカ何言ってんの、東京なんか比じゃないよ。今ロンドンは世界一物価が高いんだよ。
例えばこのバークレーなんかいいホテルだけど300だね。」
「300ユーロ・・・、42000円かぁ。けっこうするね」
「いいや、ここはポンドだよ。60000だね。」
「ゲェッ!! すごいねぇ」
「プラスVAT(税金)17.5%だからざっと70000だよ」
「スイートでもないのになんでそんなにするのよ」
「まぁ 景気がいいこともあるしとにかく高いよ。レストランなんかもすごいから覚悟して来たほうがいいよ。」
このときの彼のアドバイスがもしなければ、おそらくロンドンに行ってもショックを受けてすぐに他の国に脱出したに違いなかったね。
ルーマニア
ソフィアから飛行機でルーマニアの首都ブカレストに入った。
ホテルカーでマリオットに向かう途中、ドライバーとの会話の中で
「ここの次は何処に行くんだい?」
「ウィーンだよ」
「何年か前に行ったけど彼らは冷たいよ。おれ達はこの辺で唯一のラテン系で熱いハートを持っている、皆良い連中だよ。」
ここでラテン系と言われ嫌な予感がしたのが見事的中し、イタリア以上のいい加減さに振り回されることになる。
あの周辺では唯一ラテン系で東ローマ帝国の末裔らしい。
そう言えばローマニアつまりローマ人なんだね。
「ロシアには行かないのかい?」
「ロスケは大嫌いだから行かないよん」
「俺達も第2次世界大戦では奴らに酷い目にあった。奴らはヨーロッパのガンだよ。」
「その通り!!! 世界のガンだね。」
ロスケの悪口ですっかり意気投合してしまった。
そう言えば少し前の英国のBBCでも、ソ連がドイツを占領した時の事をとりあげていた。
驚いたがドイツでも女は皆レイプされたらしい。
10台から60台までくまなくだったそうだ。
兎に角ロスケの辞書にはモラルという言葉が載ってないんだろうね。
かなりあきれたことがルーマニアを出国の際、空港であった。
イミグレを通過しテクテク歩いて搭乗ゲートに着き、何の気なしにパスポートを開くと出国のスタンプがどこにも見当たらない。
替わりに挟んであったボーディングパスに捺してあるのを発見した。
戻るのは大変だし(ペルシャ絨毯をはじめ荷物が多い)そのまま行こうかと思ったが、ウィーンで入国の際
「お前どっから来たの?」
となるとかなり揉めるのが目に見えている。
仕方ないので戻り、通過したゲートの若い男に
「スタンプないよ」
と言うと驚いた様子で
「お前どっから出たの?」
「お前のゲートからだよ」
「あっ そう」
ポンとついて寄越した。
謝りもせず悪びれもせずに・・・。
ホテルでも旅行代理店でも色々いいかげんなことをやってくれたが、両替所もひどかった。
普通、売りと買いのスプレッドは5%、多くても10%位だと思ってたがなんと20%以上離れている。
何回か通貨を替えるとなくなってしまうんだ。
恐ろしい事だねぇ。
コンシェルの女にネットカフェを聞いても嘘をつかれる。
まさか超一流のマリオットのコンシェルが平気で嘘をつく訳がないと初めは信じられなかったが、ここのは建物は立派だが中身はとんでもないとすぐ気付いた。
地下にカジノがあり。、ロシアンマフィアと思われる強面がタムロしている。
そして見るからにコールガール風の女とホテル内を堂々と闊歩しているのだ。
3日目、雪の降る中かつてのチャウチェスク宮殿、現在の議事堂に行ってみた。
とにかく何もかも馬鹿でかく、世界で2番目の建築物だということだ。
(一番はアメリカのペンタゴン)
マクドナルドの店員でも空港でもスーパーモデルみたいのがいた。
たしかにきれいなおねーちゃんは多いけど、二度と行く事はないだろう。
UK
ロンドンに来てから仲良くなったジムと話していた時のこと
「ジム、あなたはイングリッシュですか?」
「いや、ウェールズだよ」
「英国人と云う意味で聞いたんだけど」
「それであればブリティッシュと言わなきゃダメよ。
UK(ユナイテッド・キングダム)はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国から成っているんだよ。」
「それは県とか州とかって感覚なの?」
「いいや、あくまで国って意識だよ。
それぞれが軍隊をもってるしサッカーやクリケットのチームも別々にある。
もともとイングランドが次々に併合していったんだよ。
もっと言えばイングリッシュに対して(ブリティッシュですか?)と聞いても、
(いいえ私はイングリッシュです)と答えるし(スコティッシュですか?)なんて聞くと嫌な顔をするよ。
そして、北アイルランドはもちろん他の2つも今でも独立したがってるんだよ。」
はじめはなかなか理解出来ませんでしたが、日本に当てはめて考えたらすぐにピンときました。
要するに戦前の大日本帝国と似たようなもんなんだ。
同じ帝国民の中でも日本、台湾、中国(満州)、朝鮮人それぞれが違う意識を持っていたのは当然です。
日本人に「朝鮮人ですか?」なんて聞いたらまずかったでしょう。
当時の大日本帝国ではまだ植民地の感覚が強かったのでしょうが、それが5~6百年続いた後の姿なんですね。
しかし、驚いたのはそれだけの時間が経ってもまだ差別意識や独立心がなくならないという事です。
と云う事は、当然人種差別も根強いものがあるんでしょうね。
今度酒でも飲みながら聞いてみます。
そう考えると、やはり中国のように不自然な形で無理やり一つになっている国家が崩壊するのは時間の問題ですね。
BT
前回丁度香港にいた時にロンドンで同時多発テロが起こり、その2日後にヒースローに辿り着きました。
東欧の後ウィーンからロンドンに入り、そこでの体験によってしばらくこの都市に住んでみようと決めたからです。
7月4日成田発、台北、香港経由でした。
直接来なくてよかった~。
ブルガリアの後の話はこれからも続きますし、フランスのボルドーではついに警察に身柄を拘束される事態となってしまいました。ご期待下さい。
今回は今迄書けなかった訳を説明します。
7月14日からロンドン中心地にフラットを借り、すぐに電話の回線をつなぐ手続きをしました。
プリペイドの携帯を買ったので電話自体の必要はなかったのですがネットをつなげるためです。
BT(ブリティッシュ・テレコム)に電話で申し込むと、翌週エンジニアが家に来てから使えるようになることになりました。
ところが来ない!
信じられないことになんと3度もすっぽかされ、その都度電話しても適当に誤魔化されてしまいます。
イギリス人の友人に頼んできつい調子で言ってもらっても埒があきません。
それが今日ようやく来ました。
なんと1ヶ月半もかかりました。しかし、こんなことはよくある話らしく特にガスや電気、電話などのインフラ系の会社はとんでもないらしいです。
かといって怒鳴り散らしても電話を切られて終わり。
恐ろしい話です。
しかしイギリス人は困った相手には非常に優しいです。
ジェントルマンシップなんでしょうか・・・。
ブルガリア
イスタンプールから飛行機で1時間位の隣国の首都ソフィアに降り立った。
本当につまらん街(国)でカジノがあるのでどうにかもっているが退屈で仕方ない。
昨日ガイド付でマルタ島から来たというカップルと3人で市内観光したが見るものがないので教会を五つも周った。
なかなか雰囲気のあるのもあったけどミラノのドゥオモやバチカンのサンピエトロ寺院を見てるので感動する程のことはない。
最後に街を一望しますと言って山の上に連れていかれた。
本当に案内する所がないらしい。
ブルガリアと云う国は第一次大戦まで強大だったオスマントルコの一部だったのが、敗戦国になったトルコから独立したらしい。
市の中心地にあるこじんまりした五つ星のラディソンというホテルに泊まった。
ここでも全ての従業員から顔を覚えられ、掃除のおばちゃんまでもが恭しく頭を下げていく。
そう云えば最初の夜に、チップの為スモールチェンジしようとフロントに行ったときのこと
「こまかい紙幣がありません」
カジノで負けて少しイライラしてたのもあり
「ありませんって、ここは五つ星ホテルじゃないのか」
女もカチンと来たらしく
「隣のレストランに行けばできるわよ」
お前が行け!と叫びそうになるのをじっとこらえ、
「明日の朝ベットに置くチップなんだ。あるだけでいいから出してよ」
ツッケンドンに
「とにかく出来ません」
ついに大きな声を出してしまう。
「お前それがスイートの客に対する口の聞き方か。私を誰だと思ってる。
私のファミリーは日本の天皇・・・・」
またやってしまった。
天皇家はこんな所でも有名だね。
カジノでの私の賭けっぷり(一時50万円以上勝ってたが全部なくなった)が伝わったらしく若いホテルマン達がなついてきた。
「隣のカジノでは噂になってますよ」
とにかく3日間入り浸りだった。
今日までの70日間各国で最高レベルのホテルに泊まっているが印象に残っているのが三つある。
香港ペニンシュラ、バンコクペニンシュラ、トルコのチラーンパラスだ。
香港ペニにはクリスマスの時期に泊まった。
東京を除けばアジア最高のホテルだ。
そこで面白いことがあった。
上海で仲良くなった中国人から友達を紹介してもらい、香港でビジネスしてるその彼と夕食をとったが早く終わった。
まだ9時頃で寝る訳にもいかず、広い部屋の中でブラブラしていた。
ふいに電話をとり
「マネージャーと話したいんだけど」
すぐに女性が出てきて
「マネージャーのリリーと申します。何か不都合が御座いましたか?」
「いや違う。これはクレームでなくあくまでゲストボイスとして聞いて欲しい。
このホテルは設備もサービスも最高だし文句のつけようがない」
嬉しそうに
「ありがとうございます」
「ただ残念なのは部屋にティッシュがないことだ」
あるんだけどバスルームに2つ。
それが壁に埋め込まれててとりばずせない。
「白人様たちはどうか知らないけど日本人はティッシュを沢山使うからこれは不便よ。ボックスをひとつでいいから置いとけばみんな助かるよ」
「それは紙の質が悪いということですか?」
どうもかみ合わない。
「サー もしよろしければロビーでお話できませんか?」
「いやもうパジャマ着てるからダメ。部屋に来るならいいよ」
飛んで来る。
ようやく意味を理解したリリーに
「第一あれの後ティッシュがいるだろう」
「あれって何ですか?」
「あれはあれだよ。わかるだろう」
「解りません。お願いですから教えて下さい。私はこのホテルを少しでも良くしたいんです。本当にお願いします」
真剣だ。 ふざけてる場合じゃないので
「セックス」
彼女が大きくのけぞる。
「考えてもみませんでした」
「沢山の客は言いたくても言えないんだよ」
インドのヘマントもそうだったが、一途な思いは人を動かすね。
クリスマスで彼女は死ぬほど忙しいはずなのに私の部屋で2時間話し込んでいった。
ポケベルが鳴り続けるのを無視して。
次に行ったとき何個ボックスが置いてあるか楽しみだ。
彼女に
「中国人でこれほどインプルーブメント(向上心)の高い人に初めて会った。君は本当に中国人なの?」
「いいえ。私はカナダ人です」
なるほどねぇ。
実は今、2005年7月8日現在香港ペニンシュラのハーバービューに泊まってます。
残念ながらリリーは出張で会えなかったけど、部屋にはなんと5つのティッシュボックスが置かれてました。
一緒の彼女と笑いながら百万ドルの夜景を眺めています。
トルコ(最終編)
今から30年以上前、父は当時の主力対潜哨戒機P2 - Vの機長をしていた。
オホーツク海上空を飛行中、ソ連の戦闘機がスルランブル発信してきたことがあったそうだ。
後ろにつかれロックオンされると (ピーーー) と警告音が鳴る。
映画トップガンでやってたがあれをされると寿命が縮まるらしい。
(後ろにいるロスケがミサイル発射ボタンを押せば間違いなく皆死ぬ訳だからね)
その時は大丈夫だったが、父の同僚の機は押されたらしい。
後で交信を解析すると、下の基地ではしきりに打ち落とせと指令していた。
しかしパイロットが躊躇したのかミサイルは翼をかすめて飛び去って行ったとのこと。
しまった、調子に乗ってまた機密情報を書いてしまった・・・。
一般法では緊急避難に当たるんだろうか。
とにかく逃げるのは自由らしい。
そこで父は百数十人の部下に訴えかけた。
「みんな、俺と一緒に死んでくれ」
皆、逃げるどころか非常に士気は高かったそうだ。
韓国では軍事政権がパッと出来上がり難民は来なかったとのこと。
口の堅い父はこの話を数年前にようやく教えてくれた。
20年たって時効だと考えたのだろう。
死を覚悟する時、私や姉の顔が浮かんだと云う。
私は毎日テニスばかりやってるお気楽な小僧で、父が命懸けで国を守ってるなどとは考えたこともなかっ た。
そんなサムライ達を卑しめてる村山ごときは特高警察に頼んでキュっとしめて もらったらいいんじゃない かな。
トルコ おわり
トルコ(5)
私は嘘が嫌いだ。
嫌いと云うより苦手と言った方がいいかもしれない。
昨年もつまらない嘘をつく(本人に悪気はない)20年来の友人と 別れたところだ。
私は彼を更生させることが出来るのではないかと考えていだが、それは私の驕りだった。
30過ぎの人間の考え方を変えるのはかなり難しい。
私は幼い頃、父に仕込まれた。
徹底的に・・・。
7歳頃つまらない嘘を突き通し、それを認めない私を父は激しく折檻した。
足をもって吊るし上げられ、私の竹刀で何度も叩かれた。
いまでもはっきりと覚えている。
今なら児童保護センターにでも駆け込んで父を逮捕してもらうところだが 当時はそんな知恵がなかった。
もちろん人間だから嘘は必要だ。私も各国で嘘つきまくっている。
というよりシャレだけどね。
嘘をつくのも苦手だがつかれると悲しくなる。
それからサムライ魂について。
ローマのナイトクラブでぼられ15万請求されても落ち着いていた。
隣のチーママが不思議そうに、
「あなた怖くないの?」
「人間死ぬときは死ぬんだよ。俺はまだ死にたくないがお前らみたいな 日本人をなめた連中には死んでも負けないよ」
「あなたの心が読めないわ」
「スキがないからよ」
「でもスキだらけの日本人一杯いるわ」
「サムライは日本人の5%しかいないのよ」
向かいの席の3人組み白人旅行者の一人がしきりにこちらを気にしている。
次に自分達に降りかかる災難を感じ取っているのだろう。
「それよりお前、恥って意味知ってる?」
「もちろん」
「いや、お前らは知らない。知ってたらこんな恥ずかしい事出来るはずない」
女は下を向き黙ってしまった。
少しはわかってる様だ。
その後オーナーがいい人で全部チャラにしてくれたが恐ろしい経験だった。
ミラノでもローマでもおそらく私だけカモにしようとしたと云うことは日本人客は皆払うんだろうね。
私が戦ったことで少しは国に貢献出来たかな・・・。
ここで本当のラストサムライ私の父の話をします。
内容は国家機密に属すると考えられるので、プリント・転送は お控え下さい。どうしてもの場合は連絡下さい。
今から24~5年前、父は単身で長崎の対馬に警備隊長として赴任していた。
50前の男盛り、制服が良く似合いいつもピカピカの靴を履いていた。
対馬は韓国の方が近く、地理的理由で元寇二回、ロスケに一回、朝鮮に一回蹂躙されているそうだ。
蹂躙とは男は殺され女は犯されると言う事。
丁度その頃韓国でパク大統領が暗殺された。
武装難民が逃げてくる可能性があったそうだ。
冗談のような話だが基地には武器はあっても弾がなかったそうだ。
長崎まで弾を取りに行く時間がないし、第一許可がなかなか下りない。
父は悩み苦しんだ。
選択肢は三つ。
戦うか、逃げるか、降伏するか。
降伏はありえないし、とても頼りにして大事にしてくれている島民達 を裏切って逃げれない。
かといって上の指示を待たずに戦えば犯罪者に なる可能性がある。
軍法会議ではなく一般の裁判所で、一人で歌舞伎町も歩けないような裁判長の裁きを受けることになるのだ。
悩み苦しんだあげくの結論は
「死ぬしかないな」
元寇の時の侍大将は宗 助国といい上陸してくる数千の軍勢に手勢を 率いて突撃する。
多勢に無勢、玉砕するが余りの暴れっぷりにそれ以上の進軍はなく、山の向こう側にいた島民は助かったらしい。
まだ問題はある。
軍法がないため敵前での逃亡を阻止出来ない。
当然敵前逃亡は銃殺刑だが自衛隊法には明記されていない。
つづく
トルコ(4)
ここチラーンパラスホテルは文字通り最高級で、今までの一流ホテルのなかでも造りもサービスも値段も群を抜いている。
部屋は値段の割には狭いが「文句があるならスイートに泊まったら?」と言われそうな雰囲気がある。
スイスホテルの彼が言ってたが、このホテルではクレームが一切ない そうだ。
皆このムードに呑まれてしまうらしい。
正面玄関から入って行くと大きなガラス窓の向こうにボスポラス海峡が広がっている。
そして手前の庭にはプールがある。
真冬で入る人など誰もいないのに温水の湯気がモウモウとたっている。
特に夜見ると幻想的な雰囲気に満ちているが完全にコスト度外視なのね。
また街の中心よりも少し外れている為宿泊客は勿論、中には所謂ハイクラスな人達しかいない。
テラスでお茶を飲んでると、事情を知らない白人のグループがラフな格好で入ってきてとても気まずそうにしていた。
チェックインの後部屋へ案内するフロントの女性を従えてバーに寄って葉巻を買った。
東京で1000円のロメオジュリエッタが4000円もするので諦め、 1100円と書いているミニシガーにした。
領収を見ると5500円、どうなってるのか解からない。
「これはボックス価格ですから」
と言っているがますます訳がわからない。
「いいか。一本1100ならかける20本で22000円じゃないか。 どう考えてもおかしいだろ」
紙に書いて説明してもかみ合わない。
二人は不思議そうに私を見ている。
そこで気がついた。要するに値段なんてどうでもいいし、気にする客も いないんだ・・・。
さすがはアラブの王族が経営してるだけあるねぇ。
「悪かった。少し寝不足でイライラしてた」
と言って切り抜けた。
ディナーに一人でホテルのイタリアンに行った。
女が案内し通路側の二人掛けに座る。(一番悪い席)
私の殺気を感じてか
「ここでよろしいですか?」
「私にはわからん。お前はどう思う?」
一番いい窓際の四人掛けに通される。隣の二人掛けでいかにも金持ち らしいトルコ人夫婦が小さくなって食べている。
こんなことやってるからどのホテルでも目を付けられるんだよね。
最初から感じている通りやはり親日的。
スイスホテルでもここチラーンパラスでもホテルの前の旗はトルコの 隣は日の丸、そしてドイツ、イギリス・・・とつづく。
アメリカなんぞは旗さえない。イスラムだからね。
ここ長い間「何故アメリカが天下を取ったか」
と言うことを考えているがこれと言った答えが見つからない。
今のところ
アメリカは血が混ざってる分天才が多い。
その天才達がリーダーになり国民もそれに従う。
これに尽きるような気がする。
日本の政治家にも石原慎太郎のような天才はいるが、皆認めたがらない。
それどころか足を引っ張る。
日本人は異質なものを恐れるんだろうね。
これは大事なテーマなので是非ご意見をお聞かせ下さい。
日本人の知的水準、モラルレベルは間違いなく世界一でしょうが、それらは 昨年流行った武士道に根ざしてます。
そしてなんといっても最もエスペッシャルなのが「恥」でしょう。 騎士道でもおそらくアフリカの土人の戦士でも勇気、礼儀、忠誠などは あるでしょうが、この恥を知るという感覚は武士道固有のものでしょう。
本当の日本人は恥をかくことを恐れるはずですが、最近は恥知らずが多いですね。
中国、朝鮮、ロシアならいざ知らず同じ日本人とは信じられません。
少し前の首相村山なぞいい例です。
戦後50年違憲だと叫び続けてきた自衛隊をあっさり
「やっぱり合憲でしたわ」
と言い謝りもしない。人間間違った事をしていたら謝るのが常識でしょう。
おかげで何十万人もいる自衛隊員とその家族達がどれだけ肩身の狭い 思いをしてきたかなんて考えたこともないんでしょう。
神戸では自衛隊を投入しなかった為みすみす6000人を殺し、
海自の観艦式では、当然主賓は燕尾服を着るところをスーツで現れ
自衛官に敬礼させる。
父の後輩達が
「あんな下郎に敬礼せんとならんとは情けなくて涙がでてきましたよ」
と語ってたらしいです。
また国内だけではなくご丁寧にアジア各国を回り謝罪外交を繰り返しました。
マレーシアまで土下座をしに行きマハティールに
「あなたは何を謝ってるんですか?
日本が戦ってくれたおかげで我々はイギリス様の奴隷から解放されたんですよ。
少しは歴史を勉強しなさい。大分のスードラさん」
とたしなめられたらしいです。
最近特に朝鮮や中国の横暴が目に余りますが、これには村山の首相としての言動が大きく貢献してますね。
これぞ「ザ・売国奴」だね。
トルコ(3)
5日目、 ボスポラスのクルージングに参加した。
船に乗る前、バザールを見て周ると日本語の話せる面白い男が話かけてきた。
ついつい最高級五つ星のキャビアを買ってしまった。
(O君一家とロンドンで酒の肴にしようかな)
英語のガイドと英国の老夫婦が一緒で、 なかなか気のいい二人だったので仲良くなった。
そういえばイギリス人の話はマレーシアで出てきた。
開戦時、破竹の勢いで進軍してくる日本軍をイギリス軍がマレー半島で迎え撃った。
士官はイギリス人、兵隊はインドの奴隷で、逃げないように足輪でつないでい たそうだ。いよいよダメだとな
ると士官だけ逃げ、インド人は鎖につながれたまま置き去りにされた。
日本軍にも同様の記録が残っているらしい。
「私達は紳士です」
何て言って裏では随分汚いことやってんじゃないの?
第一俺の友達にひどいことをしたのは許せんな。
色々な所でイギリス人は鼻持ちならんと耳にするけどどうなんだろう?
しかし、もっとも許せんのはロスケですわ。
終戦一週間前、不可侵条約を破りボロボロの日本に宣戦布告し満州に進軍して来た。
無抵抗でも男は殺され、女は犯される。
投入された部隊はかなり程度の低い連中の集まりで、日本人の死体から 時計を奪いいくつも腕に巻く。
止まると捨てる、の繰り返しだったそうだ。
要するにネジの巻き方すら知らん程度の奴等だということ。
私が小学5年の時家族で稚内に行った。
樺太の電話交換手の女性達が迫り来るソ連兵の脅威に怯えながら必死に電報を打ち続け、最期に
「皆さんさようなら、さようなら」
と残して皆自決した、と云うことが思い出される。
山崎豊子の小説にも出てくるが余りにもひどく犯され続けて気がふれた女性が大勢いたそうだ。
また男は50万人も極寒のシベリアに連れて行かれ、強制労働させられ寒さと栄養失調で大勢亡くなる。
目の前で妻や娘が犯される、でも何も出来ない。
まさに生き地獄。
そしてライオンの食べ残しをハイエナがあさる様に中国人や朝鮮人が やって来る。
そんな奴等が従軍慰安婦がどうこうなんて正に噴飯もの。
江田島では松も『気を付け』の姿勢だった
また靖国問題。
私はこの旅に出る前、広島の江田島に行って来た。
戦前、海軍兵学校があった所だ。当時ではアメリカ、イギリスに並び世界三大兵学校に数えられてい た。
世界最高のリーダー養成学校で現在は海上自衛隊の幹部候補生学校になっている。
私の父の母校でもある。
入学資格も厳しく、東大・京大に並ぶ学力に容姿端麗が条件だったそうだ。
海外に出る人材なので変な顔はダメだということ。
そこの資料館で大西中将のコーナーがあった。
大西中将は海軍神風特攻隊を編成し指揮した方だ。
私も自爆行為はいくら戦争でもクレージーだと思うが、これにより米軍の進撃が遅まったのは事実だ。
もし本土決戦になれば立ち直り出来ないくらいのダメージをうけただろう。
ベトナムやカンボジアのようになったかもしれない。
大西中将は終戦後責任を取って腹を十文字に掻っ切って果てたそうだ。
中将の遺書があり
「大勢の有為なる若者たちを殺してしまった。
彼らと遺族に謝す為に自刃す。
生き残った若者たちに告ぐ、
諸君らは国の宝である。
戦に負けたからといってヤケを起こさず
祖国の再建に尽くしてもらいたい」
私はここから動けなくなっていた。
こういう立派な武人もそして私の祖父も祭られている靖国にいちゃもん をつける。
サルたちは外交カードと思ってるんだろうが、世の中言っていい事と 悪い事があるんだよ。
「ODAでさんざん金ふんだくって良く言うよ。第一内政干渉だろ。 これ以上言ったら日本も核武装するぞ」でいいんじゃない。
侵略を謝れと言われ嫌と云うほど謝ったんだから、金をめぐんで貰って礼を述べろと言ったらどうかね。
トルコ(2)
髪を切った後スイスホテル内の代理店に行き市内観光を予約した。
「日本語と英語どっちがいいですか?因みに日本語の方は凄い美人ですよ」
「久し振りに日本語で会話したいねぇ」
そして翌日の朝、金髪のシェブナムが迎えに来た。
イスタンプール大学日本語学科卒の才媛でたしかにきれいだった。
二人で一日過ごし、夜食事をした。
彼女もバツイチで不思議と気が合った。
「ヒデさん、あなたの宗教はなんですか?」
「浄土真宗」
「もし私と結婚するならイスラムに改宗し割礼をしなければいけません」
「俺は一日に何度も土下座はできんな~」
アメリカの話になり
「私達は絶対にアメリカを許せません」
彼女の話では9・11はアメリカの自作自演で、少し前の津波も地底深くで特殊爆弾をアメリカ軍が爆破させて起こしたらしい。
「その証拠に近くにある米領の小さな島では被害がなかったのよ」
「誰にきいたの?」
「テレビでやってました」
アジアではそうでもなかったがインドあたりからアメリカは非常に評判が悪い。
私は個人的には嫌いじゃないけどちょっとやりすぎみたいだね。
金髪美人シェブナムとブルーモスクにて
スイスホテルにも4日目になり、だいぶ皆から名前を 覚えられてきた。
歩いているといろんな所で
「ハウアーユー ミスタースジ○○」
と声を掛けられる。
やたら偉そうで長い時間ビジネスセンターでパソコンに向かってるので、 きっと有名な作家かなにか兎に角名のあるヤポネに違いない、といった 感じかな。
ホテル内のレストラン「みやこ」の板前さんと仲良くなり夜の店に 連れて行ってもらった。
隣に着いたルーマニアンの太った女に名前を書いて教えると
「スジってルーマニア語でチンポって意味よ」
笑っている。
「○○って日本語で沢山って意味だよ」
爆笑している。
「お前の名前は中国語でブタって意味だ」
涙を流しながら笑い続け
「面白い人ね~」
「面白いのはお前の下っ腹だ」
言いそうになったが常連である彼の手前止めといた。
昼過ぎ、明日から移るトルコでダントツ最高級のチランパレスホテル に下見に行ってみた。
旧王宮でアラブの王族御用達らしい。
「王族と皇族 どっちが上か勝負しようか」
冗談でもその手を使ったら市長あたりが新聞記者を連れてとんで 来るだろう。
そして国外追放され永遠にこの街には来れなくなるであろう。
しかし、皆から尊敬され大事にされるのは気持ちいいね。
ここでこの国の発展の為に尽くし、イスラムに改宗して妻を5~6人 持ち、子供を20人位つくる。
国民からいまだに大尊敬を受けている国の父、アタチュルクのように なるのも面白いかもね・・・。
板前さんが言ってたが、このホテルでの客の格は日本人が一番、次がドイツで以下白人様がつづくらしい。
いい国だね。

