体力が… | 日々感じる何でもない話

日々感じる何でもない話

50を過ぎて、まさか 突然の失業
からの、再就職
日々の出来事を綴ります

去年の7月 学生時代の友達4人と、十数年ぶりに再会し、旅行をした。


その時が楽しすぎて、これから年に一回集まって旅行しようとなった。

そして未だ一年経ってないのに、今年の旅行が決行された。

行き先は香川の金毘羅さん。



階段が沢山あるとは聞いていたが何の心配もせず出かけた。この前インボディで足の筋肉量が少ないと言われたが笑い話のネタにはすれど、正直あまり気に留めず。



お昼に琴平に着き、骨つき鶏で腹ごしらえ。

そして参道に。

お土産物店が並ぶ坂道から突然結構急な階段が現れ、前を歩く二人はスタスタと登っていくが、私はまずそのスピードについていけず。

私と並んで歩いてくれてた友達が、「ゆっくりでいいよ」とこれまた涼しい顔で私のペースに合わせて登ってくれるのだが、私はすぐに息が切れ始める。門の日陰で、お願いして水分補給の休憩。これって最初の山門。ここからスタートって場所なのに既にゼーゼーしてる私。そのあたりから私は必死で会話も途切れ途切れ。

先の二人は案内板のある桜馬場で待ってくれていた。

私に連れ添ってくれてる友達は馬の写真撮ってみたりと元気。私はもう少しじっくり休みたいところだったが、待たせた身としてはすぐに出発も致し方無い。



案内板の現在地を見ても分かるようにまだまだ序の口で、私は既にヘロヘロ。

気を取り直して登り始めるがすぐに先の二人は見えなくなり、私は限界に達して端の灯籠に座り込む。

お昼の鶏肉を吐きそうになり、これ以上一緒の友に迷惑はかけられない。先の二人に追いつけるうちに私を置いていってくれと頼み、分かれることにした。

しばらくしても復活出来ず、もっと日陰の人の少ない場所に移動しぐったりしていると、近くで同じ年恰好の女性の「今回の目標の展望台まではがんばる」と言う声が聞こえてきた。

私の友達は奥社まで行くと言っていたが、展望台とは別なのか?そもそも私はまだ手を合わせていない。お参りする所までも来てないってことか?金毘羅さんに来てどこにも参拝せずリタイヤするのは、何しに香川に来たん?ってなるなぁ。お参りする社ってどこ?せめてそこまで行こうと、体力の回復とともに、そう思えてきた。

そこからゆっくり階段を登り、何とか本宮にたどり着く。右手に展望台もあった。さっきの声の女性もいる。これで登りきったってことか。

そこから奥社があるとは知らず、そのあたりに友達の姿がないので、またどこかで友達を待たせてはいけないと急いで階段を降りる。

案内板まで戻って、確認すると本宮よりもっともっと上に奥社があるのだと分かり、少し元気になったけどもう一度登って追いかけてみる気にもなれず、ずっとぼーっと待つ事に。

降りてきた3人は想像以上に元気で驚き。しんどかったとかは一言もなかった。



自分の体力のなさ、そして器械で測った通り筋力量のなさを痛感した。本当に自分が情け無かった。


家に戻り、母に伝えると「私は74歳の時奥社まで登った」と更に追い討ちをかけられた。

悔しすぎる。近いうちに一人で弾丸金毘羅詣をやってやると決意し、用もないのにスーパーや駅の階段を昇り降りする私である。