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ハートフリースペースのSimple days

心と体はひとつです。体が不調な時、心は何かを訴えている。 心が不調な時、体は何かを訴えている。
心と体に耳を澄ませて、ラクに、シンプルに生きることを大切にしませんか。

まだ所々に雪の残る風景を眺めながら
スーパービュー踊り子号に乗って
伊豆高原「やすらぎの里」に向かっています
今日は「気づきのリトリート」です
昨年は七夕にさせていただきました
好評だったということで今日は2回目
どんな出会いがあるでしょう
ワクワクしています

13日、14日の2日間にわたり
日本ゲシュタルト療法学会の
第3回ワークショップ大会が東京で開催されました
大会テーマは「夢のワーク」
全国から多くの参加者が集まって下さり
第一線の日本人ファシリテーターに加えて
海外からビクトリア・ストーリーさん
ジャニス・ジェラルドさんをお迎えし
さまざまなアプローチで
さまざまな夢のワークが展開しました

まさに参加してくれた一人ひとりが創り上げた大会です
心に深く触れた2日間でした

私もワークの機会をいただきました
降りしきる雪に見守られて
それはそれは贅沢な時間でした
その場にいてくれた一人ひとりに
ありがとう

たった今、車窓から
雪を抱いた富士山が大きく見えています
外の澄んだ空気感を感じています
私が得ているものを
提供する機会をいただける幸せを思います




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新年あけましておめでとうございます


新しい年をどのように迎えていらっしゃるでしょうか


今年は、鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣に行きました

家族と友人の平安を願いました


散歩がてらに足を延ばした佐助稲荷神社では

墨汁と硯、筆、半紙の用意がありました

ふいに心に浮かんだ文字を書きたくなって書初めしました


書初めをするのは小学校以来のことでした


お参りをされているたくさんの人々を見ました

街行くたくさんの人々を見ました

見知らぬ大勢の人々とすれ違いながら

この地球に生きていること

この地球に生きているたくさんの生命を思いました


強い風に波が大きく寄せるを海を眺めながら

今年も私にできることを

惜しまず、急がず、丁寧にしていこうと静かな気持ちになりました


私は起きている事を受け止めることに困難を感じたとき

呼吸をしながら

以前クリス(クリスティン・プライス氏)から聞いた

僧の言葉を思い出します


「痛みに苦しみを付け加えるのは自分自身です」


こうして新年を迎えている今に感謝と信頼を寄せましょう

明日は仕事始め

カウンセリングは5日からです


今年もよろしくお願いします





今年もあと1日あまりとなりました

どのように過ごされていらっしゃるでしょうか

暮れもお正月も変わらずお仕事の方もいらっしゃいますね


私たち人間は言葉を持っています

人間にとって言葉による理解や意味を知ること大事ですね


だから私たちに一人ひとりにとって物語が大切なのです

誰の人生にも物語があるのです


今年もたくさんの方々の物語に出会いました

そして、そのたくさんの物語は現在進行形です


みなさまには今年1年、どのような年だったでしょうか


苦しい1年、つらい1年、悲しい1年だったかもしれません

うれしい1年、楽しい1年、幸せな1年だったかもしれません


どのような1年だったとしても

笑顔の瞬間、穏やかな瞬間、うれしい瞬間があったことでしょう

「少しだけ」「わずか」「ちょっと」こんな言葉は脇に置いて

どんな瞬間も”あった”ことを認めてあげましょう


あなたも私も

まだ物語にはならない”今”を生きているのかもしれません

今はまだ”わからない”ことでも

歩き続けたら、いつかそれは

あなたにとってかけがえのない物語になるでしょう


私たちは”わからない”ことが苦痛だったり、苦しみだったりしますね

なぜ私がこんな思いをするの?

もしかしたらすべてを”わかる”必要はないのかもしれません

目の前のことをひとつひとつやっていく

そうすることで、いつかあなたにとっての意味が見えてくるのかもしれません


今年後半、我が家族に大きな出来事がありました

本人も家族もまったく想像だにしない大きな不幸な出来事でした

驚きと混乱の中

私にできることをしながら

呼吸とともにこの出来事と向き合い続けています

ゲシュタルトの学びが私の中に生きていることを深く感謝します


今年も1年、ありがとうございました

本当にたくさんの方々と出会い

一緒に気づきを探究できる場をもらっていることに感謝でいっぱいです

未熟な時も、不十分な時もありますが

いつもいつも私の喜びの場であり、学びの場です

本当にありがとう


寒い年の瀬です

あたたかくしてお過ごしください

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください





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東京駅構内です。

10月の出張時に 観光客に交じって写した1枚です。

誰の一挙手一投足の背景にも物語があります。

この物語というものが、人間には必要なのですね。

意味付け、意味合いは、常に私という主人公にとっての必要であり

人間はそれを他者にも理解してほしいという欲求を備えていますね。


広大な大地に一人立つ時に感じる圧倒されるような何か。

人によってその感覚の中には

孤独感や寂寥感、頼りなさ、恐れといった感覚があるでしょう。


古代から人は天体の動きや生物のあり様などを観察し、考察し、

自らの行動の指針としてきました。


広大な大地に暮らす時

人間はこうやってあらゆるものに基準を見出そうと努力を惜しまず

それはなべてもあらゆるものに基準を必要としてきたのだといえます。


見出される基準によって、人間の行動、生活は変化していきます。


このように考えれば、あらゆる基準は後天的に、

いってみれば人間が勝手に考え出すものであることがわかります。


事物から法則を発見するのは(発見したと思うのは)


すべて人間の勝手な解釈だということも可能ですね。

何故なら法則という概念そのものが人間の定めたものだからです。


一度法則が発見されると、それが新しい基準になり、

その是非をあらゆる角度から検証することを繰り返す。


これが科学です。


言い換えれば人間とは基準を必要とする生物なのかもしれません。

日常の中で一人ひとりが拠り所にする基準、

多くは「~すべき」「~した方がいい」と表現される事柄は、

いつかどこかで人間が勝手に考えたものなのですね。

それがいい、悪い、と言っているのではありません。

役に立たないと言っているのでもないのです。

ただ、人間に拠り所となる何らかの基準が必要だとしたら、

その基準が自分を幸せにするものであってほしい。

もし、その基準を持つことで苦しいのだとしたら、

それは貴方に本当に必要な基準なのでしょうか。

当たり前、と思っていることは

本当に当たり前なのでしょうか…

検討してみる価値はありそうですね。

もっと貴方にふさわしい、

貴方が幸せになるために役に立つ基準を見つけることができるのかもしれません。


誰かの機嫌が悪い時
その原因が自分にあるのではないか
そう思うと
体が縮こまるような感じがするものですね

思い当たることがないのに
どの言葉が気にさわったのかな
何かマズイことをしたかな
頭の中は堂々めぐりをはじめます

誰でも機嫌は一定ではありません
ちょっとしたことで上がったり下がったり

誰にとっても機嫌は自分のものなのです

肌にあたる風を
心地良いと感じるか、冷たいと感じるか
一人ひとり、その時その時で違います

誰かの機嫌が悪いのを見るのは
嬉しくはありません
その人と楽しく過ごしたいと思っていたら
悲しくなるかもしれません
腹がたつかもしれません

けれどその機嫌の責任まで負う必要はないのです
誰かの機嫌はその誰かのもので
あなたの所有物ではないのですから

機嫌の悪いのを見て悲しかったら
この悲しみは自分のものです
腹がたつなら
この怒りは自分のものです
自分の感情なら責任を負うこともできますね

この悲しみや怒りのためにできることは何でしょう
機嫌の悪い理由を尋ねたいかもしれません
気にするのをやめて放っておきたいかもしれません




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ハートフリースペースのSimple days

佐島の夕景です

富士山から左前方に向かって、斜めに伸びているのは

西に傾く太陽が照らし出す富士山の影です


先月、同じ場所で見たときは

この影が、まっすぐ前方に向かって台形に伸びていて

とても不思議な光景でした


なんだろう?

雲にしては不思議な形だなぁ?

宇宙船が来たのかしら、まさかね?と首をひねっていると

隣にいた人が富士山の影だよ、と教えてくれました

影に富士山が隠れていたのですね


私たちは何かに気づくと注意(意識)を向けることができる

そうするとその気づきはそれが何であるのかという気づきにつながる

やがて私たちはそこに意味を見出すことができる


意味を見出した瞬間の満たされるような感覚は


時には幾重にも織り込まれた手紡ぎのタペストリーのような

時には満ちてくる潮が打ち寄せる波のような

時には日の傾きに染め上げられていく空のような


私の中に言葉では言い尽くせない畏敬の気持ちを呼び起こします


誰の中にもある真実

「気づきはそれだけで癒しである」

パールズの言葉が胸に響きます




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こうして何か書こうとすると
忙しくてなかなか書けなくて、ごめんなさい
と、言い訳をしたくなる私がいます
写真はメキシコで出会った孔雀です

今日は七夕ですね

今週は2日間スティーブ・ヴィナイ・ガンサー氏のワークショップに参加してきました

家族コンステレーションのワークに触れるたびに
私の中で何かが拡がっていく感覚を味わいます

どのような状況、どのような事情、どのような考えや思いがあろうと
はっきりと目の前に表れる事実を見ることで
私は命の存在を受け取っているように思います

いいとか 悪いとか
正しいとか 間違っているとか
嬉しいとか 悲しいとか 腹立たしいとか
全てを包括したところに人間の尊厳がある

全てを超えて、ということかもしれません

全体を見なければ何もわからないのです
無視していること
見ないようにしていることがあると
真実を生きることが困難になる

私たち人間には
見たくないもの、認めたくないものが
たくさんありますね

「わたし」という人間の全体を知る旅は
その気持ちに気づくところから始まるのですね

出会った一人ひとりが愛おしくなりました
帰る時には感謝の気持ちでいっぱいでした

この余韻を胸にしながら
伊豆高原の「やすらぎの里」に向かっています
気づきのリトリート
残念ながら七夕の星空は見られそうにありませんが
どんな出会いがあるかワクワクしています


















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関東は昨日、梅雨入り宣言が出たようです
今日は梅雨の合間、気持ちの良い一日でした

日本は湿度が高いので
梅雨といえばジメジメ、蒸し蒸しで
あまり良いイメージではありませんが
私は雨の日もとても好きです

中学から高校生の頃
雨の日はわざと傘をささずに歩いたものです

大地を潤す恵みを欲したのかもしれません
何かを流したかったのかもしれません

雨の日はまた
いつもより少しだけ
静かな優しい気持ちにもなりました

現実社会、大人たちの間で
生きることと格闘していた私に
雨はいつでもそっと、時には激しく
触れて包んでくれました
何度も涙を隠してもくれましたっけ

生きているということは
いくつもの始まりと終わりが
幾重にも重なりながら連続していくこと

このような意味の言葉を
誰かの本で読んだような気がします




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今年も出会えました
満開のなんじゃもんじゃの木
眺めながら
昨年の今頃もここを歩いたことや
その時のワークショップの事を思い出していました

こうして再び出会えることの有難さを
しみじみと感じる時間でした

「これまで自分がやってきた大抵のことは
うまくやろうとしていたと気づきました
そして、うまくやれなかったり
他のうまい人を見たりするたびに
ああ、だめだ、と諦めてきました」

「これからは、楽しんでやりたい
自分の感覚を感じて
感じたものをリズムにのせて
いつかそれを形を通してもできたら…
でも、まず楽しみたい」

「好きなものが、ひとつ見つかりました」

何かしたいけれど、何をしたいのか分からない
そう言っていたAさんの素敵な発見です







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桜ももう終わりですね
これは少し前に見かけた黄桜です
美しいものに出会った時
ただ、ただ見惚れるばかりで
写真に撮る
という習慣が身につきません


記憶はやがて薄れていきますが

いくつかは

その時の思いがいつまでも心に焼き付いていることがあります

美しい瞬間をそっくりそのまま切り取って残しておきたい

このような願いも持つことがあります


それでも

一瞬、一瞬の美しい瞬間を全身で感じたい

その瞬間をいとおしみ

その瞬間を感謝しながら



今日から連休の方も多いことでしょう

あなたにとっての美しい瞬間に出会えますように





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