東京駅構内です。
10月の出張時に 観光客に交じって写した1枚です。
誰の一挙手一投足の背景にも物語があります。
この物語というものが、人間には必要なのですね。
意味付け、意味合いは、常に私という主人公にとっての必要であり
人間はそれを他者にも理解してほしいという欲求を備えていますね。
広大な大地に一人立つ時に感じる圧倒されるような何か。
人によってその感覚の中には
孤独感や寂寥感、頼りなさ、恐れといった感覚があるでしょう。
古代から人は天体の動きや生物のあり様などを観察し、考察し、
自らの行動の指針としてきました。
広大な大地に暮らす時
人間はこうやってあらゆるものに基準を見出そうと努力を惜しまず
それはなべてもあらゆるものに基準を必要としてきたのだといえます。
見出される基準によって、人間の行動、生活は変化していきます。
このように考えれば、あらゆる基準は後天的に、
いってみれば人間が勝手に考え出すものであることがわかります。
事物から法則を発見するのは(発見したと思うのは)
すべて人間の勝手な解釈だということも可能ですね。
何故なら法則という概念そのものが人間の定めたものだからです。
一度法則が発見されると、それが新しい基準になり、
その是非をあらゆる角度から検証することを繰り返す。
これが科学です。
言い換えれば人間とは基準を必要とする生物なのかもしれません。
日常の中で一人ひとりが拠り所にする基準、
多くは「~すべき」「~した方がいい」と表現される事柄は、
いつかどこかで人間が勝手に考えたものなのですね。
それがいい、悪い、と言っているのではありません。
役に立たないと言っているのでもないのです。
ただ、人間に拠り所となる何らかの基準が必要だとしたら、
その基準が自分を幸せにするものであってほしい。
もし、その基準を持つことで苦しいのだとしたら、
それは貴方に本当に必要な基準なのでしょうか。
当たり前、と思っていることは
本当に当たり前なのでしょうか…
検討してみる価値はありそうですね。
もっと貴方にふさわしい、
貴方が幸せになるために役に立つ基準を見つけることができるのかもしれません。