おわりははじまりー43「吾が太陽を取り戻す」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



おわりははじまりー42「戦国パイレーツ里見一族の鎮魂と平和」の続きとなります。



さあ、「上総の國」なんですよ。

そして、「東京湾」なんです。

それを繋ぐのが「びゃくだん(九十九段)とひゃくだん(百段)」で、

「白」から「百」へ「一」繰り上がるなんですよ。







川崎と上総の國を挟むのは「東京湾」で、

そこへ「祈りと誓い」を果たしたまきちゃんと私。

東京湾に沈んだ「物・モノ」は「先祖の御魂」「四神と聖獣」だけではございません。

そこで思い出すのは、東京湾に身を鎮めた「あの姫君」

日本武尊が走水から上総の國へ向けて船出し、

走水の海が大荒れに荒れ、先へ進むのが困難になった時、

「私が飛び込んで鎮めます~」って、人身御供となったのが、

日本武尊の妃である「弟橘媛」でございます。







さあ、「ナ=名」は重要で、「ナ=名」は核ですよ。

(音が重要で核だってことなのですが)

「問い」を解いていくのには欠かせない要素です。







「袖ヶ浦市」「君津市」「木更津市」「富津市」

上総の國の「ナ=名」の由来は、「日本武尊と弟橘媛」の二人の伝説から来ています。

「弟橘媛=音立華姫」と上総の國は切っても切れない縁がございます。







「弟橘媛」の「ナ=名」は「音立華姫」であることが「重要で核」となってます。

弟橘媛って、武運を占い祈る「巫女」として帯同してたのかしらね。

以前「巫女体質は "白" からアプローチしてくる」って書いてまして。







ということは、「白=九十九=つくも」からアプローチしてくる、にも置き換えられるよね。

でも、今や、「白から百への道がひらいてる」のですよね。

白のアプローチの、次のプロセスが待ってるんですよ。

それって、どういうことなんだろうか。



日本武尊と弟橘媛一行が、上総の國へ出航した地の

「走水神社」へも、まきちゃんと共に訪れておりました。




木花咲耶姫と磐長姫の伝言-15「弟橘媛」



御祭神は、「日本武尊と弟橘媛」です。

訪れた日にちは2020年7月20日のこと。

走水神社の例祭の翌日で、私の誕生日の翌日でした。

翌日とは、当日に「一つ」足した数の日であり、

例祭と誕生日の翌日だったので、「一つ」年を重ねた翌日。

この事実を解いてみると、「一繰り上がる」の「暗合の暗号」が浮上します。




木花咲耶姫と磐長姫の伝言-15「弟橘媛」



走水神社公式ホームページの由緒の中に「問いの解い」を発見しました。

上総、下総、常陸、日高見の国々の
蝦夷を討ち平らげて大和に帰る途中、
碓氷峠(群馬県)から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、
その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び
「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたという、
そしてこれをもって東国を東(吾妻)「アズマ」と
呼ぶようになったといわれております。



日高見(ひたかみ)って何?
日高見(ひたかみ)ってどこ?

「日(ひ)つ上(かみ)の国」の意で、太陽の出る方向の国

すなわち東方の国をいう。

その日高見国を流れる川「日高見国の母なる川」の意味が、

日高見川(ヒタカミ川)→キタカミ川で、

北上川とあて字をするようになったらしい。

元々、岩手県の真ん中を北から南へ貫いてる川でもありますので、

確かに、「北が上」の川でございます。

(北が神ってなると天之御中主神に行き着く)




アイは地球を掬ぶー22「天之御中主神が呼んでいる」



岩手の北上(きたかみ)川って、日高見川でもあったらしいのです。









ということは、「北上の開闢」とは「日高見の開闢」に言い換えることもできます。

日本武尊が「嗚呼、吾が妻よ」と弟橘媛を呼んだから「吾妻=東」です。

まきちゃんね~、2020年10月15日にこんなこと言ってたんですよ。

「音 断ち 鼻 秘め」だって。




木花咲耶姫と磐長姫の伝言-36「秘め」白山番外編



「弟橘媛=音立華姫」が流れ着いた上総の國が真ん中の鼻ならば、

断ち(ひらき・ほどき)、立ち(自立)、

結びに達(ち)して、「繋がる」ことを指している。







波上宮の構造と一緒です。




おわりははじまりー9「6と9の87〇」



ってことはよ。

真ん中の上総の國を「山折り」にして、「表に出す」と。

それが「びゃくだん(九十九段)からひゃくだん(百段)へ」でもあるのよね。

「裏に隠れる」「影(陰)となる」ことではないのです。



弟橘媛は、「音 立ち 華 姫」で「音(乙)姫」です。

あやちゃんに伝えられた「吾妻の音姫たちよ振り子に乗りなさい」の「吾妻の音姫」です。




一石何鳥が動くー137「吾妻の音姫たちよ振り子に乗りなさい」



「音立(達)華姫」の「吾妻の音姫」は、「日高見の音姫」でもある。

「日高見」って「RISING SUN=日の出」でもありますよね。

「SUN」とは「日・太陽」のことだよね。

忘れてはならないのは「本来の和多志に還る」ということなんですよ。

そこで、「平塚雷鳥」が唱えていた「元始、女性は太陽だった」なのです。







今、再び、平塚雷鳥により1991年に言挙げされた音が蘇る。

断たれた音を、再び、立たせる。







吾が太陽を取り戻す



和多志に還ること

白のアプローチの、次のプロセスが待ってるんですよ。

白のアプローチとは「白道(はくどう)」のことです。

白道とは、「月の天球上の通り道」のことを言います。

でもね、和多志たちは、太陽なんですよ。




宇宙の真ん中で愛智を学ぶー27「元始女性は太陽であった」



惑う星ではなくて、恒星の、自ら光を放つ太陽なんですよ。

「太陽の天球上での通り道」のことを、「黄道」と言います。

「次のプロセス」とは、太陽の道なんです。

たとえ、雲の陰に隠れたとしても、

太陽は太陽で、太陽であることに変わりないんですよ。

但し、振り子に乗りなさい、なんだから、

月の動きも働きも内包している太陽なんですよ。

どちらか一方だと振り子に乗ってる意味が無いから。







「白道から黄道」へ

太陽の自覚を忘れるなってことです。







「びゃくだんからひゃくだんへ」

そうやって掘り下げてみると、「麒麟と黄金の道」が、

何の道であり、何の風を吹かすのか、

また、一層、腑に落ちてまいります。



おわりははじまりー44「視点の転換」へ続く







大変申し訳ございません。
現在、個人的なご質問ご相談
お応えお答えすることをお受けしておりません。
どうかご了承くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。