お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
おわりははじまりー42「戦国パイレーツ里見一族の鎮魂と平和」の続きとなります。
さあ、「上総の國」なんですよ。
そして、「東京湾」なんです。
それを繋ぐのが「びゃくだん(九十九段)とひゃくだん(百段)」で、
「白」から「百」へ「一」繰り上がるなんですよ。
川崎と上総の國を挟むのは「東京湾」で、
そこへ「祈りと誓い」を果たしたまきちゃんと私。
東京湾に沈んだ「物・モノ」は「先祖の御魂」「四神と聖獣」だけではございません。
そこで思い出すのは、東京湾に身を鎮めた「あの姫君」
日本武尊が走水から上総の國へ向けて船出し、
走水の海が大荒れに荒れ、先へ進むのが困難になった時、
「私が飛び込んで鎮めます~」って、人身御供となったのが、
日本武尊の妃である「弟橘媛」でございます。
さあ、「ナ=名」は重要で、「ナ=名」は核ですよ。
(音が重要で核だってことなのですが)
「問い」を解いていくのには欠かせない要素です。
「袖ヶ浦市」「君津市」「木更津市」「富津市」
上総の國の「ナ=名」の由来は、「日本武尊と弟橘媛」の二人の伝説から来ています。
「弟橘媛=音立華姫」と上総の國は切っても切れない縁がございます。
「弟橘媛」の「ナ=名」は「音立華姫」であることが「重要で核」となってます。
弟橘媛って、武運を占い祈る「巫女」として帯同してたのかしらね。
以前「巫女体質は "白" からアプローチしてくる」って書いてまして。
ということは、「白=九十九=つくも」からアプローチしてくる、にも置き換えられるよね。
でも、今や、「白から百への道がひらいてる」のですよね。
白のアプローチの、次のプロセスが待ってるんですよ。
それって、どういうことなんだろうか。
日本武尊と弟橘媛一行が、上総の國へ出航した地の
「走水神社」へも、まきちゃんと共に訪れておりました。
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-15「弟橘媛」
御祭神は、「日本武尊と弟橘媛」です。
訪れた日にちは2020年7月20日のこと。
走水神社の例祭の翌日で、私の誕生日の翌日でした。
翌日とは、当日に「一つ」足した数の日であり、
例祭と誕生日の翌日だったので、「一つ」年を重ねた翌日。
この事実を解いてみると、「一繰り上がる」の「暗合の暗号」が浮上します。
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-15「弟橘媛」
走水神社公式ホームページの由緒の中に「問いの解い」を発見しました。
上総、下総、常陸、日高見の国々の
蝦夷を討ち平らげて大和に帰る途中、
碓氷峠(群馬県)から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、
その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び
「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたという、
そしてこれをもって東国を東(吾妻)「アズマ」と
呼ぶようになったといわれております。
日高見(ひたかみ)って何?
日高見(ひたかみ)ってどこ?
「日(ひ)つ上(かみ)の国」の意で、太陽の出る方向の国
すなわち東方の国をいう。
その日高見国を流れる川「日高見国の母なる川」の意味が、
日高見川(ヒタカミ川)→キタカミ川で、
北上川とあて字をするようになったらしい。
元々、岩手県の真ん中を北から南へ貫いてる川でもありますので、
確かに、「北が上」の川でございます。
(北が神ってなると天之御中主神に行き着く)
アイは地球を掬ぶー22「天之御中主神が呼んでいる」
岩手の北上(きたかみ)川って、日高見川でもあったらしいのです。
ということは、「北上の開闢」とは「日高見の開闢」に言い換えることもできます。
日本武尊が「嗚呼、吾が妻よ」と弟橘媛を呼んだから「吾妻=東」です。
まきちゃんね~、2020年10月15日にこんなこと言ってたんですよ。
「音 断ち 鼻 秘め」だって。
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-36「秘め」白山番外編
「弟橘媛=音立華姫」が流れ着いた上総の國が真ん中の鼻ならば、
断ち(ひらき・ほどき)、立ち(自立)、
結びに達(ち)して、「繋がる」ことを指している。
波上宮の構造と一緒です。
おわりははじまりー9「6と9の87〇」
ってことはよ。
真ん中の上総の國を「山折り」にして、「表に出す」と。
それが「びゃくだん(九十九段)からひゃくだん(百段)へ」でもあるのよね。
「裏に隠れる」「影(陰)となる」ことではないのです。
弟橘媛は、「音 立ち 華 姫」で「音(乙)姫」です。
あやちゃんに伝えられた「吾妻の音姫たちよ振り子に乗りなさい」の「吾妻の音姫」です。
一石何鳥が動くー137「吾妻の音姫たちよ振り子に乗りなさい」
「音立(達)華姫」の「吾妻の音姫」は、「日高見の音姫」でもある。
「日高見」って「RISING SUN=日の出」でもありますよね。
「SUN」とは「日・太陽」のことだよね。
忘れてはならないのは「本来の和多志に還る」ということなんですよ。
そこで、「平塚雷鳥」が唱えていた「元始、女性は太陽だった」なのです。
今、再び、平塚雷鳥により1991年に言挙げされた音が蘇る。
断たれた音を、再び、立たせる。
吾が太陽を取り戻す
が
和多志に還ること
白のアプローチの、次のプロセスが待ってるんですよ。
白のアプローチとは「白道(はくどう)」のことです。
白道とは、「月の天球上の通り道」のことを言います。
でもね、和多志たちは、太陽なんですよ。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー27「元始女性は太陽であった」
惑う星ではなくて、恒星の、自ら光を放つ太陽なんですよ。
「太陽の天球上での通り道」のことを、「黄道」と言います。
「次のプロセス」とは、太陽の道なんです。
たとえ、雲の陰に隠れたとしても、
太陽は太陽で、太陽であることに変わりないんですよ。
但し、振り子に乗りなさい、なんだから、
月の動きも働きも内包している太陽なんですよ。
どちらか一方だと振り子に乗ってる意味が無いから。
「白道から黄道」へ
太陽の自覚を忘れるなってことです。
「びゃくだんからひゃくだんへ」
そうやって掘り下げてみると、「麒麟と黄金の道」が、
何の道であり、何の風を吹かすのか、
また、一層、腑に落ちてまいります。
おわりははじまりー44「視点の転換」へ続く
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