一石何鳥が動くー63「双子古墳の井上の二枚看板」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

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人生の彩どり師・関みゆ紀です。



一石何鳥が動くー62「石舞台劇場の開幕」の続きです。



「高松塚古墳」と「キトラ古墳」は、「双子の古墳」と表現されたりします。







両方とも山型の墳丘です。







「高松塚古墳」は、教科書に載っていたこの壁画で有名ですね。







双子の古墳の、特徴を観てまいりましょう。

双方の天井は、「高松塚古墳」が「星宿図」

「キトラ古墳」には「天文図」が描かれており、

「星空の天井」という点は一致しております。







「天井」とは、「天の意」=「愛」ですから、

天体の動きに(宇宙の理)に「神の意」があるともいえます。

だから、月の動き、太陽の動き、惑星の動きは人に影響します。

双子は、「井上の二枚看板」です。







石室の東西南北の壁に、四神相応の霊獣が描かれておりますが、

その壁画のタッチから、作者は、同一人物であろうと推測されています。

これは、「北の玄武」と「東の青龍」の壁画ですが、似ています。







本来なら、一年前にここを訪れているはずだったのです。

2021年5月2日、あやちゃんは、白虎さんのメッセージを伝えてくれました。







それは、一年後の2022年5月2日の「高松塚古墳」と







「キトラ古墳」の為のものでもありました。







双方とも、盗掘により南壁の「朱雀の門」が開けられていたからです。







火は南、伝達本能です。

「朱雀の門」が開けられたので

そこに何があるのか「表現・情報」の開示が行われた、

ということになるのでしょう。







ここで、残念なことと、奇跡なことが、あります。

残念なことは、盗掘で南壁が壊されたことにより、

「高松塚古墳」の「朱雀の壁画」が失われてしまいました。

奇跡なことは、「キトラ古墳」の南壁の穴は、

「朱雀の壁画」を避けて開けられていた為、

残ることになったのです。

かたや消え、かたや残る。

情報や表現の開示の在り方や型出しを考えさせられる。

その奇跡的に残った「キトラ古墳」の「朱雀の壁画」がこちらです。







恐らく、「高松塚古墳」も同様の壁画であったと思われます。







失われた朱雀の「高松塚古墳」残された朱雀の「キトラ古墳」

井上の二枚看板は、このようになります。







さて、残るは「西の白虎」です。

ここに、あやちゃんの去年の5月3日に掲載されたメッセージの謎解きがあります。





「キトラ古墳」は、昔から土地の人に「キトラ」と呼ばれていたそうで、

その名前の由来は諸説あります。


🌟中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、


🌟南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、


🌟キトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため

四神のうちの、北の亀(玄武)と西の虎(白虎) から

「亀虎」と呼ばれていたという説




この説を合体させて、暗号を引き出すと、



北の浦(裏)は=南、

キトラ=亀虎(北西)は、朱雀(南)を匂わせる。








双子の古墳は、「白虎の向き」が決定的に違うのです。







白虎が南を向いている「高松塚古墳」が火だとしたら、

白虎が北を向いている「キトラ古墳」が水になります。







双子の古墳は、ツインで六芒星になり、和合して「カミ・神」になります。

ってことは、ここに埋葬されている人物は誰と誰?







白虎は、火と水を抑えておりました。







さて、「西の白虎」って、何の象徴でしたっけ?

腰「かなめ」って来た~!







一石何鳥が動くー64「西の女は要と神名目」に続く。




 

 

 






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