お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー79「みかみくもの向こう」より続いております。
なぜ、まきちゃんに「はらえどのおうじの"戸"が違う」ではなく、
「はらえどのおおじの"戸"が違う」と伝えてきたのか、疑問でした。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー77「はらえどのおおじの"戸"が違う」
「王子」は、「おうじ」と表記するのがセオリーですが、
「おおじ」という「音」の方で伝えてきているわけです。
「おおじ」は、「大路」で、
道・ルートも含めて観た上で、
戸=ゲートが違いますよと。
だから、「はらえどのおおじ」は、
熊野本宮大社の直近の禊場のことだけでなく、
熊野那智大社、熊野速玉大社にも、掛かっている。
熊野三山全体を観てみなさいよ、の意図が窺えます。
熊野本宮大社の元宮は、大斎原(おおゆのはら)ですが、
熊野那智大社の大元は、那智大瀧(飛瀧神社)
熊野速玉大社の大元は、ゴトビキ岩(神倉神社)
だと言われています。
従って、元宮・大元の、この三点を直接結んでみる。
なるほど、「戸」も違うし、「おおじ」も違います。
こんな伝え方をするということは、
どこに、何に、視点を向けさせたいのか、の意図が感じられます。
原点(本質)を観よ、ということです。
原点とは、この三つの場所ですよね。
中州の森と、瀧と、岩。
自然が原点だと言っている。
もっとシンプルにすると、♀と♂が原点だと言っている。
異なるものと異なるものが、融合・和合・統合した時に、
よみがえり、再生は行われる、ということです。
それが、進化の法則なのだということ。
だから、時代が変わる時、困難が起きているということは、
異なるものと異なるものが、
融合・和合・統合のプロセスが起きているということ。
ということは、
陰と陽が物事の原点なんですと伝えてきている。
そこを観ておかないと、時代の波に翻弄される。
どっちかに偏ると、何が起きているか理解できないまま、
混沌の中で正氣を失い、自分の真ん中から外れていく。
宇宙の真ん中で愛智(フィロソフィー)を学ぶ。
宇宙の真ん中って、自分の真ん中です。
そこにいないと、「愛智」はわからない。
人類最初の男と女、アダムとイヴ。
これが、社会の最小単位。
創世記でいえば、
出雲は、カインとアベルの兄弟。
熊野は、アダムとイヴの男女。
人間社会の原点、「型出し」が目の前に現れました。
熊の「クマ」とは、「神」や「隅」を表し、
「隅」とは、隅っこ、端っこ。暗い場所。
熊野は、「神々のおわす奥まった地」という意味。
自然(アニミズム)が原点なら、
今、祀られている神々よりももっと前から、
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー19「二羽の八咫烏は先導する」
その土地に存在していた、ということだと思います。
さて、宇宙の真ん中で愛智を学ぶー69「69」で、
なぜ、八咫烏は、あやちゃんに、カゴメカゴメを唄ったのでしょうか。
【QUOTE】
沖縄で伝わるカゴメカゴメは、
「後ろの正面 だ~~~ぁれ?」の後に、
鬼が唄うそうです。
「ひーとり、ふーたり、さんにんの子、
やーぁと数えてひとふたり、あのひとさーぁ、
このひとさ☝!!」
一人、二人、三人の子。
アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子?!
何を、誰を、指してる?
【UNQUOTE】
ここで、肝心なことを見落としていることに氣が付きました。
出雲大社に祀られているのは、
「大国主」だということと、
出雲の原点は、
「スサノオ」と「クシナダヒメ」の
須我神社にあるということを。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー81「八雲立つ」に続く。