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人生の彩どり師・関みゆ紀です。
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木花咲耶姫と磐長姫の伝言-86「穴守スピンオフ・固定観念」より続いております。
私のチーム三五太郎が伝えてきているのは、
日本の原点を見直せ。
日本の神様の名前は、稲穂と米と田んぼは外せません。
クシナダヒメ・奇稲田姫・櫛稲田姫もそうですし、
ニニギノミコト・瓊瓊杵尊・邇邇芸命は、
ホノニニギノミコトとも呼び、「ホ」は稲穂、
ニニギは賑やか、賑わうの「ニギ」を重ねた語で、
「稲穂」が豊かに「実る」ことを予祝してつけた名称。
また、日本人の苗字にも「田」の付く名前は、
たくさんあって切り離すことはできません。
例えば、私の旧姓の「前田」は、
何の前を指しているのかというと、
恐らく、神様(神社)の前の田んぼのことです。
そして、五十音図とは、田んぼを表しています。
一音一音は稲穂であり、稲(イネ)とは、五音(イネ)です。
磐長姫(イワナガヒメ)の「イワ」また、石・岩の「イワ」は、
「五葉・イワ」=五つの母音、「五十葉・イワ」=五十音を表しています。
音の一つ一つの働きが、神のごとき働きです。
だって、
あ い う え お
それぞれ一音一音発してみてください。
意味するところが違うでしょう?
一つ一つに意志があります。
周波数が違うということです。
はじめに言葉ありき。
宇宙は音からできている。
一つ一つの音が神の働きであるということ。
そして、私たちは、音の周波数で動いています。
モヤモヤしている時に、言葉にして人に話したり、
文章にして紙に書き出してみたりすると、
スッキリと整理されるでしょう。
音で方向性をハッキリさせたからです。
音が意識を明確にさせています。
何かの、誰かの言葉で救われたことがあったのなら、
その音が意識の方向性を導いたということです。
五つの母音が基本形となって話される日本語は、
他国にはない穏やかな和の周波数を持っています。
外国人が日本語を覚えて自国へ帰ると、
性格が穏やかになったと言われる、という話を耳にします。
これは、嘘ではないと思います。
天皇が即位する時の一代一回限りの儀式である大嘗祭は、
東の悠紀殿(田)・ゆきでん
西の主基殿(田)・すきでん
を分けて建て、五穀豊穣と国民の安寧を祈ります。
それも、五十音図の田んぼの世界です。
五十音図を二つにした真ん中のそれぞれの文字を中心に、
ユ=東 ス=西 に分かれています。
ちなみに、
2019年11月14日の令和天皇が行った大嘗祭では、
悠紀地方(東日本)の栃木県の「とちぎの星」
主基地方(西日本)では京都府の「キヌヒカリ」
が、奉納されています。
ア行とワ行の、8行の間が、八間=やま=山です。
国津神の山の神、
オオヤマツミノカミ(大山祇神・大山津見神)が、
コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)の富士山が、
ドンと聳え立つ世界が葦原中国(あしはらのなかつくに)です。
オオヤマツミノカミ(大山祇神・大山津見神)の別名は、
和多志大神と言うそうです。
和多志は、「わたし」です。
和を多く志すですよね。
全体と調和する神様ということです。
和を以て貴しと成す精神が、
そういう「和多志」が「わたし」には含まれているのです。
それは、山と大地(田んぼ)が繋がっているように、
分断された世界ではありません。
戦前は、日本語には「和多志」という言葉があったそうです。
今では使われておりませんけどね。
日本のマインドって、吾は、和多志である、んですよね。
真ん中が、和多志
葦原中国(あしはらのなかつくに)は田んぼの世界。
AW日本母音シスターズに、ダブルでフォーメーションを組まれ
ガッチリと両側から支えられている世界が、
葦原中国(あしはらのなかつくに)なのです。
二つは一つ、
一つは二つ。
木花咲耶姫と磐長姫は、ワンセットでした。
「双子・二子・ツインズ・ダブル・相似」でした。
和多志大神である、オオヤマツミノカミ(大山祇神・大山津見神)は、
百の世界の調和の為に、ニニギノミコトへ娘二人を嫁がせようとしましたが、
う ウ 有
ん ム 無
と、ニニギノミコトが言わなかったために、
二つの世界は分断されてしまいました。
現象世界と潜象世界の分離です。
だから私は、木花咲耶姫と磐長姫の伝言-3「力石」で、
芝大神宮にあった力石にしがみつく霊体を観たのに、
観なかったことにしようとしたことをやめて、
在るものは有る。
居るものは要る。
と、認めたのです。
本質が何か見抜く力が無くなっちゃったら、
ニニギノミコトの繰り返しのパターンになっちゃうから。
男子(オノコ)の繰り返しのパターンを、
女人の和多志がやったら本末転倒でしょと。
本質を見抜く力を磨かないと、
肯定する、認める力を磨かないと、
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-7「先祖のミタマ」に書いたように、
「人は死んだら終わりだ。
死後の世界なんかない。
だから幽霊なんていない。
何も残らない。
人は死んだらゼロになるのだ。」
生前そう言って亡くなった私の父みたいに、
生前に吐いた自分の言葉の重石(力石)を抱えて、
この世に留まっちゃうよ。
言葉が意識を創っちゃうから。
人は死んだらゼロじゃないんだから。
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-88「愛宕神社」に続く。
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