木花咲耶姫と磐長姫の伝言-49「暁卯辰」金沢編 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

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人生の彩どり師・関みゆ紀です。



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木花咲耶姫と磐長姫の伝言-48「金沢ゲート」金沢編より続いております。



金沢三日目。

朝、目覚めてハッとします。

なぜ、手首を掴まれていたか。

木花咲耶姫と磐長姫の伝言-35「あかつき」白山編で書いた疑問の答えが来ました。

手首に違和感がある時は、

一つになりたいという意図があるということ。



意を一つにしたい。

だから、統合、和合のサインみたいなものかも知れません。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-24「周波数」で、

一年前に亡くなった叔母が私の左腕にしがみついてきた話を書きました。

その時に左手首を掴んだまま話さず、

次は右手の手首を掴み、

最後に首から私の中に入ってこようとしたんですね。

その時のことを思い出したのです。

全部、ポイントが「首」という名が付くところでした。

だから、身体の「首」と名の付く箇所は、

重要だということになります。



手首の前は、「手を取る」がサインでした。

手を取って教えるが基本だったのが、移行したのです。



首実検とは、「首を取る(獲る)」ことで手柄の証とすること。

大したことないことを得意げに自慢することを、

「鬼の首を取ったように」なんて言い回しもありますが。






だから、
「首で一つにする」だったのです。



そんなこと言われたって、

私も嫌なものは嫌だし、

一つになっちゃいけないものと一つになっちゃったら、

まずい事態に陥りかねないので、

何でもかんでもイエスにするわけには参りません。



だから、夢で観た場所に行かないと決めた時、

頭の中に、せっかく来たのにな、

という左脳的条件が頭に走ったのですが、

氣乗りしなかったので止める、

にして正解だったと思っています。



神様、間違っているかも知れないけど、

この道を進みます。

軌道修正のサインが来たら、変えればよいだけの話。



自分以外の家の訪れる場所は、

全てアウェイです。

他所様の場所にお邪魔する余所者です。

だから、ご挨拶やプロテクトは大切なことです。

浮かれ氣分でいると、首だけじゃなくて、足を取られる。

自分の家にいたって、すっころんで、左足の甲を腫らしてるんですから。

丁寧に、丁寧に。

焦らずに、焦らずに。



女性は、妊娠とか、閉経とか、ホルモンのバランスが切り替わる時、

そういう時は、見えない世界がアクセスしてくるチャンスなのでは?

と推察しています。

神経とは、神の経路ですから、魂の経路でもあります。

ホルモンのバランスが変わる時が、「やりやすい」のではないかと。

私のように、体感でアクセスする絶好の機会として遣われる、ということです。

あ!これ、私の思い込みと勘違いの世界だから話半分で受け取ってください。

私自身が、絶対的な半信半疑の人間なので。



私は、以前、夫の後ろで転ばないように支えている存在を観たことがあります。

視覚化して、私に見せた、ということだと思うのですが、

人って守られている存在なんだな、一人ではないんだな、

そう思ったんですね。

いつだって、背後でやきもきして見守っている。

あっち行ったら危ないよってことを伝えたい、

あそこのポスターに必要なこと書いてあるよ、

目が行くよう、足が向くよう、チームで支えています。

本人の主体性と自発的行動が、

進化・深化・神化の道なので、

介入し過ぎぬように氣を付けながら。



だから、氣になることそのものが、

後ろのチームのサポートだと思うのです。

それを、左脳的条件で追いやると、

後ろのチームの働きかけは水の泡。



私みたいな、面白がって書いて行く「伝え手」や「書き手」がいると、

皆さんへ認識してもらうチャンスになるから、畳み掛けてくる。

だって、皆、氣のせいで済ませちゃうでしょ?

そうなんですよ。

氣のせいなんです。

氣が起こしてるから。



ドリフのコントみたいに観客席から、

「志村~!うしろ、うしろ~!」って言ってるのですが、

舞台上の役者である私たちは、見ないふり聞こえないふりしてる。

でも、もう、本氣と書いてマジな新しいフェーズに入っちゃってるから、

観客と一体型で楽しむに移行してきてるので、

今までのパターンとか、脚本はなく、

自分で筋書き描いて、演じていくんですよ。



あんまり、譬えがよろしくないですかね。



というわけで、金沢城を訪れました。







氣をしっかり持って、ご挨拶をいたします。

夫に、神社じゃないのにご挨拶するの?と言われたのですが、

古い場所に訪れる時は特に、氣を引き締めておいた方がいいですよ。

色んな想いも詰まっております故。

あくまでも、投げ掛けたものが返ってきます。

恐怖を投げ掛ければ恐怖が返り、

敬意を投げ掛ければ敬意が返る。



二日目に、能登から金沢へ戻る時に観たカーナビの地名が氣になっていました。

「卯辰山」



城内の櫓から街の景色を観ようと寄ってみたら、







あった!







あれ?

これのことなんじゃない?







そう。

石川県の旅の一日目、初日に氣多大社で「あかつき」を見付け、

石川県の旅の三日目、最終日に金沢城で「うたつ」を見付けました。







ああ💡そういうことなんですね。

オッケー!噛み砕きます。



石川県の旅を満喫し、東京駅へ戻ってまいりました。



新幹線の改札を出て、右手を観ると







そうだね。

私の猿田彦のお陰でございます。

ありがとうございます。

これからも、二人三脚をよろしくお願いします。



旅のサポートをしてくださった、

普天間さんまきちゃんにも、

厚くお礼申し上げます。

いつもありがとうございます。



さあ、謎解きの終盤に入ります。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-50「二頭の龍」に続く。



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