お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
「時間のみなもと」に辿り着いた16「キロロとキプロス」より続いております。
百=モモの世界の「時間のみなもと」とは、何でしょうか。
「時間のみなもと」とは、命のことでした。
あうんの呼吸は、小さな生死の繰り返し。
その一瞬の「今」「今」「今」の連続が時間であり、
それこそが命。
一人一人に与えられた、「生」の時間のことでした。
その時間の国の主が、マイスター・ホラです。
時間の管理人であり、生でもあり、死でもあると言えるでしょう。
その「時間の国」へ、案内する存在、「みちひらき」する役が、
亀のカシオペイアでした。
亀山湖には、二度訪れています。
一回目は、6月13日。
二回目は、7月10日です。
この期間中の私は、
「ただ存在しているを認める」をやり続けていました。
亀山湖でもそれをやりに行きました。
釣りが目的だったけど、釣りをしませんでした。
釣り好きの夫の前で、一緒に釣りをすれば、
夫も喜んでくれるでしょう。
それでも、何もしませんでした。
寝てるか、ボーっとしているか。
何もしない自分を認めるです。
~したから存在価値がある、
~の役に立ったから存在価値がある、
~して喜ばれる存在になりたい、
「誰かから認められたい」の外にトリップしていました。
~にしないと愛されないという条件付きの愛から、
~もしなくても、ただ、そこに存在していい、という無償の愛を、
自分に与えていた時間でした。
一方、夫は、仕事がとても忙しくて、毎晩残業していました。
夫は、忙しいのに、私は何もしない時間を過ごしている。
私の中で、罪悪感が生まれます。
それでも、その罪悪感の存在を認めながら、
何もしないをやり続けていました。
何もしない自分を認めるです。
何もしなくても存在していいのだ。
これでいいのだ。
う
ん
!
一回目の6月13日に亀山湖で、一枚だけ写真を撮りました。
わたしにとっての亀のカシオペイアでした。
この亀のカシオペイアは、
声を発して言葉を出すことはしません。
その代わり、甲羅に文字が現れて、
意志を伝えていました。
二回目の7月10日。
人差し指の付け根に印を見付けました。
人差し指の付け根とは、指の根元⇒根本⇒源⇒みなもと
すなわち、「時間のみなもと」のこと。
また、 「時間のみなもと」に辿り着いた-4「人差し指の付け根」を書いている時に、
ある違和感を感じました。
身体に印を残す現象を初めて体験したのは、
2017年1月13日のことでした。(ここでも13)
左の太ももに二つの印が出来てたんですね。
その時のことを、
愛しの「うしろの三五太郎」1巻 ~謎の二つの青アザ~に書いています。
私は、その時、「青アザ」って表現を使ったんですよ。
「青痣」って表現は使わなかったんです。
謎の二つの青アザの意味は、
愛しの「うしろの三五太郎」10巻 ~叱咤と激励~に書きましたが、
「叱咤と激励」でした。
前回は、「青アザ」と表現しましたが、
今回は、どうしても「青痣」だったのです。
痣という文字は、
で成り立っている。
私の志を問うてきたのでした。
ところが、翌7月11日に痣は消えていました。
実は、この写メをした時、
ある方々へ向けて、ZOOMでお話をしている時でした。
失礼極まりないですが、参加者のお話を聴いてる時に、
痣が消えてたことに氣が付いて、
ビックリして思わず撮っちゃったもの、なんですね。
これは、オフィシャルに出してやっているものではなく、
私がこれからやることに対してのある意図を以ってお願いし、
お話する機会を持たせてもらって、行っていたものでした。
そのある意図とは、
これから新しいことを始める、
と書いたことに通じていました。
この方向性が、志が、間違っていなかったので、
この瞬間に痣が消えたことに氣が付いたのです。
「時間のみなもと」に辿り着いた-18「黒い鏡」へ続く。
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