「時間のみなもと」に辿り着いた-17「アザと痣」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



「時間のみなもと」に辿り着いた16「キロロとキプロス」より続いております。



百=モモの世界の「時間のみなもと」とは、何でしょうか。

「時間のみなもと」とは、命のことでした。

あうんの呼吸は、小さな生死の繰り返し。

その一瞬の「今」「今」「今」の連続が時間であり、

それこそが命。

一人一人に与えられた、「生」の時間のことでした。

その時間の国の主が、マイスター・ホラです。

時間の管理人であり、生でもあり、死でもあると言えるでしょう。

その「時間の国」へ、案内する存在、「みちひらき」する役が、

亀のカシオペイアでした。







亀山湖には、二度訪れています。

一回目は、6月13日。

二回目は、7月10日です。



この期間中の私は、

「ただ存在しているを認める」をやり続けていました。

亀山湖でもそれをやりに行きました。

釣りが目的だったけど、釣りをしませんでした。

釣り好きの夫の前で、一緒に釣りをすれば、

夫も喜んでくれるでしょう。

それでも、何もしませんでした。

寝てるか、ボーっとしているか。

何もしない自分を認めるです。

~したから存在価値がある、

~の役に立ったから存在価値がある、

~して喜ばれる存在になりたい、

「誰かから認められたい」の外にトリップしていました。



~にしないと愛されないという条件付きの愛から、

~もしなくても、ただ、そこに存在していい、という無償の愛を、

自分に与えていた時間でした。



一方、夫は、仕事がとても忙しくて、毎晩残業していました。

夫は、忙しいのに、私は何もしない時間を過ごしている。

私の中で、罪悪感が生まれます。

それでも、その罪悪感の存在を認めながら、

何もしないをやり続けていました。

何もしない自分を認めるです。

何もしなくても存在していいのだ。

これでいいのだ。







一回目の6月13日に亀山湖で、一枚だけ写真を撮りました。







わたしにとっての亀のカシオペイアでした。



この亀のカシオペイアは、

声を発して言葉を出すことはしません。

その代わり、甲羅に
文字が現れて、

を伝えていました。







二回目の7月10日。

人差し指の付け根に印を見付けました。







人差し指の付け根とは、指の根元⇒根本⇒源⇒みなもと

すなわち、「時間のみなもと」のこと。



また、 「時間のみなもと」に辿り着いた-4「人差し指の付け根」を書いている時に、

ある違和感を感じました。



身体に印を残す現象を初めて体験したのは、

2017年1月13日のことでした。(ここでも13)

左の太ももに二つの印が出来てたんですね。

その時のことを、

愛しの「うしろの三五太郎」1巻 ~謎の二つの青アザ~に書いています。

私は、その時、「青アザ」って表現を使ったんですよ。

「青痣」って表現は使わなかったんです。

謎の二つの青アザの意味は、

愛しの「うしろの三五太郎」10巻 ~叱咤と激励~に書きましたが、

「叱咤と激励」でした。



前回は、「青アザ」と表現しましたが、

今回は、どうしても「青痣」だったのです。







痣という文字は、



で成り立っている。







私のを問うてきたのでした。



ところが、翌7月11日に痣は消えていました。







実は、この写メをした時、

ある方々へ向けて、ZOOMでお話をしている時でした。

失礼極まりないですが、参加者のお話を聴いてる時に、

痣が消えてたことに氣が付いて、

ビックリして思わず撮っちゃったもの、なんですね。

これは、オフィシャルに出してやっているものではなく、

私がこれからやることに対してのある意図を以ってお願いし、

お話する機会を持たせてもらって、行っていたものでした。



そのある意図とは、

これから新しいことを始める、

と書いたことに通じていました。


この方向性が、が、間違っていなかったので、

この瞬間に痣が消えたことに氣が付いたのです。



「時間のみなもと」に辿り着いた-18「黒い鏡」へ続く。



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