毒親からの卒業セラピーをしております加藤なほです。
NHKあさイチさんに「おはなし会」を取材していただきました
朝日新聞に「おはなし会」について取り上げられました
ラジオに出演させていただきました
≫毒親ってなに?うちの親は毒親?という方はこちら
毒親だと思っていた母と2年の絶縁を経て、
去年、弟の挙式で顔を合わせ、その後、お盆に実家に泊まってみました。
そして、
おとつい、1年ぶりに母と会ってきました。
そのレポートの続きです^^
≫前の記事はこちら
私の地元は田舎で、とってものどかなところです。
普段、名古屋という都会で過ごすことが多い私は、改めて、地元の静けさと穏やかさを感じました。
絶縁後、祖母には会いに、ちょくちょく帰っていたのだけれど、
ここ半年くらい、帰ってなかったので、地元は本当に久しぶりだったの。
田んぼは青々とし、
どこからか聞こえてくる ほ~ほけきょ。
そして、虫の音。
「こんなにいいとこだったけかね~…
あ~、やっぱり好きだなぁ地元。
育ったところだからかな…」
とつぶやいてみたり。
母は、お昼過ぎに仕事から帰ってくるため、
それまでは、育ての母ともいうべき祖母と二人。
![image](https://stat.ameba.jp/user_images/20140708/11/healingcafe77/dc/de/j/t02200293_0480064012996869408.jpg?caw=800)
お昼は私の大好物のちらし寿司だったんだけど、
「寿司をあおげ」
というもんだから、うちわでせっせとあおいでお手伝い。
「あ~、わたし、本っ当にめんどくさがりやだわ~。
お手伝いしてるより、勉強してたほうがホント、ラク!
私は○○(弟)みたいに、お手伝いはよ~やらんわ~」
と私。
お手伝いが嫌で、勉強ばかりしていた私
と、
勉強が嫌で、お手伝いばかりしていた弟。
私が褒められる分野は、成績。
弟が褒められる分野は、お手伝い。
「○○はえらいで~。
今でもな~、これやってくれっていうと、すぐ動いてくれる。
だけど、あんたはホントに動かんわ~」
…そうだった。
わたしはこうして、祖母から弟と比較されてきたんだった。
「なほは手伝わん。何もやらん。感謝の言葉も足らん。
○○は手伝ってといえば、すぐ手伝ってくれて本当に助かる。
けど、なほは本当になんもしん。
なほは感謝を知らん。」
と。
久しぶりに聞いた、何年か前まで毎日聞かされていたセリフ(笑)
このセリフは、毎日私を苛立たせていたわっ!
今思うと、
このセリフを言われることで、
「どうせ私は何もしませんよーだ
役に立ちませんよーだ
お手伝いよりも、勉強の方が得意ですよーだ」
と、無価値観を感じていたのかもしれないなぁ。
当時は今みたいに俯瞰なんてできなかったから、
ただ、むかつき、イライラしていたけれど。
そして、
…私は、
お手伝いを好まない価値のない自分を責めたり、罪悪感を感じながら、
お手伝いをしない罪滅ぼしのように勉強をしていた。
一方でもしかしたら弟は、
勉強が姉ほどできない自分を責めたり、罪悪感を感じながら、
勉強ができない罪滅ぼしのように、お手伝いをしていたのかもしれない。
ううん、
”もしかしたら” じゃなくて、
”きっと” そうだと思う。
高校生の頃、
「なほが勉強が出来すぎて、おれはプレッシャーを感じてた」
と言っていたから。
うむ、
どっちがつらいんだろね。
きっとどっちも、
それぞれにとって、つらかったんだろう。
そんなことを思いながら、
「あ~、ほんとに、めんどくせ~(笑)」
と繰り返し言いながら、
祖母にまたまた文句を言われながらも、前のようにイライラしなくなった自分を感じながら、
うちわで酢飯をあおぐ私であった(笑)
祖母は、毒祖母じゃなくて、毒母だな^^
私の育ての親は、祖母だし、
祖母の言動、結構わたし、ダメージくらってたんだって、気づいた^^
毒母二人もちの、わたし^^
つづきます^^
近日開催のおはなし会
>7月18日(金) 名古屋 おはなし会
>7月21日(祝・月) 名古屋 おはなし会
>7月26日(土) 大阪 おはなし会 (残席1) 個人セッションのご予約
>こちらから お問い合わせ
>こちらから加藤なほプロフィール
>こちらから
加藤なほ