両親の前に一人で座ることになった彼。
何を聞かれたかは、その1ヶ月後聞くことになりましたが、
毒母はお決まりの、「学歴」「仕事」「兄弟構成」「彼の両親の年齢」を聞いたそうです。
事情聴取のような雰囲気だったと思います。
和室からは重々しい空気が流れていましたから・・・
母は、事情聴取が終わると、母の夢を語っていたようです。
彼から聞いた話によると、このようなものだったそうです。
「なほはここから出しません。
隣に家を建てさせて、そこに、婿に入ってくれる方と住んでもらいます」
あほか・・・
隣に家を建てさせて というのは、わたしが中学のときに家の隣の土地を買い、「なほはここに次男をとってここに住む」と言っていたことです。
《この記事》に書きましたが、父は婿養子です。
私は婿養子に入って、幸せそうに見えなかった父を見て、
「絶対に婿養子を取るなんて嫌だ」
と幼い頃から感じていたのですが、
母は自分のように娘である私をそばにおいておくのが夢であり、
その夢を偉そうに語ったんでしょう。
母の姿が目に浮かびます。
私は所有物じゃないのに、見事に「自分のものだから譲らない」とでもいうかのような姿勢。
母の話しか聞いておらず、洗脳されている父は、
「旅行に何度もいってるのに挨拶が遅くないか」
と偉そうに言った模様です。
・・・これまで父の日や母の日、あなたたちの誕生日に、
プレゼントと一緒にいつもわたしている手紙に、
「大切な人がいるから会ってほしい」と書いても、
何も言わず無視してきたのは誰ですか?
両親に、特に毒母に、すぐに彼を会わせなかったのには理由があったから。
私の恋愛を平気でふみにじり、今までの恋愛も何度か壊してきた母に、
大切な彼との関係を壊されたくなかったから。
彼との絆を固めてから、会わせようと思ったから。
《性被害も大きかった元彼のDV》で傷ついていた私は、
もう男の人を好きになることはない・・・
と思っていました。
でも、神様がチャンスをくれたように、彼と出会わせてくれ、両想いにしてくれました。
この大切な出会いを壊されたくなかった。
それを知らない父に、軽々しく、
「旅行に何度もいってるのに挨拶が遅くないか」
なんて言われたくなかった。
真実を話してなかったから、父がこういうのも仕方がなかったと思うけれど・・・
そしてわたしは、
”対決”
を心に決めるのです。
《母の言葉「あんな男と一緒になると不幸になるに決まってる!」》に続きます。