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ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のスタッフブログ

『1日だけのヒューマンドキュメンタリー映画祭2025』開催!
2025年11月15日(土)11:00〜/大阪市中央公会堂 地下大会議室

【ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2014】

映画 『標的の村』 
監督・三上 智恵からのメッセージ
『標的の村』 上映日時: 8月23日(土) 15:30-




昨年8月に公開した当初は1~2館の上映、それも数週間で終わると思っていた「標的の村」。
沖縄の小さなローカル局の報道部が、全国ネットになっていかない基地問題のドキュメンタリーをどうにかして全国の人に見て欲しいという切なる願いから映画という形式に発展したものだ。
ところが蓋を開ければ連日満席に次ぐ満席。封切館では4か月のロングランに。動員およそ2万4千人、自主上映はすでに300件を超える広がりを見せている。

この作品には、アメリカ軍の輸送機オスプレイの沖縄配備がどんな形で強行されたか、それに対し沖縄県民がどう闘ったかが描かれている。
いずれも、ローカルニュースでは連日トップで伝えていながら全国ニュースでは黙殺されてきた沖縄の日常の姿である。

舞台は東村高江という北部にある小さな集落。
そこにオスプレイのためのヘリパッド(=ヘリの着陸帯)が6つ建設されることになり、住民は座り込んで反対した。
すると国は「オスプレイの設備ではない」と誤魔化し続けたのみならず、住民15人が「通行妨害」をしたとして裁判に訴えた。その中には7歳の女児も含まれていた――。
県知事は何度も上京してオスプレイ配備反対を訴えた。県議会でも反対を決議し、県内すべての市町村長もオスプレイ配備撤回を求めた。県民大会を開けば10万人が集まって民意を示してきたものの、国は県民の拒絶を一顧だにせず電話一本で配備日程を通告してきた。
そこで沖縄県民がとった行動とは。

これが同じ日本で起きている出来事とは思えない。
多くの観客が愕然とし、悔し涙を流した。
同時に基地問題はどこか他人事だと捉えていた距離感を打ち砕かれたと話す。オスプレイが首都圏を飛ぶまでになった今、「標的の島」は高江、沖縄だけではない。この1年の安部政権の暴走のおかげで、そのことに気づく国民が増えている。そんな危機感を持った人たちの手で、この映画はまだまだ拡がる様相を見せている。

三上 智恵
【ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2014】

映画  『架け橋 きこえなかった3.11』 
監督・今村 彩子からのメッセージ

『架け橋 きこえなかった3.11』 上映日時: 8月23日(土) 13:45-



<命を守る情報に格差があってはならない>

こんにちは。名古屋在住の今村彩子です。
生まれつき、耳が聞こえません。
20歳からドキュメンタリーを撮っており、今年で15年目になります。このことを書くと年齢がバレてしまいますが(笑)
社会には聞こえない人もいるよということを知ってもらいたいと思ってドキュメンタリーを撮り始めました。

ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》で上映される作品は、どれも観たい!!!と興味をそそられるドキュメンタリー映画ばかりで、今からとても楽しみです。
そんな映画祭で私が制作した『架け橋 きこえなかった3.11』が上映されることをとても光栄に思っています。

本作は2011年3月11日に起きた東日本大震災で被災した聞こえない人を取材したドキュメンタリーです。

“津波警報が聞こえなかった”―――。
東日本大震災で危機一髪、助かった聞こえない人のこの言葉に心臓が縮むようでした。
津波警報が聞こえず亡くなった人、 避難放送が聞こえず、津波で孤立した家で一夜を過ごした人・・・。緊迫感のある体験談を手話で語るろう者に私は一刻も早くこのことを社会に伝えなくてはと心を突き動かされました。

そして、震災1ヶ月後に被災地を訪れ、取材をしていた時、私も震度6の余震を体験しました。
地面が大きく揺れ、何が起きたのか分かりませんでした。
誰かに強く手を引っ張られ、しゃがみました。「津波警報が鳴っている!」とスタッフに言われ、背筋が凍りました。
私は全く聞こえなかった。
揺れが収まったら大丈夫だと思っていた。
でも、本当は危なかったんだ。命を守る情報に格差があってはならない。そう強く感じました。

命に関わる情報は全ての人に行きわたり、ろう者も安心して暮らせる社会にしたいという一心で取材を続け、「架け橋 きこえなかった3.11」が完成しました。

2年4ヶ月の間、10回被災地に赴き、カメラを回した48時間の映像を74分に凝縮したこの映画が被災地と全国を結ぶ架け橋となれば本望です。

今村 彩子
【ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2014】

映画 『with…若き女性美術作家の生涯』
監督・榛葉 健からのメッセージ

『with…若き女性美術作家の生涯』上映日時: 8月23日(土) 11:30-




<14年目の出逢いに…>

「with…若き女性美術作家の生涯」は、日本のテレビ局のビデオドキュメンタリー番組で史上初めて映画化した記念碑的作品です。
2001年の劇場公開時、まだハイビジョンでもないビデオをスクリーンで上映することは、画質の良いフィルムが前提の映画界では非常識なことでした。

一方、放送界からも「ドキュメンタリー映画は採算が取れない」としてトライする空気は皆無でした。

それでも「with…」を映画にしました。
自分の想いひとつで…。
理由は明快です。

「テレビで放送して終わり」には出来ない、映画にすることで長く未来に伝えなければいけない、強い動機があったからです。

その動機が何なのかは、映画をご覧頂ければすぐに分かって頂けます。
かつて映画が完成してすぐの2002年1月に私はこんな挨拶文を書きました。

*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜

<映画公開時の挨拶文(抜粋)>

この作品は、決して「消費」としての映画ではありません。
私は「with…」を、5年後、10年後でも鑑賞に堪えうる普遍的な作品として制作しました。

主人公・佐野由美さんの生き様は、どこの世でも、いつの時代でも、普遍的に求められる人間の真理を明快に示してくれています。

ぜひ、ご覧下さい。
そして、感じて下さい。
『with…』が描く人間愛の世界を自由な心で受け止めて頂いたら、きっとこの星は、少し変われるように思います。皆様のご鑑賞を、心からお待ちしております。

2002年1月
映画「with…若き女性美術作家の生涯」
完成に寄せて

*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜

今見れば、少し気恥ずかしい気負いが漂っています。
ただ、「5年後、10年後でも鑑賞に堪えうる作品」という確信はありました。
「必ずたくさんの人々に、何かを感じてもらえる」と…。

今回、数年ぶりにドキュメンタリー映画の殿堂《阿倍野》で上映して頂きたいと考えたのは、
日本社会でそして国際社会で、「いのち」が軽く扱われる今こそ、その尊さを実感できるリアルな経験が大切だと思うからです。

また、東日本大震災の発生以来、現場に身を置いて作った映画「うたごころ」で全国の皆さんと出逢わせて頂いたことで、その“原点”ともいえる「with…」をぜひご覧頂きたいと思ったからです。

多くの皆様に、美術を通して世界の平和を願った佐野由美さんと出逢って頂けることを、願っています。

監督 榛葉 健
お待たせしています。

スタッフの柴田です。
ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2014のチラシが完成しました\(^o^)/
早速、地元“あべの”で、ご挨拶まわり!!

阿倍野区内には、アーケードのある商店街が点在しております。
ここ数年でまちにも新しい風が吹き、少しずつ変化もありますが、大通りから一本入ると昔から変わらない趣ある風景が広がっています。
花屋の看板娘(猫)に福を招いてもらいながら、今年もチラシ配りスタートです。












ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のチラシは、大阪府内の映画館や施設はもちろん、阿倍野区内ではさまざまなお店にも設置させていただいております。

私たちは、地元の方々にもっと映画祭のことを知ってもらいたいとの思いから、顔を見ておしゃべりしながらお知らせできるこの機会をとても大切にしています。


今年もおもしろい発見や素敵な出会いがありました♪
配り歩いたチラシ達が人と人との輪をさらに広げてくれますように…(祈)
毎年、応援くださる皆様の元にも例年通りお届けします。
今月中にはお手元に届くよう手配中ですので、今しばらくお待ちくださいませ。
【ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2014】

映画 『波伝谷に生きる人びと』
監督・我妻 和樹からのメッセージ

『波伝谷に生きる人びと』上映日時: 8月22日(金) 18:00-




今回みなさんに観ていただく映画『波伝谷に生きる人びと』は、宮城県南三陸町の「波伝谷(はでんや)」という小さな漁村に生きる人びとの、2008年3月から震災当日にかけての日常を描いたものです。
 もともと東北学院大学の学生時代に、民俗学研究の一環で出会ったこの波伝谷ですが、その出会いはその後の僕の人生を良くも悪くも大きく変えることになりました。
それだけ波伝谷の人びとの姿が、当時の僕には魅力的に映ったのだと思います。

海や陸の恵みとそこでの人のつながり。面倒なことも多いけど、それが生きがいでもあるという大きな矛盾を孕んだ豊かで複雑な世界。
「土地とともに生きる」ということが一体どういうことなのか。
波伝谷という一つの地域社会の中で、互いが深く関わりあい、ときに葛藤しながら生きている人びとの姿を、その瞬間を生きる人びとの表情と言葉をもって伝えたい。
そうして映像の下積みもないまま、僕の映画製作はスタートしました。

震災から3年を向かえ、「震災の風化」といったことが全国的に叫ばれていますが、震災以前に、その土地でどんな人の営みがあったのかということは、誰にも知られぬまま、地元の人の記憶からも次第になくなりかけています。
しかし、自分達の足元を支えている世界やその背後に連なる歴史に目を向けることも、ときには必要です。
案外、そうした日頃気づかずに過ぎ去っていく時間や身近なものの中に、とても大切な何かが隠れているのではないかと、僕自身はいつも思っています。

その点、この映画は確かに「震災」という出来事を含んでいますが、そうした枠組みに収まりきらない、多様なテーマを含んでいるともいえます。どうかみなさんも、波伝谷の住人になったような気持ちで、そこに流れていた空気や人びとの息づかいを感じながら、自分なりの感性で映画を観ていただけると幸いです。