ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のスタッフブログ -24ページ目

ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のスタッフブログ

『1日だけのヒューマンドキュメンタリー映画祭2025』開催!
2025年11月15日(土)11:00〜/大阪市中央公会堂 地下大会議室

 【ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2014】

映画 『美しいひと』
監督・東志津からのメッセージ

『美しいひと』 上映日時: 8月22日(金) 15:00-

「美しいひと」製作にあたって




 この映画の撮影は、2012年の春から秋にかけて行われました。
原爆を体験した最後の世代の人たちは今、人生の最終章を迎えています。
彼らの晩年の姿と、彼らの記憶の中にある人々をきちんと残しておきたい、というのが映画制作の発端でした。

はじめのうちこそ、「原爆を経験した国の人間として」あるいは「日本人として」という気負いがありましたが、映画制作を通して出会った韓国人被爆者の方々やオランダ人元捕虜の方々の存在は、民族や国家という枠組みを超えて、悲しみを共有する事の尊さや、人間そのものをみつめる眼差しを私に与えてくれました。
人間が人間に何をしたのか、そこから人間はどう立ち直ったのか、その結果としての彼らの姿を残すことが、この作品の大きなテーマとなりました。

取材させて頂いた方の中には、映画の完成を待たずに亡くなられた方もいます。
再び私に会っても、もう、私が誰なのかわからない方もいらっしゃいます。それはとても残念なことですが、だからこそ、彼らの最後のメッセージを映画に焼き付けることができたのは、記録映画の持つ役割を改めて実感させられた体験でもありました。

本作「美しいひと」は、私の二作目の長編ドキュメンタリーです。
最初の作品「花の夢—ある中国残留婦人—」は、2007年と2008年に阿倍野で上映され、多くの反響を頂きました。

今作も、是非、多くの方々に観て頂きたいと思っています。原爆というテーマを、これまでに無い切り口で描いた作品です。
民族や国家間の憎しみや憎悪が、いまだ世界中に渦巻いている中で、私たちはどうしたら、それを乗り越えていけるだろうか。
そんな問いに答えはないかもしれないけれど、あの壮絶な時代を生き抜いた人たちの存在は、今なお苦悩する私たちに、一縷の望みと励ましを与えてくれるでしょう。

東 志津
【ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2014】

映画 『小屋番 涸沢ヒュッテの四季』
『妻の病 レビー小体型認知症』
監督・伊勢 真一からのメッセージ

『小屋番 涸沢ヒュッテの四季』  上映日時: 8月22日(金) 13:20-
『妻の病 レビー小体型認知症』  上映日時: 8月24日(日) 15:15-



「やっぱり人」

12年程前、数人の仲間たちが一杯呑んだ勢いで立ち上げた「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」。
夏の甲子園野球大会が終わった頃に大阪で、もうひとつお祭りごとがあってもいいんじゃない…ということで、夏の終わりに毎年開催されることになった。

もう今年で12回目になる。
まだ12回目という言い方も出来るかもしれないが、私にとっては、もう12回目かな?

よう続いたと思う。
経済的裏付けも、しっかりした組織もなく、ただ「ヤロウ!」という仲間たちの心意気で続けてこれたのだから。
当初は行政のバックアップもあったけど、途中からは自力で協賛・カンパを募り、来てくれるお客さんの入場料売上げだけで続けてきた。
正々堂々としたもんだ。
映画祭を始めた頃からの仲間たちとは「奇跡だ!」としか言いようがないね、と振り返っている。

我らが映画祭は、まだまだ知る人ぞ知る、という映画祭に違いないが、普段、なかなか観ることが出来ないヒューマンドキュメンタリーの秀作を集め、制作者に来て頂いて、三日間に渡り映画を観て、トークを聞き、語り合う、貴重な場だ。
アマチュアの方々の作品も公募して、魅力的な作品は表彰する、という新人の登竜門の役割も果たしている。

おそらく、手作りでこんなことを続けているのは、日本では我らが映画祭だけだと思う…。

エヘン!!

お客さんも年々増えており、いよいよ今年あたりは「満員御礼」が出るのではと、ひそかに思っている。
(前売り買っておいた方がいいですよ!)

「この映画祭の魅力をひと言で言うと何ですか?」
と、時々、新聞記者さんに聞かれることがある。
何故記者さんたちは「ひと言で言うと?」と、いつも聞くのかなぁ…。
ひと言で言えないから、こうしてやり続けてきたのに、と心の中でつぶやきながら、「やっぱり、人、ですかねぇ…」と答える。

上映される映画の中の人。
映画祭に足を運んでくれる人。
そして、映画祭にかかわる人。

主義主張というわけでなく、ひとりひとりが「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」という舞台に集合し、ひとりひとりが主役となり、繰り広げられる、人が織り成す群像劇。

今年は、どんな物語が生まれるのか…。
私は私で12回目の阿倍野の舞台に上がり、精一杯、自分自身の役を演じようと思う。
みなさんも、ぜひ舞台に立ってみてください。
映画祭自体が、ヒューマンドキュメンタリーなのだから…と。

8月22日(金)から8月24日(日)までの三日間、
阿倍野で、ヒューマンドキュメンタリーの本番の幕が上がります。
お逢い出来る時を楽しみに。

伊勢真一
『妻の病 -レビー小体型認知症-』(93分)
監督:伊勢 真一
上映日時:8月24日(日) 15:15~

・関西初公開



「妻の病」を巡って
「まるで夢のようだね…」
認知症の日々を生きる妻に夫が語りかける。
二人はうなずき合う。

この映画は、認知症のドキュメンタリーというよりも、病を経て絆を深める、ある夫婦の愛の物語である。
2011年3 月11日。東日本大震災のその日、私はひとりの友人の話を聞くために、高知県南国市にいた。
友人の名は石本浩市(62 才)、ふるさとのその地で小児科を開業する医師である。
十数年前、小児がんの子どもたちのキャンプで出逢い、10 年がかりで『風のかたち』という映画を製作した仲間だ。
その日、石本医師が語ったのは、小児がんの話ではなかった。

̶̶̶̶レビー小体型認知症。
それが、彼の妻の病名だった。
妻・石本弥生さんは、石本医師とは幼なじみ、50 代から若年性の認知症となり、10年間、石本夫妻は病との斗いに明け暮れて来た。
小児がん治療と地域医療の取り組み、妻・弥生さんの認知症との格闘、決してキレイゴトでは片付けられない日々…。
石本医師は、医師ならではの観察眼で、弥生さんの発症以来の日常を、まるでカルテを書くように、こと細かに記録していた。
認知症が進行し、今では身の回りのことがほとんど何も出来なくなった弥生さん…。
その弥生さんに深い愛情を寄せケアする石本医師、家族、親戚、地域の人々。
映画「妻の病 –レビー小体型認知症–」は、四国・南国市の豊かな自然に育まれ、
支えあうように生きて来た一人の医師と、認知症の日々を生きる妻との、10年間に及ぶ“いのち”を巡る物語である。
認知症の人は“何もわからない人・出来ない人”ではない。“本人なりの思いや願い、出来る力を秘めている人”である。

監督プロフィール ----------
伊勢 真一
(監督・ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》 総合プロデューサー)
1949 年東京生まれ。
1995年、重度の障害をもつ少女の12年間を追った作品「奈緒ちゃん」で毎日映画コンクール記録映画賞グランプリを受賞。
近作に「風のかたち-小児がんと仲間たちの10年-」(09・文化庁優秀映画賞受賞)、
「大丈夫。-小児科医・細谷亮太のコトバ-」(11・キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位)、「シバ 縄文犬のゆめ」(13)。
ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》をはじめ、大倉山映画祭・はなまき映像祭など、各地でドキュメンタリーの映画祭を企画。
2013年度「第11回シネマ夢倶楽部賞」を受賞。
昨年公開となった「小屋番 涸沢ヒュッテの四季」と、最新作「妻の病-レビー小体型認知症-」を今年度、映画祭で上映。

『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』(105分)
監督:金 聖雄
上映日時:8月24日(日) 15:15~

2013キネマ旬報文化映画第3位
池田市人権映画祭 最優秀作品賞受賞




獄中32年、仮出獄19年。
身に覚えのない逮捕から実に51年、今も無実を訴えつづける人がいる。
石川一雄 75歳。
どんなに大きな苦難を背負っていても“生きることは美しい”石川一雄さんと早智子さんとの出会いはそう思わせてくれるものだった。
1963年5月1日埼玉県狭山市でおこった女子高生殺害事件。
いわゆる“狭山事件”。犯人にでっちあげられたのは被差別部落に住む石川一雄さんだった。
事件から半世紀「殺人犯」というレッテルを背負い続けながら、石川さんは今もなお「私は無実です」と訴え続ける。
映画はそんな石川さんと連れ合いの早智子さんの日常に3年間寄り添った。
獄中で文字を覚え、同じ冤罪被害と闘う友と語らい、そして最愛の人早智子さんと共にあゆむ。
「不運だったけど不幸ではない!」というふたり。
「冤罪」という強いられた人生を受け止めまっすぐ“凛”と生きるその姿は、時として美しく人々に感動をあたえる。
その何気ない日常のなかからあぶりだされたものは普遍的なメッセージだった。
「幸せとは」「愛とは」「友情とは」そして「正義とは」…。
映画は問いかける。

監督プロフィール ----------
金 聖雄(監督)
1963年大阪・鶴橋に生まれる。大学卒業後(株)リクルート勤務。
その後自分で商売をはじめるが失敗。
「何か?やりたい、出来るんだ」という想いを胸にくすぶらせながら、結局“愛する人”を追いかけて東京へ…。
東京にて料理写真家の助手を経験後、助監督になる。
1993年からフリーの演出家としてスタートPR映像やドキュメンタリー、テレビ番組など幅広く手がける。
2004年、在日1世のおばあちゃんの日常を4年間追いかけたドキュメンタリー映画「花はんめ」を監督。
2011年、2作目「空想劇場~若竹ミュージカル物語~」を監督。
2013年9月「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」完成。

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『60万回のトライ』(106分)
監督:朴 思柔、朴 敦史
上映日時:8月24日(日) 10:00~





第15回全州国際映画祭「CGVムービーコラージュ配給支援賞」受賞
関西映画祭初上映

ソウル出身の監督が大阪朝鮮高級学校ラグビー部に密着した長編ドキュメンタリー映画です。
2010年の1年間を描いています。
監督は2010年から3年間、大阪朝高ラグビー部を取材し記録してきました。
ラグビーに打ち込む在日朝鮮人の高校生たちのありのままの姿を通じて、在日朝鮮人が歩んできた歴史に思いを馳せ、朝鮮学校が日本社会で有する意味をあらためて考えるきっかけになればと願っています。

2010年正月。花園ラグビー場。
大阪朝高ラグビー部は創部以来、初めて進出した全国大会準決勝の舞台に立った。
彼らの闘志や熱い応援に胸を震わせ、韓国出身の私はドキュメンタリー映画をつくろうと決心する。
悲願の日本一を目指し、主将の戦線離脱などを乗り越えてゆく選手たち。
どこにでもいそうな高校生かと思えば、民族教育の中で自らのルーツを真剣に探す彼ら。
その素顔に接しながら、私は彼らが朝鮮半島と日本の架け橋になってゆくことを願う。
高校無償化からの除外。補助金の凍結。
朝鮮学校を取り巻く日本社会の現実を背負いながらも、彼らはふたたび花園の舞台で頂点を目指し駆け上がっていく。
ソウルから来た監督と、ラグビーに青春をかける在日朝鮮人の高校生たちのドラマチックな1年間を描く。
タイトル『60万回のトライ』には、日本で生きる在日朝鮮人およそ60万人の夢と願い、そして挑戦の意味がこめられている。

監督プロフィール ----------
朴 思柔(パク・サユ)
ソウル生まれソウル育ち。02年来日。
05年から韓国報道局の海外レポーターとして在日同胞に関するニュースを制作。
10年コマプレス結成。本作が初監督作。

朴 敦史(パク・トンサ)
78年京都生まれ大阪育ち。在日朝鮮人3世。
10年コマプレス結成。本作では共同監督を務める。

コマプレス/KOMAPRESS/꼬마프레스
2010年、「小さな声、低い視線」をモットーに設立。
「コマ」 は朝鮮語で子どもを意味し、小さきものを意味する。
巨大なメディアに対してあえて「小さく」「低く」あることで、 声なき声、不可視の葛藤、 抵抗とはみなされない抵抗を伝えてゆくことを使命とする。在日コミュニティや民族教育の現場を取材。同年から三年間に渡り大阪朝鮮高級学校ラグビー部に密着。
民族教育の現場から、大阪府の助成金問題、無償化「除外」 問題などを取材。
それらの記録を素材にした長篇ドキュメンタリー映画『60万回のトライ』(2013年)を製作。現在、劇場公開中。

東日本震災に際しては、地震発生三日目に仙台の東北朝鮮学校へ向かう。記録映像『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』(2011)の制作・上映活動、続編『アフタースクール』制作(2011~編集中)

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