なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか/荻原 真
¥1,575
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読了というかかなり飛ばし読みになってしまった。
また無駄な時間を費やしてしまったようだ。

この本は、結局何を言いたかったというかどういう意図で編集されているのか?

芸術作品に対しての「解説」ってどの程度必要なのだろうか?
その作品を目にする(耳にする)者の立場によっても違うだろう。

例えば、「のだめカンタービレ」という漫画でクラッシック音楽の授業風景が
描かれているが、作曲家がその楽曲を作曲したときの時代背景や心情を
理解しようとする議論が交わされている。
それは、その曲をより深く理解するために必要な作業なのだろう。

ただ、それを一観衆として聞く側の人間にとってはどこまで必要な情報なのだろうか?

この本では、宮崎作品のことが事細かに解説されている。
「この部分の対比にはこんな意味がある」とか、
「この作品のこの部分は、過去のこの作品と類似性がある」とか...

それらが、どれほどの意味を持つのだろうか?

例えば「冷たい水と暖かい水」という項などでも、主人公の心情と画面の構成が
対比されている部分の解説なされているが、それは「理論的解説」をうけて、
「なるほど~、そういう対比なのか」と理解する必要は、私達観衆にはない。
いゃ、そんな解説は不要である。

理論的に頭で理解するのではなく、もしかしたら計算し尽くされた画面構成、
場面の対比であっても、私達としては無意識のレベルで、その対比を感じていれば
いいだけである。

明確に理由は付けられないが、「あのシーン。良かったよね」でいいのではないだろうか?

私自身、どちらかというと工学系の頭脳なので、自分の興味がある分野では
もちろんトコトン理論的に深く考えることもあるが....

だから、この本が面白いと思う人にとっては面白いのだろうね~。

飛ばし読みになってしまったので、もしかしたら、この本の最後の最後で、
私のとってもこの本を読んだ意味がある文章があったのかもしれないが、
私にとっては1500円の価値のある本ではなかった。

まぁ、図書館で見かけてろくに中身も確認せずにとりあえず借りてきた本だったから
懐は痛めていないのだが....
河野太郎氏のブログにこんな記事があった

「声を上げますか、それとも泣き寝入りですか」
http://www.taro.org/2011/04/post-987.php

もちろん、泣き寝入りなんてしない。声を上げます。
今まで議員さんの地元事務所なんて、選挙時意外訪れたことないのだが、
河野氏の言うとおり
「国会議員それぞれに、大勢の皆さんがきちんとそれぞれのおもいを伝えることです。」
だと思った。

だから、昨日行って来た。
私の生息地選出の国会議員は...渡部恒三氏。
民主党の重鎮だ。

もちろん、会津若松の事務所に本人はいなかったが以下のような意見書を渡してきたよ。
この程度で何かが変わるわけではないけどね...泣き寝入りはしない。

===================================

渡部恒三先生へ
会津の役割と原発とその他について

今般の震災を受け、政治家、企業化、労働者、生活者さらには児童に至るまであらゆる階層のあらゆる人々が苦難の中にも活路を見出すべく頑張っている。
渡部恒三先生に置かれましても連日連夜頑張っておられると思います。

しかしながら、現在の政府はどこに向かおうとしているのかわかりません。民主党の重鎮として働いておられる渡部恒三先生に今一つ頑張ってもらいたく、応援の意味をこめまして、僭越ながら提言をいたしたいと思い、筆をとりました。

会津の役割について。
福島県は浜通りから中通りにかけて被害が出ておりますが、会津地方は比較的被害はありませんでした。被災者はどんどん県外に出て行っている状況です。会津の各地ももちろん避難者を受け入れておりますが、キャパシティー的にまだ余裕があると感じています。実際喜多方の避難場所である体育館は人数が減り、縮小傾向にあります。避難者が自宅に帰ることが出来た形での縮小ならよいのですが、そうではないようです。会津地方ならば原発からの距離にも問題はなく、同県民の支援としてはまず会津が頑張らねばと考えておりますが、いかがお考えですか?
国が指導すべき問題ではないと思いますが、会津地方として同県民の被災に対しもう一つ何かできると思います。例えば内陸部への移住者受け入れや仮設住宅の設置など。ぜひ先生のお膝元でもう少し何か支援をしたいと私は考えます。

原発について。
今回の震災後の原発に発生した事象については、色々な見方があることでしょう。人間の設計したものですから、どこまで行っても「想定外」は存在します。想定外のことが発生したら、これだけ甚大な被害を及ぼすシステムは、やはり作るべきものではないのではないでしょうか?「脱原発」を掲げると「原発をおぎなう電力が不足する」ことばかりが注目されるのですが、本当にそうでしょうか?今すぐに脱原発は実現不可能だとしても、脱原発方向に舵を切ることはなんら難しいことではないと思いませんか?しかも、それはネガティブな判断ではないと思います。新しい日本の社会システム。真に持続可能性を持たせた社会システムを構築する旗頭が「脱原発」であると考えています。最終的に処理不可能なゴミ「核廃棄物」が出る” 原発”というシステムは持続可能性はない。現在世界的にエコロジーに関する話題が注目を浴びておりますが、これからの社会システムを考えるにおいて大切なことは「持続可能性」。あらゆるものをゴミから資源に変えようとするリサイクル運動などもその一環だと思います。「持続可能性」という観点からみれば、原発のシステムはその対極にあるものだと思います。持続可能性をテーマとした社会システムを支える根幹にあるものが、その対極である”原発”であるなら、その社会システムは張子の虎であるといえると思います。安全性という意味ではなく、持続可能性という観点からぜひ脱原発という方向に勇気をもった一歩を踏み出して頂きたい。もう一度いいますが、ネガティブな発想ではなく、脱原発が一極集中をも解消し、新しい産業を掘り起こすための起爆剤になるうると思います。「震災前の状態に戻す」というスタンスからは新しい日本は創造できません。より強い日本を再興するためには、まず脱原発をお願いしたいと思います。

民主党政権につきまして。
こんなときだからこそ、党を超え、国が一枚岩となって日本再生に当たらねばならないのではないでしょうか?首相の批判や他の党とイス取り合戦をしている場合ではないと思います。今、一般市民は「本当にこの政府で、この国会で、日本の復興はなされるのだろうか」という不安がイッパイです。民主党だけの問題ではありません。野党の動きについても、震災を材料に民主党を追い詰めるという本音がどうしても見える。もう政府に頼っていられない。この人であるなら私達のために仕事をしてくれるだろうと思い投票したのだが、当選した先生方が力を発揮しなければならない場でいまだに縄張り争いをされている。先生方にとっては場の確保が何よりも大切なのかもしれないが、結局は国を動かしているのは官僚か?とさえ思ってしまいます。本当に今何が必要か、これは国会の先生方だけの問題ではありません。国会議員のなすべきこと、地方議員のなすべきこと。被災してしまった人のなすべきこと。幸いにして被災しなかった人たちのなすべきこと。それぞれが、それぞれに考えなければなりません。私も私のなすべきことを真剣に考えますので、ぜひ国会議員の先生方にも、「今、本当になすべきことは何か」を考えて頂きたいと日々思っています。

お忙しい中、このような「わかりきった話」の提言をお受け頂きありがとうございます。
お体にお気をつけ頂き、頑張ってください。


起死回生/江上 剛
¥1,785
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「起死回生」を読了した。
江上氏の作品を、残念ながら今まで読んだことなかったので、少々古い本ではあるが読んでみた。

いつの頃か「企業買収」とかが絡むテーマの本も好きになっていた。また、江上氏の色々なコメントや雑誌の記事も面白いと思うこともあり、期待して読んでみたのだが…

江上氏の別の本は当分読まないだろう。
最後まで読めたので、「面白くない」とは言わないがなぜか途中でシラケテしまう。
単に私の感覚と合わないだけなのだろうが…

シラケテしまう原因を探ってみると、説明するところが少々饒舌すぎるように思う。
経済系の小説だけではないが、専門的知識が要求される場合が多々ある。
専門的知識がないと、なぜここで主人公はこんな判断をしたのか?ということが
わからない場合があるのだけれど、その専門的知識をどう読み手にシラケさせないで
説明していくかが小説家の腕の一つだと思う。

この「起死回生」の中にも企業買収とか企業の価値判断などの部分で説明されている
ところがあるが、その部分が教科書的に感じてしまう。
特に、銀行内部で先輩の行員が後輩に企業価値評価の実践的方法をレクチャーしている
部分があるが、これは明らかに行員の後輩に説明しているというよりは、その関係の知識
がない一般読者に向けて説明しているように感じる。

確かに専門的知識がないとわからない部分が出てくるのだろうが、だからと言って事細かに
説明されると、やはり少々シラケテしまう。

以前、「ハゲタカ」と「レッドゾーン」を読んだが、小説としてはそちらの方が面白かった。
まだここに感想を載せていないが、もう一度読みたいと思っているので、そのときに。
毎日新聞社の特集に以下のような記事があった。

特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 脚本家・倉本聰さん
東日本大震災について語る脚本家の倉本聰さん=東京都新宿区で2011年4月9日、久保玲撮影
<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇闇に文明問い直そう--脚本家・倉本聰さん(76)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110422dde012040002000c.html

これについての感想を毎日新聞社に送ってみた。以下その内容です。

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倉本氏の言わんとしていることに基本的には賛成。
「復旧って元に戻すということですよね。元に戻してはいけないと思うんです。今までのような国の在り方、人間の在り方に戻るということは、第二の原発事故を起こすことになってしまうのではないか。本来、東京が豊かさを享受するなら、東京都の中に原発を造るべきです」

今回の災害の前から私の考えは「脱原発」であるが、原発反対派は必ず最後には「東京に原発を作れ」と言う。この考え方には反対。そういう理論からは何も生まれない。ただ、この多大な損傷を受けた社会システムを「元に戻してはいけない」という部分は賛成できる。もともと、震災前の段階で日本はすでに瀕死の状態であった。それまで上手く行っていたシステムがことごとく、いゃ連鎖的に機能不全に陥っていたではないですか?その状態に戻しても何も変わらない。社会主義が世界的に行き詰まり東西の"東"が消えつつある。では西の社会システムが一番よいのか?少なくとも日本では西のそれまでの社会システムは行き詰っていた。まずはそこの共通認識が必要であろう。

西のシステム"資本主義"が表面上問題なく機能しているように見えるのは、結局人間の欲深さを制御することは法や道徳性では無理であり、マネーを媒介として戦いをさせるしかない。そのマネー戦争が人間の欲望の潰しあい、結果としてブレーキ役を果している。

倉本氏も言うように「戦後、どんどん復興していく中で、こんな豊かさを享受していていいんだろうかという後ろめたさや、こんな平和がいつまでも続くわけがないという不安感が僕の中で常にあった気がします。僕は東京での生活が嫌で北海道へ行きましたが、こんなにエネルギーを使って、電気が煌々(こうこう)と夜もついて、コンビニエンスストアは24時間営業していて、テレビも24時間放送している。ここまでやることはあったのかと思うんですよ」
人間の欲望に答えることが、企業発展の一つの方法であり、東京の街などはその典型であろう。

倉本氏も言うように「こんなに派手に夜も電気をつけていたら、どうしたって原発が必要になる。そこを見逃してはいけない。今後、原発は要らない。だとしたら、それだけの身の丈の国にすべきじゃないでしょうか」
現在の日本の原発依存度レベルであれば、まだ間に合う。原発なんて要らない。

そもそもなぜ今原発を止めると問題があるのだろうか?その変の突っ込みが報道関係を見ても甘い。
「脱原発=生活に支障、経済に打撃」という図式を検証することなく信じすぎてないか?
確かに、計画停電では色々な面に支障がでた。信号が点灯しないというのは大問題だし、1日のうち数時間でも停電されると製品作りが全くできない企業もある。

酷なようであるが、東京一極集中が原因である問題もあるのだから、計らずも「脱原発」が地方への分散を促すのかもしれない。すでに計画は消えてしまったが首都機能の移転についても、「脱原発」が起爆剤としてなされるかもしれない。地勢的な集中、時間的な集中、季節的な集中が無駄に電気を作り出さなければならないシステムを生み出した。それから、人間の欲望がね...

すでに夏の計画停電を回避するために、企業や業界単位で操業・営業時間を調節し時間的な集中の回避は始まっているし、社の一部機能を地方に分散する地勢的集中の解消も自衛的に始まっている。

そう、現状(震災前)を出発点としてその延長上に未来を置くから「脱原発」なんて簡単なことが実現できないのです。「脱原発」が目的なのではなく、「脱原発」は手段であり、その目的は新しい日本式社会システムを構築することに置かなければならないと私は確信している。
原発問題だけで言えば、震災の件を受けてではなく、その前から「脱原発」は確定であると考えている。
理由は簡単で、核廃棄物の最終処分場が決まっていないし、こうなってしまったからには多分今後決まるわけがない。原発以外のエネルギー源の問題は簡単に言うと「日々の食べ物をどこから持ってくるか」という問題であったが、原発問題は「とりあえず食う物は目の前にある。でも今食べてしまうと排泄物を出す場所がない。」下品な言葉で申し訳ないがもっと簡単に言えば「食っても良いけどウンコしてはダメ」という状態。でも腹は減るので食ってしまう。それが人間の性なんであろうが。すでに体に貯まった排泄物で中毒症状を起しているのに、まだ食べ物を食らわずには居れない。人間ってそんなものなのだろうか?ニューモが募集している地層処分の候補地すら決まらないと思うが、地層処分が実現したとして、そこに埋葬された核のゴミって人類が地球上から消滅してもまだ危険な状態にあるのだろう。この核のシステムは小学生が考えても破綻することは理解できると思うよ。
「持続可能性」のある社会システムを目指すなら、その象徴として「脱原発」に向かうべきだし、資本主義ベースでありながら持続可能性のある新しい社会システムを作れるとしたら、西側諸国の中では日本だけであろう。そう信じたい。


私も含めてだが、やっぱりまだ現在の人間はアホ決定ですね。

米エネルギー業界大揺れ 原発建設懐疑的に(Yahoo)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110424-00000008-mai-bus_all

「オバマ米大統領は『原発は風力や太陽光などと並ぶクリーンエネルギーの大きな柱になる』と改めて建設推進の姿勢を示した」

アメリカ大統領と言えば、自由主義、資本主義経済の頂点。
そのお方の見識が原子力=クリーンエネルギーであるなら、
「人類総アホ」決定ですね。

今回の福島原発で発生した事象で判断すれば、原発問題=安全性の問題という
構図になるのかもしれないが、もっと根本的な問題がある。

今までのエネルギー問題は「枯渇」だった。
そこにCO2などの排出物の問題も加わったが、原子力以外のエネルギーの
問題点は変わっていない。

今までのエネルギー問題はエネルギー原材料(化石燃料)の奪い合いにある。
もちろん、co2問題は別だが、原材料の奪い合いに多くの問題点があった。

ところが、原子力の場合、電力を生産した後に、解決できない問題が残る。

簡単に言えば、今までは「食べるものをどこから調達してくるか」が問題であったのだが、
原子力の場合、「食べた後の排泄物の処理が不可能である」というところに問題がある。
この手の問題の厄介なところは、「とりあえず食べられるだけ食べてしまえ」という
暴挙に出ることができる点。

再処理したって、縮減したって、最終的にどうにも出来ない廃棄物が残る。
この一点をみただけで、やはり「脱原発」は決定ではないのか?

ニューモが核廃棄物の最終処分場として「地層処分」するための候補地を募集しているが、
今回の件で益々立候補する町村はないだろう。

どうするのだ、この、人間の浅知恵ではどうにもならない核のゴミ。

「食べるものを探してこなければならない」という問題はそれ自体がブレーキとなる。
より多くの物を食べたければ、より多くの田畑を耕し、より多くの労働をしなければ
ならないからだ。ところが、先に食べ物があり、食ってしまった後に大問題が残るような
ケースの場合、人間ってアホだから、「まぁ、トイレで流せなくなったとしてもなんとかなる
だろう」と問題を先送りして先に食ってしまう。

人類って同士がいまだに殺しあって領土や利権の取り合いしているくらいだから、
程度なんてそんなものだと思うけど、いい加減に、次代に問題を先送りするような
バカな行為はやめようぜ!

どうして、脱原発がダメなのだ?
私にはどうしても理解できない。

CO2による温室効果現象が本当だとして、このままco2を垂れ流すのは絶対に良くない。
でも、多分CO2問題で地球が人間の住めない星になるより早くに、核の問題で住めなくなるよ。

すでに、どこの原子力発電所も持って行き場のない廃棄物でイッパイだ。
そうだよね。どこにも持って行く場所がないまま40年も創業続けてきたのだから。
原発を止めて、現在の原発がある場所を核廃棄物の最終処分場として管理していくしかないよ。
こんなこと、小学生でも理解できるぞ。これから先、地層処分できる用地が確保できるのか?
沖縄の米軍基地問題どころの騒ぎではないぞ。簡単に言えば、北海道の住民を全員本州に
移住させて、北海道全体を核廃棄物の処分場にしてしまう...というぐらいの問題だ。

発電すればするだけ、処理できないゴミがのこる。
ゴミの処分場を作ることは多分無理。
とすると、今ここで「脱原発」という英断をしなくても、早晩この原発システムは破綻する。
こんな簡単なことも理解できないなんて...やっぱり人間はアホ決定だわ。

こんな人類...あきらめたくなるのだが、まだあきらめるわけには行かないね。

どうやったら、この簡単な理論を理解してもらえるのだろうか?
それを考えよう!