ボランティアで思ったこと | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

先日次女達の暮らす地域では震度4の地震があった。あちらこちらで自然災害が起きる今、多くのボランティアさんも各地に赴いて活動されていることだと思う。


私の様に70歳近くの高齢になるとあちこち痛みがあったり力もなく現地に赴いて奉仕するようなことはできないだろうと思っていたけれど、自分の住む地域で大きな災害が起きたらそんなことは言ってはいられないだろう。


仮に自分達が無事であっても、炊き出しなど自分にできる手伝いはすることになるだろう。そんなことを考えていて、ふと先日職場に来たボランティアさんのことを思い浮かべた。


今月だけのボランティアさんで、刺激をくれたボランティアさん、と言うタイトルの記事でも書いた、62歳で4月から短大に入学すると言うボランティアさんだ。


短大で学んだことを活かして何かをしたい、とかそう言ったことではなく、ただ純粋に短大に行きたい、と言う自分の気持ちを、正直に行動にうつして生きる彼女にほんとに刺激をもらったことには間違いない。


そんなボランティアさんが来てくれる曜日は私が休みの日が多いので、彼女にはもう会うことはないだろうな、と思っていた。


ところが先日再び来てくれて顔を合わせることがあった。その時に微妙な違和感があった。実は初めて会った時も少々気にかかることはあった。けれどボランティアさんだし、とその時はさほどでもなかったのだ。


シーツ交換をした際に洗濯済みのシーツを角々きっちりと合わせてそれは丁寧な仕事ぶりだった。ただそのシーツはこれから利用者さんの部屋を回って布団にかけてゆくのでそこまで丁寧に畳む必要はない。むしろそんなことをしていたら時間内には到底終わらない。


なのでそのことを伝えて、ここはざっと畳んでおけばいいから、と言ったのだけれど、性分なんですよね、と自分の性分を貫く。まぁ、いいか、ボランティアさんだし今日は一緒にやるんだし、と初日にそう思うことがあった。


そして今回顔を合わせた時は、利用者さんの各部屋を掃除したい、と言うことでお願いした。うちの施設は掃除には外部からの業者さんに来て貰っているけれど、利用者さんの個室まではされないので、各担当職員がすることになっているけれど、なかなかそこまで手が回らず汚い部屋も多く、前回来られた時に彼女も気になったのだろうと思う。


日頃できないので本当に助かるのだけれど、その日はいつになく失禁なんかの利用者さんが多くシーツや布団の洗濯物が山の様にあった。それに加えていつもどうりの洗濯の量で、これらを夜勤の職員が来るまでにベッドメーキングまで整えて終えるのは結構大変だ。


私はその時、今日はボランティアさんがいてくれて助かるな、と思い彼女に午後からはシーツかけを手伝って下さい、とお願いした。彼女は、はい、掃除が終わったらお手伝いします、と言われたので午後から期待していたのだけれど、一向に手伝いに現れない。ずっとひたすら掃除が続く。


いやいや、掃除、全部屋するの!?29部屋あるけど💦 それも彼女の仕事ぶりを見ていたら、大掃除並みの丁寧さだ。タンスの上の埃や、ベッドの下まで、これを全部屋するつもりの様だ。いや、また他の日にも来られるのだから、何部屋かずつでいいんじゃないの!?と思ったけれど、性分の様で、私は諦めた。


これ、新任さんなら、仕事は優先順位を考えてしようよ、と言えるけれど、ボランティアさんには言えないものだ。案の定彼女は一日がかりで掃除を全部屋し終えたので、当然ベッドメーキングの手伝いには来れなかった。思いがけず時間がかかりました、と言っていたけれど、そうでしょうとも。でも利用者さんの部屋が綺麗になり有難うございました。と伝えた。


そして私は一応プロなので、山ほどの仕事を時間内には終わらせることができた。その時私はボランティアとは、今必要な助けをしてくれるのが一番助かるものだ、と実感した。決して自分の性分や満足のためではなく、むしろそれは脇に置いて、相手のために必要なことをすることを一番に考えなければいけないな、と思ったのだった。


ことに被災地でのボランティアは尚のことだ。ボランティアさんの助けが必要な方も、なかなか自分から言い出しにくいものだ。折角来てもらっているんだから、とか、申し訳ない、とか言う気持ちになったりする。ことに日本人はそんな場合じゃないだろう、と言うような場面であっても遠慮してしまうことってあるよなぁ、と思う。


ただ、かつて私の住む地域で台風による床上浸水の被害が多くでた時、被害に合った人は茫然自失で、実際何でもするから、と言っても本人達が何から手を付けていいのやら、何をお願いしたらいいのやら全く分からない、と言う状況のこともある。


そんな時は外部のボランティアさんの客観的な目で見て必要なことを見つけることは大いにアリかとは思う。うちに来てくれたボランティアさんもきっと日頃私達が見過ごしてしまっている利用者さんの部屋の埃や散らかり具合をちゃんと気づいてくれてのことだったと思うし、それはちゃんと感謝している。ただやはり優先順位だなぁ、と思ったのだ。


これからはほんとにいつどこでボランティアさんが必要になるような災害が起きるかわからない。自分の身の備えもだけれど、ボランティアする側になった時のことも考えていなくては、と感じる。それから自分が被災した時もちゃんと今必要なことをハッキリ伝えようと思う。そんな災害が起きないことを心から願うばかりだけれど。