今日はイースターらしい | やまとうた響く

やまとうた響く

日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

ネットを見ていて今日(3月31日)がイースターなんだと知った。とは言え日本語では復活祭、キリスト教徒でもない私にはまるで馴染みがない。


ただ復活祭、と言う響きには親しみを感じる。イエス様の復活と言うよりむしろ、冬の間まるで植物や動物が冬眠するかのような、人間も活動的とは言えなかった季節から一挙に春がやってきたかのような、まさに全てが復活したかの様に感じられる。やはりめでたい、祝いたい気持ちになる。


それにしても今年はいきなり来たな、と言う感じがする。ほんの数日までは暖房を使っていたし、電気毛布まで使って寝ていたのに、昨日あたりは日中は今着ている服が暑く感じられた。


あまりに真冬の服やコートの類いだけは片付けた。まだこれから寒い日はあるだろうから衣替えほどではないけれど。


すると昨日我が家の冬眠中のスッポンの赤ちゃんが目覚めて砂の中から出てきた。昨年の秋に孫のうたが家の近くの用水路でスッポンの赤ちゃんを見つけて捕獲し私にくれたのがそのスッポンだ。


私が亀が好きで、以前とーさんが亀の赤ちゃんを拾ってきて飼っていたのが脱出していなくなりガッカリしていたのを知っているうたが、私のために用水で亀がいないか探してくれていて見つけたのだった。亀と言うかスッポンだったけれど😅 


捕まえるの大変だったけど頑張ったんだよ、と言っていた。ただ浅いとは言え用水は危険だから一人で今後は近づかない様にだけは言い聞かせて、有難くスッポンの赤ちゃんを譲り受けた。その子が冬になり砂に潜り込んで全く見えない状態だった。きっと冬眠したのだろうけれど、ほんとに小さい赤ちゃんだったからうまく冬越えできるか心配していたのだけれど、無事に生き抜いてくれていた。まさに復活した。



昨日姿を現した。


まだまだ小さい。

水槽を洗って水も替えた。


うたにも無事を報告した。

自然の理とはすごいな、と思う。時が来ればすべてが起きるべくして起き、 人間も生き物すべてその理の中で生きているんだな、と思う。


近所の山羊も今年になって初めて外に出ていた。


うちの庭の早咲きの桜はすっかり葉桜になった。そのうちサクランボの実をつける。



沈丁花が春の香りをさせてくれ、木瓜も可愛い。



空いていた鉢にインパチェンスを植えてみた。

どこに行くわけでもなく春を満喫するのどかな休日の朝。



足元が重くて目が覚めたらくぅちゃんが人の足の上で寝ていた。


私が動くと起きた


みぃちゃんも来た

その後隠れた



再び寝る!

私も二度寝する。だって乗っかられてるから起きれないし、と言い訳しつつ。長閑な朝から始まったイースター。この長閑な春を祝いたい。これからの春の始まりの予祝になるように。