人命と日本を救った2つの奇跡①
イスラエルにあるゴールデン・ブック
ゴールデン・ブックに記されている幾多の偉人はユダヤ人に対して
多大な業績を残し貢献した人物に感謝して讃え名と功績を記した名誉あるブックである。
その中に、4人の日本人が記されている。
杉原千畝、安江仙弘、手島郁郎、
そして、ゼネラル・樋口季一郎 今回の主役である。
戦中、まだ80~100年前の世界は人種差別が闊歩していた時代
我々、日本人(黄色人種)も例外なく白人から人種差別を受けていた。
ユダヤ人も何千年もわたり差別を受け続け
近代になるまで祖国を持てず 世界中に離散を余儀なくされた
民族である。
幾多の尊い人命を救った男の実話
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツはアドルフ・ヒットラーの民族浄化思想のもと
ヨーロッパに於けるユダヤ人への迫害、虐殺を独断決行した。
多くのユダヤ人は命からがらヨーロッパを脱出
シベリア鉄道を使って東へと逃げてきたユダヤ人も多くいた
ソビエトと満州国(日本統治)との国境の駅、オトポール駅(ソビエト領)に
万を超えるユダヤ人が立ち往生していた。
季節は冬、零下30~40度になる極寒の地
寒さと飢えで次々と人命が失われてきた。
ナチス・ドイツから「ユダヤ人を国境を通してはならない」と
鬼でも涙する様な圧力をかけてきた
そんな状況を知った樋口季一郎少将は
「ナチス・ドイツが何て言おうと、目の前に命を失くしている人々がいる
ユダヤ人を満州鉄道を使って南下させ大連や上海へ送ろう」
と判断し上司の東條英機中将に相談、説得
東條は「ナチス・ドイツの圧力に屈せず人道を守る」と樋口季一郎少将に
ユダヤ人を国境を通過させ満州鉄道を使って、大連、上海に送る事を許可した。
万を超えるユダヤ人を輸送するだけでも大変だが人命がかかている
素早く実行して人命を救った。
(後世の人は満州鉄道の路線を「樋口ルート」と呼んだ)
戦後、東京裁判でA級戦犯として刑に服された東條英機が
「人道の為に、ユダヤ人救済の大きな決断をした」事はあまり知られていない。
樋口季一郎少将のもう一つの逸話。
1937年(昭和13年)満州のハルピンで「極東ユダヤ人大会」に於いて
樋口季一郎少将は演説を行う
内容を要約すると
「ユダヤ民族と他民族との紛争は日本には存在しない
日本は民族問題には極めて公平な立場である。
ユダヤ人は研究心に富み勤勉で、経済的、社会的分野で偉大な
能力を有し科学的分野では世界的貢献をなしている
自己の郷土を再建する事は何ら奇跡ではない」
会場は感激、感涙の嵐 スタンディングオベーションで
拍手喝采を浴びた。
樋口季一郎少将も東條英機中将も杉原千畝、も
日本人は人種差別の概念が無くどんな人種であっても
公平に接し慈悲深い民族だと誇りをもつ事が大切だと思います。