我が一族、感謝という言葉を理解しています。



感謝とは、仏教でも大事な概念ですよね。


特に農家では、天候もよく、農作物がきちんと収穫できたときに


自然のすごさと、それをもたらすたぶん、神様仏様だろう対象に


「ありがとうございます。これで食べていけます」と


感謝します。



人数が多い家族だからこそ、衣食住は死活問題です。


全員が、飢えずに生きていく。


子ども達を、全員、しっかりと高等教育へすすめるように責任を持つ。



そのために、稼がなくてはならない。


自前で米を、野菜を作らなくてはならない。



その全責任を負っているのが、家長であり両親です。


なので、単純に「すごい」と思います。


毎日、毎日、寒くても暑くても外で働いて


当たり前のように、子供には大学に行かせたり

 

時には私学へ文句ひとつ言わず、進学させてくれる。



年に、数回だけ、家族で旅行へ行ってました。


その時の思い出は、ずーっと、楽しい気持ちと共に残っています。


単純に、海へでかけて、一日中海辺で子ども達を遊ばせて


親は、海に出たり入ったり、様子を見ているだけで


これといって、親子で何かをした、ということもないのですが。



ちょと隣の県の遊園地へ出かけ


入場したあとは、子ども達は長女、長男を先頭に


わーっと子ども集団で乗り物に乗っているだけで


親は、見ているだけなんですけど。



そういう「場」へ連れて行ってくれた。


それだけで、感謝の対象となっているんですよね。



自分が親になって、同じことをしているんですが


親としては、年数回ぐらい、どこかに行かせないと


作文にも書けないなぁ、とか


学校で、友だちと話も合わないだろう、とか


実用面を考えて連れて行ったりしてるわけで


自分たち親が、やりたい、とかしたい、と思って


海やら山やら、アミューズメントパークへ行ってるわけではないですねぇ。



お金もかかるし


人混みは嫌いだし


電車で移動も混雑の熱気や息苦しさ、騒音が苦手だし。



それでも、「親だから」やるんですよね。


これが親としての責任かぁ、うちの親がやってたんだから、と。


繰り返していくパターン記憶、ってやつでしょうか。


同じことをしていると、とりあえず安心、ということもありますけど。



それで、子供が楽しかった、というのなら


たぶん、自分たちが、めったに乗れない遊具に乗れて楽しかった。


海で貝やら、カニやらをつかまえて楽しかった、


というあの再現ができたんだろうな、とホッとします。



こんな私も親ですが


自分の親がしてくれたことは、できる限り自分の子どもにもしよう


と思うぐらい、うちの親は手本としてはベストだなと思います。









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