Eさん:60代 男性 元 福島第二原子力発電所 勤務 妻・息子36歳(原発から2kmの距離にあった家は津波に流された)
皆家族が会社勤めをしていたので、安否の確認が取れなかったこと。家の確認をしようとしたら、隣の家の人から「家は無いよ」と言われた。新潟に居た時、近くまで津波が来たからわかっていて、「あ~家無いな~」と思っていたが…
息子が浪江・妻が大熊・自分は富岡(第二原発)だったから、家にいたネコがどうなったかわからない。
家族とすぐには連絡は取れず、しばらくして通じるようになったので、他人の携帯を借りてあちこちと連絡を取り、無事を確認できた。
今までは大きな地震があってもこんな大津波は無かった。安心してしまっていたから流された人がいる。流された人は皆、逃げたのに一旦家に戻った人ばかり。外で騒いでいた人は助かっている。地震から10分後に津波が来た。
富岡にある東京電力 福島第二原発の地下にいた時に地震が起こった。危険を感じて外に出た。第二原発の中は崩れたりはしなかった。夜の10時半に双葉町に戻ったら真っ暗で壁という壁が皆崩れていたが、避難場所は記憶していたので、そこへ向かった。津波は田んぼの真ん中あたりで止まっていて、避難場所までは来ていなかった。
12日に福島県伊達市の蒲田へ一次避難した。
二次避難先のさいたまスーパーアリーナに来てから携帯電話を買った。口座が妻のものしかなく、合流できてから、ようやく購入できた。息子は勤めていた関連会社に就職でき、東京で働き始めた。連絡は取れているし大人だから大丈夫だろう。
避難所で仕事を探している人も多いが、子どももいるし、定住地がどこになるかもまだわからない状態だから、余計難しい。住むところが確定すれば勤めても良いが、また移動するなら勤められない。
教室に10何人で住むという生活も辛い。子どもがいる人は空いている住宅に移り住んだりもしている。他は猪苗代のリステルに行ったりしている。郡山市などの借り上げ住宅は申し込みが一杯で入れない。
ボランティアで避難先を斡旋してくれているものもあるが、期間が区切られていることで躊躇している。だから町長と行動を共にしようと思っている。
若い人で幼い子どもがいれば、また考えは違うと思う。自分たちは年齢も重ねているし、何も心配事は無い。若い人だったら、考えてしまうと思う。
集団生活でストレスが溜まらないように、他の夫婦はケンカばかりしているけど、自分は妻に服従している(笑)。あまり避難所にいないようにして、昔は競輪選手を目指せと言われたほど乗りなれているので、自転車で片道20kmのショッピングモールまで走ったりしている。
情報収集は、テレビと新聞、パソコンを使える人がいるから、インターネットも見ている。双葉町の現状を映して欲しい。テレビなどでは滅多に映ることがないので、戻ったりした人から状況を聞いているが自分の目で見たい。
しかし戻れる状態でもないし、家がないから関係ない。何年か経ったら行ってもいい。
どれくらいで戻れるか見当つかない。装備なしで行けるなら今すぐでも行きたい。
マスクするのはいいけど、高濃度汚染地域はマスクだけではダメ。マスクだけで戻って良いと思ったら大間違い。下は靴では行けない。長靴履いて、テープで留めないといけない。マスクだけで行けるなら自分も行っている。だから戻るにも着衣を装備するから、汗もかくし大変。
原発内でもマスクが必要な所と必要がない所がある。管理区域でも色々ある。
危ない所はカッパ、全面マスク、長靴、手袋を装備しないとダメ。A区域。
B区域はツナギ着て入る
C区域は全部着ているものを脱いでパンツ一丁になる。線量も高い、汚染も高い、装備がそれぞれ違う。
(失礼ながら方言がうまく聞き取れなかったので、wiki URL掲載しておきます http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E7%AE%A1%E7%90%86%E5%8C%BA%E5%9F%9F)
原発に勤めていたから放射線の数字を言われてもわかるが、一般の人はわからないと思う。双葉町の人は原発で勤めていた人が多いので、危機意識が高い。もっと一般の人も意識を持ち知識を付けるべき。「0.いくつ」というのは、さほど影響があるものではないが、知識がないからこそ一般の人は怯えているはず。
(福島県内の地域の数値を示すと
原発から2kmの所に家があって、海の方だが、場所によっては山の方が線量が溜まっているのか…と。ポツリ。
子どもを抱えている人は仕事に行っていると聞いているが、自分はここに来るまで川俣、スーパーアリーナ、騎西高校、と3回移動して来た。大丈夫だと言われたが、爆発したと聞いて、職業上、状況を理解できるから、状況に応じて逃げた。
原発の仕事には戻らない。社長も来て話したが、60歳を過ぎているし、体力的に無理がある。
今後はまだわからない。いつまでここにいられるとも聞いていない。家を津波で失っているので、帰りたいとも思わない。双葉町だけでも、ここに全員がいるわけではないし、今後も1か所に皆で住めることはない。他の双葉町の皆がどうしているのかもわからない。だから町長さんと一緒にあちこち渡り歩くことを選ぶ。双葉の町長は良い人。
一時帰宅はしない。あんな装備してトイレもいけないような所に行きたくない。今まで原発で何回も経験してわかっているから。情報は新聞に載っているのと、現場から聞いているのとでは全然違うから「何やってるんだ!(怒り)」と思う。
避難所では自分も自ら物資を運んだり、と率先してボランティア活動してきた。
買い物とお風呂が離れているので、バスが校庭から出ているが、もっと年配の人は大変。特設のお風呂を作る予定のようだが、まだそこまで行っていない。
行政に求めることは…もっと補償して欲しい。家が無いし何もないから。
健康状態は少し高血圧になっている。噂で流れているような鼻血や吐き気等は、聞いたこともないし、周りにもいないが、妊娠している人だったら、危険だったとは思う。
家を津波に流されたEさんは、それでも「海が見たい…」と呟いた。