重ね煮と発酵食で命を支える。
奈良の「発酵ばあちゃん」、竹村享子(きょうこ)です。
ある席で私のことを聞かれて、重ね煮講座をぜひ受けたいという方がいらっしゃって、急遽体験入門講座を開催しました。
暑い日にも関わらず、大阪から3人お見えくださいました。
初めて受けて下さる方には、私の自己紹介をしながら社会情勢のお話をします。
日本の高度経済成長の時代は1955年(昭和30年)から1972年(昭和47年)といわれます。その頃は毎年経済成長が10%だったそうです。
昭和30年代半ばから50年代にかけての高度経済成長期に『衣食住』が大きく変わりました。
私が生まれたのは1953年(昭和28年)なので、自分の成長と共に経済が上昇していったわけです。昭和30年代から昭和40年代にかけて、世の中が動いていくのを肌で感じながら育ちました。
30年代中ごろに、テレビ、冷蔵庫、洗濯機の家電は、三種の神器と言われていました。
それまではラジオしかなく、昭和34年今の上皇様が結婚される時に、「皇太子の結婚式をテレビで見よう」という宣伝がされて、日本中で競うようにテレビが普及し始めました。
同じ頃まで、ほとんどの家に冷蔵庫はなく、洗濯はタライでゴシゴシしていたのです。
テレビを見るようになると、民放のCMでいろんな商品を知ることになり、インスタント食品の広告は今でもよく覚えています。
それまでの食生活が変わっていった要因の一つは、今もそうですがテレビのCMだったんです。
第1回の東京オリンピックは、1964年(昭和39年)です。
3年前にあった2回目の東京オリンピックとは全然違って、日本社会全体の盛り上がりは今と比べ物になりません。
新幹線ができ、東名高速道路ができて、大量に物や人の輸送ができるようになりました。
そのために日本の北から南まで遠くの野菜や果物、加工品が運ばれるようになったり、冷蔵庫があるので、保存できるようになりました。
衣の世界では、綿麻絹などの自然素材のものが、化学繊維の服が出回るようになりました。
また住の世界では、紙や木の家から、公団住宅としてコンクリートの家ができ始めました。
また第1回目の大阪万博は、1970年(昭和45年)です。
この時も現在とは違って、日本全体が盛り上がりました。全国から大阪の万博に行く人がもの凄い数で、各パビリオンに入るのに、何時間も費やして並んだ覚えがあります。
今の大手のフランチャイズ店の第1号店ができたのもこの年です。外食産業が台頭し始め、私は大学生になってピザやフライドチキンを知ったのです。
高度経済成長した時代に、大きく日本の社会構造が変わり、日本人の意識も変わっていったように思います。
その後1986年からバブルの時代が始まり、1991年にバブルがはじけました。
バブル時代には郊外型のレストランが増えて、私も日曜日に小さい子どもを連れてレストランによく行った覚えがあります。
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