「gifted/ギフテッド」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

映画を観る人それぞれが "ここがツボ" というお気に入り場面というのは必ずあるはずで私もそれは一つ二つではないのは確かなのだが、それを全て列挙しようと試みても最近は健忘である故コンプリートするのは難しく先日「南瓜とマヨネーズ」で取り上げた "ボタンの掛け違い" のように都度取り上げることにする。ということで「gifted/ギフテッド」における私の大好物シーンは "黒板にチョークで数学の超難問を解いていく" 場面なのだ。

 

「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」でマット・デイモンもやっていたその場面は今も観るだけで何故か涙が出てくる。これは理屈ではなくトラウマでもないのだが、数式に表される宇宙の真理に触れるという表現にそこはかとなく感動するのだ、と自己分析する。「gifted/ギフテッド」ではそれを7歳の女の子がやってのけるのだから娘を持つ親という同じ境遇の私には二重に感涙してしまう。ズルい。さらにこの演出が上手いのは女の子の能力を発揮するのに否定(大人が仕組んだトラップ)から入っていき、その場にいない叔父の存在を女の子がその策謀を指摘しない理由(子供の従順さ)として締めくくるトコにある。ただ黒板に数式を書きゃいいってなもんじゃない。そこで物語のステージが一つ駆け上がる瞬間にグッとくる。

 

"大好物シーン" "娘" ときて、さらに主人公に飼われている "隻眼のネコ" がクライマックス大切なファクターを成している。我が家でも3匹のネコがいる。皆捨てられた命を拾い上げて現在も健在に生きている。そのうち1匹は尻尾を半分以上失って倒れているのを病院に連れて行ったのだ。その縁で住みついており私は治療によって短い尻尾になったネコがたいそう好きなのだが向こうは脅威の存在として逃げ惑う。それは私の動作が大雑把、寝相が悪い、というのが恐怖の対象なのだろう。自戒するしかない。しかし短尾のネコがたまに私の膝の上に乗ってくる、その回数はヨメや娘に比べると稀有な回数だが満足している、そんな事を思い巡らしてこの作品に登場する隻眼のネコを観ていると勝手に盛り上がってしまう。オメデタイ。

 

欲言うならば、ラスト締まらない感が否めない。娘が大学で勉学に励んで、帰り道に通っていた小学校の仲間たちと遊んで、それを見守る主人公と恋人がお互いに微笑む…って、とってつけたハッピーエンドを描くんじゃないよ。そこは "大学に通う初日" として冒頭の "小学校に通う初日" と重複させるような親子の会話を交わす方が面白いだろうし、恋人は登場させない方がこの叔父と姪の物語として終幕に相応しいと感じる。

 

先日、新聞報道で数学のABC予想が京都大の教授によって証明されてその論文が専門誌に掲載される業績を知って驚いたが、凡人には理解できない範疇なのだろうね、だってこの作品にも出ていたポアンカレ予想も以前に放送された某公共放送の番組で大まかには理解できたけど詳細はさっぱりお手上げだもんね。「賢くなりたい!」そんな願いも健忘によって霧消となる。南無。

 

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