「南瓜とマヨネーズ」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

毎回同伴するヨメと映画見終わった後の映画談義が好きで先日どういった件でそうなったのか思い出せないが私の好きな映画の傾向として "ボタンの掛け違い" が起承転結のターニングポイントとして描かれている、ことを改めて自覚する。これは最近の作品だと「ラ・ラ・ランド」「トリプル9」とジャンル問わず見事に当てはまり、おおお溜飲を下げる思いがしたのは久しぶり、我流の映画論に見事なパズルピースを手に入れたと手前勝手に喜んでしまう。

 

ということで「南瓜とマヨネーズ」の予告編を見たときに何かしら引っかかるものがあり劇場に足を運ぶとまさに "ボタンの掛け違い" がそこにあるではないですか。これです、好きなのは。しかし、これだけあれば宜し、というわけではなく、この作品は物語の構成は良く練られており、"ボタンの掛け違い" が起きるシーンは、現在と以前の彼氏の鉢合わせという滑稽なシーンが描かれた直後という感情の起伏の周到さがまさに良質なる脚本の目論見だと気づく。上手い。持ち上げといて落とす、定番だが思わず "そこ!" と叫びたくなる。「ラ・ラ・ランド」でもセバスチャンがサプライズでミアの誕生日ディナーを用意した後の "ボタン掛け違い" に "そこ!" だったもんね。

 

夢を追いかける人、現実を見据える人、尽くす事で特別な存在だと認められたい人、尽くされる事が重荷に感じてしまう人、未来に向けて変わっていく人、過去にしがみついて変わる事を拒む人、この物語に出てくる人は主人公ツチダ、恋人のせいいちに限らず皆愛おしい存在であり彼らの心情が痛いほど伝わってくる。主演臼田あさ美はもちろん太賀やオダギリジョーその他の全ての出演者の演技が上手い。キャバ嬢可奈子役の清水くるみが「桐島、部活やめるってよ」のバトミントン部員だと後日知って鳥肌が立った。同じ「桐島…」に出演していた太賀つながりもあるが、「桐島…」から数多く出世してることに感嘆する。

 

音楽という夢を追いかける物語は極力BGMも排して自然音で強弱をつけていく。エンドロールにも音楽はない。それは終盤、ライブハウスの楽屋の中で歌い上げるせいいちの曲が主人公ツチダが最も望んだもの(音楽)であり、そのメロディーを体感できた事により溢れくる感情が彼女の泣き笑いとして表現される。そして冒頭から曲作りのスランプに陥り全く見せなかったせいいちの笑顔。欲言うならば、ここで作品は幕を閉じてほしかった。正直、彼らの打ち上げが終わった朝帰りの場面は要らない。その後ツチダの回想として再び楽屋シーンに戻るのだから。さらに言うと本編の中、5回ほどあるツチダのナレーションは全て要らない。未読だが原作コミックが影響しているのか、非常にいい言葉であってもここは映像としてツチダの思いが描かれていればいいのだ。臼田あさ美の演技力でナレーションの言葉はなくてもそれは十二分に伝わる。

 

撮影はツチダが住むアパートの決して広くない空間を嘘くさくなくみせるカットの良さが際立っているし、ツチダのアパートの内装や小道具に至る美術スタッフの仕事の完成度の高さが、新旧彼氏の鉢合わせの場面でおそらくオダギリジョーのアドリブ演技であろう「のど飴貰ってくね」から窺える。

 

オダギリジョーの容姿は異性だけでなく同性からの支持も高いであろう。この作品の役柄は御免こうむるが、あああオダキリジョーになってみたいという望みはドラゴンボールが叶えてくれるのか。内面はどうでもいい、あの風体じゃなきゃ立ち飲み屋で女性とチュッチュいちゃつけないじゃないか。色欲は尽きぬ、これが生きることとみつけたり。

 

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