利他主義とはご存じの通り、自分の利益を犠牲にしてでも他者に利益を与える態度・考え方のことです。

 

これに対して利己主義は自分の利益を最優先にする、悪のようなイメージがありますよね?

 

ただもう少し掘り下げて考えてみると、この利己主義には2種類あって「他者に損失を与えても利益を得ること」と「他者に利益を与えて利益を得ること」で、どちらが自己の利益を最大化させる上で合理的でしょうか?

 

前者はもちろんブラックで持続不可能★「三方良し」の観点からみても、後者が客観的に考えて正しいでしょう。

 

GAFAやトヨタなど・・総じて、世界の発展に寄与しています。(発展の仕方には議論ありますが※)つまり、社会に利益を与えて自分も利益を得ているわけです。

 

自分の利益を持続化・最大化するためには他人や社会に利益を与える彡

 

つまり、利己主義を合理的に追求すると、利他的にならざるを得ない~💛

「会社は社会の公器」と言われる由縁ですね。

 

そう考えると「他者に利益を与えて利益を得る」利己主義は一概に悪いと言えないのではないでしょうか?

 

それが結果として「持続的な利他」につながるわけですからね。

 

利他主義の思想自体は立派ですが、現実的には苦しいものがあります。

 

自分の幸福を追求しづらく、持続可能性に欠けているためです。

 

そのため、他者に施せる量も限られます。

 

この1点に、NPOの悩みが集約されてると思います。

 

非営利法人は配当さえしなければ儲けていいのですが、実際には法的運用や社会通念にて様々な制約・縛りがあり、しかも社会的使命は重く期待されます。

 

企業のあり方もそうですが、NPOのあり方自体も大きく見直していく時代に差し掛かってると思います。

人々の暮らしを便利に豊かにしてきたビジネス☆

 

でも私たちは本当に幸せになれたのでしょうか?

 

経済効率の追求をするあまり地球環境や、多くの人々を置いてきぼりにしてきました★

 

ビジネスが引き起こしてきた問題は、ビジネスが変わることで解決できるはず💛
 

「会社は社会の公器」とは松下幸之助翁が残した言葉です。

 

働く人々を、売上指標だけで縛ること自体、もはやブラックです。

 

自社の利益だけを求める企業は今後、淘汰されていくでしょう。

人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。

人生に必要なもの。

それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。

- チャップリン - この言葉大好きです❤

 

アワード受賞企業の発表聞いていてSDGs事例の宝庫でしたのでご参考まで(メソッド抜粋)

※今年から私はホワイト財団のアンバサダーに就任しました。

 

▶三方よしの100年企業やそれをめざす企業が複数表彰された。

 

▶独自(オンリーワン)の経営理念は競争するどころか、同業他社とも協働

 

▶社員家族のための誕生日(半日)休暇

 

▶有給休暇や産休(男性社員も)取りやすい環境つくる

 

▶働き方改革のため、社員代表が経営陣と、

 リモートワークやライフワークバランスなどで対等議論

 

▶オフィスは「働く場」でなく「コミュニケーションの場」

 

▶ピラミッド組織をやめ(会社全体が)共助の場に

 

▶会社の施策より、個々の社員(クリエイテイビリティ)の成長が起点→それが会社の成長につながる。(ニトリ人事マネージャー)売り上げ拡大の数値目標だけでない「自律化した企業文化」つくる。ニトリのコアコンピタンスは店舗現場で顧客と接することで、仕事の社会的意義や社会課題を学ぶことに置き、社内インターンシップを仕組化している。

 

▶オーナーシップや高い倫理観もつ社員を会社が表彰etc..

 

※歴史の浅い会社や若い経営者がリーダーシップ取り、企業のさまざまな課題を、新たな視点で解決に向かわしている様子が感じ取れる。(CSRは社会に対し、企業は社会的責任持つべし!だったが)SDGsは企業課題を解決していく過程が結果として社会のためになり、双方向で持続可能へ向かっていくのだと再確認💚学び多いアワードでした♪

 

SDGsはご存じ「誰一人取り残さない持続可能な開発目標」ですね。 

2030年へ向け、国境を越えた社会・経済・環境の複雑に絡み合った世界課題にすべての国・民族・企業・NPO・個人が行動を起こしていこう!とたいへん崇高な理念の呼びかけであります。

 

【持続可能性って?】

「将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代ニーズを満たす」ところにある。つまり次世代へ向けて社会矛盾や自然環境とのバランスを保っていこう!というのが持続可能性の意味するところです。

 

一方【社会課題解決とは?】

「あるべく社会と現実・現状とのギャップ」を解消させるアクションと言えます。SDGsは「あるべく地球規模の社会像」を17項目169のターゲットにビジュアル化し、2015年国連サミット加盟国の全会一致で採択されたことが重要ポイントです。(世界中のリーダーたちの危機意識を反映)ただし「解決方法は各国みんなで考え行動して~」と目標値に留まる。アクションは個々で考えて起こしてください~と☆         

                           

 【 SDGsにおけるソーシャルビジネスの限界性】

社会とは?人々が生活している現実の世の中~つまり矛盾に満ち満ちた総体でもあります。たとえ1つの社会課題に取り組んだとしても、他の社会課題を生み出している可能性も多々ありますEX;夏場の高齢者の熱中症防ぐためクーラーをつける→CO2が増えるetc...地球上の貧富の格差をなくしたり、気候変動の問題を解決するソーシャルビジネスってイメージさえできない。国境を越えた世界的課題を解決していくことは複雑すぎてとても難しい!と思っています。すべての企業がソーシャルビジネスになっていくとも考えられません。

 

ではどうするか?

 

スーパーリーダーの出現や、画期的環境テクノロジーの発明や社会解決型メガソーシャルビジネスの出現を待望する?いや!他力本願ですね。もしそのような発明や出現があったとしても「誰一人取り残さない持続可能な社会」には向かいませんね。1人1人がSDGsに参加意識をもち、できるだけ「社会課題を生み出さない!」社会をみんなでつくっていくのが次世代への持続可能性へとつながります。

 

【社会課題解決から課題を生み出しにくい社会へ】

個人レベルでいうと、自分らしく個々のライフスタイルの見直しをする。私の場合で言えば、15年前からマイカー乗り捨て→徒歩で健康 社会貢献で心豊かな人生にシフト

 

企業レベルで言えば、 例えば目先の利益ばかり求める経営者が、ある一部のエリート社員だけを優遇したとすれば、その時点で他の女性派遣社員やパートたちは差別・疎外されその瞬間、複数の社会課題が発生します。

 

経営者は株主(出資者)や顧客だけでなく、従業員とその家族、地域・自然環境・次世代に至るステイクホルダーすべてにバランスよく配慮することで「社会課題を生み出さない、地域・社会にとってなくてはならない企業」として消費者からも選ばれ生き残っていけれます。

 

これこそ持続可能化であり、このような企業が多数を占めれば「社会課題を生み出しにくい持続可能社会」へとシフトしていきます。そのため企業内外のさまざまなソーシャル・イノベーションを仕掛ける社会起業家たちの連携がSDGsでも重要となってきます。

 

社会起業家は「ソーシャル・イノベーションを仕掛ける達人たち」

 

今後は社会課題解決もさることながら、課題を生み出さない仕掛けづくりが社会起業家たちにとって重要になってきます。それは例えばコミュニティ形成であったり文化芸術活動であったり、新たな教育の仕組みであったり、企業のあるべくあり方であったり・・私も事例をウオッチし続けていきたいと思います。(関学「SDGs実践入門」私の講義レジュメより)

 

💛あえて極論を言えば、社会課題解決だけでは今の社会を存続させることにもつながりかねない。課題解決の先に新しい社会的価値を生み出さねばならない。資本主義が環境破壊や格差社会を本質的に生み出し続けてるのだから、SDGsの求める社会像は、資本主義の先にあるんだと再確認しましょう。資本主義のあり方ではSDGsは前に進まないのだから💛

 

近年の放射性炭素測定法により(世界4大文明よりはるかに古い)人類最古の文明が16500年前、青森・津軽半島の北東部に存在していたと☆

 

陸稲栽培で6700年前、水稲栽培でも3200年前に、日本は縄文時代にすでに稲作をしていて、朝鮮半島から稲作が伝わり弥生時代が始まったという教科書の記述はすでに間違い★

 

大平山元遺跡では鋭利な石器や土器が発見され、調理に煮炊きが使われ、高度な加工技術を縄文人はすでにもっていた!

 

ちなみに縄文人の漆塗り技術も9000年前、中国の漆とは別系統の技術で、中国より古くからあったと彡

 

文科省は歴史教科書をしっかり書き改め、日本の子どもたちの自己肯定感を復活させてほしいですね。(近隣条項など、国際政治で事実を捻じ曲げるのはよろしくないですね。)

 

薄々は知っていたけど・・この地図!!7.2万~1.6万年前ごろの氷河期には、今より海面が100メートル程度低く東南アジアの国々がすべて陸地でつながっていた!

 

黒潮はもっと今より東側を流れていた。

 

台湾島も中国大陸と一体だったし、日本列島も北と南でつながって日本海は内海だった。(←これは知っていたが※)

 

氷河期にもかかわらず、日本列島は比較的温暖でマンモスたちがエサを求めて北海道へ南下し、それを追って中国大陸北方の新モンゴロイドたちが日本へ移住☆

 

南のスンダランドの旧モンゴロイドたちは島伝いを北上し日本へ彡合わさって縄文人を形成した。

 

もちろん中国大陸とも陸続きでさまざまな交流があっただろうと推察される。

 

通説では「縄文時代に文化はなく、狩猟生活の貧しい時代だった。それが大陸や半島から弥生時代の稲作をはじめ、仏教など渡来文化によって、日本は文明国になった」と教えられてきました。

 

しかし昨今、事実はまったくの逆であったことが、DNAをはじめとした考古学的な発掘から次々と新事実が明らかになりつつあります。

 

少なくとも海洋技術などもつ「倭人」は高度な文明をもち、黄河文明にも影響を与えていた。古代史がいま熱い💛

 

 

 

利他と利己、この二つは常に対立するものではなく、輪のようにつながっています。

 

利他的な行為には、ときに「いい人間だと思われたい」「社会的な評価を得たい」といった利己心が含まれています。

 

そんな「利己的な利他」は善意の押し付けになってしまい、かえって相手を困らせてしまうことがあります。(相手に対する過干渉は遠ざけられ、任せることや信頼することの重要性)

 

そうすると私たちは、自然と「うつわ」のような存在になっていきます。さまざまな存在が入ってくることのできるスペース(→コミュニティ※)をつくること。

 

計画通りに進むよりも、予想外の生成を楽しむこと。

 

そうすることで「利他」の「他」は開かれていきます。

 

重要なのは「自」と「他」が人間的につながること★そのあわいに生成するのが「利他」の現れなのです。by中島岳志

 

▼確かに利他と利己の明確な境目はなく、人間社会では有機的につながっていて「利己的な利他」という言葉も、なるほどな~と思います。

 

誕生日の家族間でのプレゼント交換も「この前もらったから、お返ししなくっちゃ~」とは思うし、お歳暮のやり取りやお香典返しも形式化してるとも感じる。

 

でも昨日、妻の誕生日にタブレット贈って、心から喜んでる姿みて、こちらも嬉しくなったのは、利己より利他寄り?プレゼント企画がよかったからなのかな?♪

 

▼NPOたちも個々に強い想いがあるだけに「利己的な利他」に気をつけねばと思いつつ、市民社会の大きなコミュニティ形成はまだまだ遠い道のりのような気がする。

 

「営利と非営利の融合」という超大きなテーゼも、利他と利己を勝手に切り分けて色眼鏡で相手を見ないことにも気をつけたいと思う。

 

世界四大文明の1つ、黄河文明より2000年前から長江一帯に稲作(黄河文明は畑作)などを営む長江文明があったことは考古学でも確定している。

 

彼らは武器をもたず平和な暮らしする温厚なモンゴロイド(縄文人もそう)だったが、あとから勃興した黄河文明(コーカサス系)に滅ぼされた。

 

世界四大文明より古い高度文明が世界各地にあったことは既定の事実で、日本にも中国より古い、高度な縄文文明があった。(世界的に日本の教科書だけが四大文明をまだ教えている)

 

漢字が中国から伝来する以前から、日本には「やまとことば」があったが一説によると、逆に中国の漢字の形成過程に「やまとことば」が影響したという人もいる。

 

日本は何でもかんでも中国のまねをしたというのは歴史事実ではなく、日本はもっと胸を張ったらいいと思う。

 

【渡来人】

日本の弥生期は、中国では戦国期(キングダムの時代)で、戦を逃れる大量の難民が平和な日本にも流れてきた。それが渡来人の歴史的背景☆

 

そのため九州を中心に人口が増え、それまで陸稲のコメを食べていた縄文人も、食い扶持を増やすため水耕栽培で食糧増産に務めることに★同時に共助経済であった縄文から、所有(貧富の格差)と戦争(武器)の文化が大陸からもたらされ弥生時代へシフトした。ここは長江文明を呑み込んだ黄河文明の影響か?

 

※私の祖父たちの出身は中国江蘇省☆長江のふもとで農業を営み清王朝の末期、国土が戦いで疲弊し、関西へ出稼ぎに来て住み着いた。

 

そういう意味では私も渡来人の末裔の末裔なのかもしれない💚

 

平和だった長江文明と日本の人的交流&文化的結びつきを知り、大阪に生まれて改めてDNA的必然性を感じた💛

 

ある認知症の方は「助けて~って言ってないのに先回りして、助ける人が多いからイライラする」「家族の会に行っても、家族がお弁当の蓋開けて、割り箸を割って、はい食べなさい、というのが当たり前だからね。それおかしくない~?本人の自立を奪ってない?」認知症の人が怒りっぽいのは、周りの人が助けすぎだからかもしれませんね。

 

【信頼と安心】

ここに圧倒的に欠けているのが、他者に対する「信頼」です。優しさからつい先回りしてしまうのは、その人を信じていないことの裏返しだとも言えます。信頼は相手が想定外の行動をとる、つまり「社会的不確実性」が存在する前提で相手を信じる関係性ですが、「安心」はそうではなく、相手の行動が自分のコントロール下に(無意識に)置いてしまっている状態かもしれません。つまり信頼すとき、人は相手の自立性を尊重し、支配するのではなくゆだねているのです。

 

【利他の大原則】

利他的行動には「これをしてあげたら、相手にとって利になるだろう】という「私の思い」が含まれています。重要なのはそれが「私の思い」つまり思い込みでしかないことです。そう願うことは自由ですが、相手が実際に同じように想ってくれてるかどうかはわからない。それが「これをしてあげてるから、相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには「喜ぶべきだ」になるとき、利他の心は、容易に相手を支配(依存関係)することに繋がってしまいます。利他の大原則は「見返りを期待せず、行為の結果はコントロールできない、しない」こと。

 

【よき利他】

利他の本質は「他者をケアすること」ただしこの場合のケアとは、必ずしも介助や介護のような特殊な行為であるとは限らず、むしろ「こちらには見えていない部分が、この人にはあるんだ」という距離と敬意をもって他者を気遣う、という意味でのケアです。そこには大小さまざまの予期しない他者への発見があります。そしてよき利他には必ず「自分が変わる」が含まれる。「他者の発見」は「自分の変化」の裏返しに他なりません。『利他とはなにか』より

 

▼利他は他者をケアする中での自分の成長~本著を読んでいてますます利他は(福祉でなく)教育だとの思いを強くしました。

教育というプロセスを通じて、教師は生徒たちに育てられてんだと❤

私も社会活動通じて、社会起業仲間や社会当事者たちに育てられています💚