タイ古式施術deどうなってしまう?!

タイ古式施術deどうなってしまう?!

あなたのレベルを上げるための知識と心構えをこっそり教えます!

今までブログなどで様々な寝起きの方法を紹介してきた。

このストレス社会においては、朝スッキリ目覚めて体が軽いという人の方が少ない時代になってきているのではないだろうか。
しかしそんな時でも朝起きなければならない事情があると思うので、何とか無理せずに起きられる方法を紹介してきた。

それがほんの少しずつ体を動かし始めることだったり、血流を良くすることだったり、主に3次元的つまり肉体的な操作によるものだった。

しかしこれからの時代はもう一歩進んだレベルの方法を発表しても良い時代になってきたと思う。


ある日、仕事を終えて夜中過ぎに帰ってきて食事をしてから寝たのだが、目覚めた時に体が緩み切っていて力が入らない。
このままずっと寝ていた方が楽だなと思った。

以前に書籍では座標軸を設定することで体が自然に動く方法を紹介したこともあるのだが、この方法にしても意識の集中力を使うので、本当に疲れている時はキツイなと思う。

今回の方法は全く逆である。


さて 緩んでいた方が楽だと感じるのに力を入れて起き上がろうとしたり意識を集中させようとするのは無理があるというのは一目瞭然だと思う。
それでもみんな責任感や義務感から頑張ろうとしてしまうんだろう。
そんなことでは更にストレスが溜まってしまう!



ここまで考えればもうやり方はわかるのではないかと思うけれど、実は緩みきってる体からさらに力を抜くのだ。

気持ちよく朝伸びができれば、血流がアップしたりして動きやすくなるのだが、疲労して目覚めた時はそんなこともきついと思う。
でもさらに力を抜こうとすることはできるはずなのだ。

私も早速やってみる。

自分の細胞と細胞の間がさらに広くなるような感じ。

旅行用の四角く固まったタオルを水につけたら、ふわっと広がって大きな普通のタオルに戻っていく…そんな感じ。

どこから始めていいかわからなければ、凝っていそうな首の筋肉あたりから始めてみてもいい。


さて 私も実際やってみると、体がだるかったはずなのに、すうっと楽に座る状態までほぼ自動的に起き上がった。

さて ここからが問題である。

体を緩めるという状態になれてない人は、このままぐずぐずしていると、また知らない間に力が入ってだるくなり、また横になってしまうということになる。
そうすると知らない間に二度寝して、人生のスケジュールを大幅変更ということにもなりかねない!

座る状態までいったらすぐに立ち上がり、歯磨きするとか服を着替えるとか、とにかく何か行動することである。

これを毎日やってれば、「今まで頑張ろう、集中しよう」としてきたところを、「緩める、広げる」という考えに変えるだけで、いろんなことが楽に進むことがわかってくると思う。

新しい考え方を採用することで、皆さんの人生が楽な方に変わっていきますように。
瞑想を始める人は何らかの結果を求める人が多いかもしれない。

単に能力をつけたいとか、心を鎮めたいとか、病気直しで瞑想をやる人もいる。

そして、瞑想を長く続けていると瞑想時の意識は通常の意識よりも心地よいものだということがわかり、瞑想自体が目的になってくることもある。

しかし、さらに続けると瞑想は肉体的精神的に心地よいだけではなく、深い自分を掘り起こしていくという素晴らしさをも提供してくれる。 

余計な疑いや自分でないものを削ぎ落として、まさに本来の自分に少しずつ近づいていく喜びをもたらしてくれるのである。


その状態のことをある人は、「瞑想が深くなってくると、まさに何かを思い出そうとしている人のように振る舞っているのに気づく」と言っていた。

これはまさに 名言 だと思う!



この感覚がわかれば、瞑想は外に求めるものでなく、また何かを自分に付け加えるものでもなく、訓練するものでもなく、ひたすら自分の内側にあるものを発見していくものだということがわかるだろう。

そしてその奥にある健康や潜在能力や静けさ、より深い理解など、元々あるものが勝手に現れててくるのである。

そのためにすることは能力開発などの行為ではなく、まさにそこに初めから自分の中にあるもの、初めからあるのに忘れてしまっていたものに気づこうとすることなのだ。


この瞑想に対する姿勢は深い瞑想に入りたいと思う人にとって素晴らしい入り口になると思うので、今日はちょっと紹介してみることにした。





さて、巡礼してる間はたいてい気づかないものですが、歩くにつれて自分の意識が外の世界のものと全然違うものになっていくのです。


こういう感覚は手短に説明してもなかなか分かって頂けない事が多いので、いっそのこと巡礼記録を全公開してしまおうとAmazonの電子書籍にしました。



ぱっと見は普通の旅日記に見えてしまうのですが、読みながら世界観や意識状態が緩やかに変化していくのが感じられると思います。



Kindle Unlimited に登録している人なら無料で読み放題です。

そうでない方もご興味があれば350円で読めるようになってますので、インスピレーションがあればぜひどうぞ!

永遠の旅路上巻: ~カミーノ巡礼~日常に潜む非日常への入り口


永遠の旅路下巻:~カミーノ巡礼~日常に現れる非日常への参入


カミーノの巡礼旅は3パートに分かれていて、最初の1/3は過去の自分の浄化、真ん中の部分は現在の自分を見ていく、

そして最後の1/3は自分の未来を垣間見ていく、もしくは作り上げていく旅路と言われています。


歩きながら人は意識を変え、自分に対する考えも変わり、そうなると世界も変わっていくということを実感するのです。



前書きの部分を以下に無料公開します!


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2007年夏にふと行きたくなったカミーノ巡礼が終わりのない旅の始まりだと気づくまでにはそんなに長くかからなかった。
普通の巡礼として気楽に始めたのだが、歩くにつれて自分の人生や生き方と深く関わりを持つ旅になっていった。


サンティアゴに着いたら巡礼の完結を祝おうと思っていたが、実はカミーノが人生全体を歩く旅だと気づいてしまったがゆえに、死ぬまでこの道の上を歩き続けようと決心した。
ぼくには選択の余地などないからだ。


それ以来人生の旅路を重ねて、ある時ふとカミーノの旅を書き残しておこうと思った。

後から歩き始める人たちの道しるべにか?

それとも、安全に旅の思い出をしまっておける場所は人々の心の中だけだからと気づいたからかもしれない。


とにかくこれは誰にあてたわけでもないぼくの40日ほどの巡礼の旅と瞑想の日記である。

読めばぼくと一緒にぼくの人生の一部を歩くことになる。
それでもいいという人だけ読み進めてほしい。

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そう言えば、若いころから旅と瞑想は好きだった!
何年も海外を放浪して回り、長い時は8年以上も各国を流れていた。
何かに呼ばれてアメリカ在住時に最も厳格な正教徒のクリスチャンになり、シナイ山など中近東の砂漠の修道院で修行に励んだが、また何かに呼ばれて還俗し放浪に戻った。

そんなぼくがタイでタイ古式に出会い、チェンマイで教え始めたのは2005~6年頃のことである。

父親の命がもう長くないと言う姉の策略にまんまとはまってすべてを捨てて帰国するが、長年の父との諍いが調和に変わったことは姉に感謝しなければならない。


せっかく日本に来たのだから日本一周してみようと、まず屋久島などの島々を経て沖縄本島・石垣島までいったところが、結局そこで「はまって」しまった。
それが今はなき石垣島のゲストハウス『さんだるハウス』である。


オーナー夫婦と気があったのが長滞在の一番の原因かもしれないが、「さんだる」のゆんたくルーム(談話スペース)を取り囲む寝室群という造りが人と人をどんどん結び付けていくのに感激したせいもある。


ところが、いきなりインスピレーションはやってきた!

「カミーノ巡礼へ行きたい!」

訳も分からないまま情報収集し始めたところが、偶然スペイン人のカップルがやってきて一か月も「さんだる」に滞在したので、忘れていたスペイン語も思い出してきた。


そしてすべてが整った時、また必ず石垣に帰ってくるとみんなに言い残して(誰も信じていなかったが…)、出発地点の名古屋へと飛び立ったのだった!


巡礼旅行というよりは歩き瞑想の旅になりそうだ。

とにかくこんな風にすべてははじまった!



   ー 上巻もくじ ー

イントロダクション
上巻目次
第一章 過去を見つめる旅路
1Day before 国境の街に想いを馳せて
Day 0 ついに巡礼者になる
Day 1 国境越え、そして出会い
Day 2-4 狂乱の牛追い祭り
Day 5 & 6 出会いが増え始める
Day 7-9 親切な韓国人たち終結
Day 10 & 11 過去現在未来と渡り合うカミーノの3区分
Day 12 フランスの名物男と聖なる神父
Day 13 過去と現在の境目を超える
第二章 現在と向き合う旅路
Day 14 & 15 肉体感覚との関り
Day 16 & 17 痛みの最後
Day 18 & 19 サアグンの夢の啓示!
Day 20 & 21 現在の終わり、そして未来へ
上巻あとがき

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…とまあ、こんな感じです。

読みながら一緒に旅をしていただける方はぜひどうぞ!


永遠の旅路上巻: ~カミーノ巡礼~日常に潜む非日常への入り口


永遠の旅路下巻: ~カミーノ巡礼~日常に現れる非日常への参入


人生は巡礼そして巡礼は人生なのですが、大切なのは毎日の日常の中に非日常の表れを捉えることです。


そんなお手伝いがこの本でできたらなと思っています。







皆さん何かが変わる時ってどんな時でしょうか?



それは限界点が変わる時だと思います。



カタストロフィって聞いたことあると思いますが、何かが変化に対して耐えていて限界に達すると我慢できなくなりグチャッといくあれです!



そうなると極端な言い方すれば世界の終わりみたいなもんですから、死ぬか生きるか。生きるためには変わらなければいけないわけですね。



まあ死ぬとか生きるとか、おおげさだったかもしれませんが、単に体の動きのある限界点を超えただけでもいろんな変化が起きてきます。


でもまあその前に私の若い時の工場体験をお話ししましょう。ある自動車工場で働いていたのですが、昼夜勤で仕事はかなりきついものでした。

疲れが限界まで溜まっていた私は、もう生きる希望もなくなりコンベアーを流れてくる車の中に頭を突っ込もうと考えたときもあったほどです。



それが私にとっての限界点だったのでしょう。



するとなんとその瞬間、体の奥からものすごい力が湧いてきて疲れが一気に吹き飛んでしまったのです。
それから私は猛烈に働いたのですが全く疲れることのなくいつもよりも早いスピードで仕事をこなすことができました。


さて私は朝のお手洗いでは下腹をペコペコを動かしたりするとお通じが良いのですが、お腹をグーっと へこましてからゆるめるとさらに良くなることがわかりました。



限界までへこませると両肋骨の下辺りから中央斜め下に向かってスジが現れるのです。それくらいへこませます。


それでもそれ以上へこませようとした時、限界を超えたようです。

それ以上お腹をへこませることができない(つまり限界)ので体の奥にある違う筋肉を動かすことができ始めたのです!



なるほど!面白い!


20以上のギネス記録を持つヴィムホフ氏のコールドトレーニングもそうで、氷水に体の一部もしくは全身をつけて限界点に達するまで待つのですが、それを超えると逆に冷たさが引いたりするのです。


そのまま体を付け続けて今度は痺れが出てくるようであればそれは危険な限界なので、すぐに水から体を出します!


前にも書いてますが無理はしちゃいけないというやつですね。

でも無茶はしないと変わらない。

以前の記事、参考になりますよ! 



結局限界点を超えると体が変わり限界点自体が変わるということですね。

そうすると今まで大変だったことがどんどん楽になったり楽しくなったりしてるのです。


人生の中の色々な場面で試す機会があると思いますが、色々お試しあれ!


久々に投げ銭イベントをやってしまいます!

と言っても私が手伝っているヤギ牧場の イベントにタイアップする形ですが。



外出しにくい日々が続いていたので、 久々に解放感を味わっていただける場を作れたら嬉しいと思っています。

イベントは18日土曜日( 午前10時から12時までの予定で)、当牧場で乗馬体験(有料)、ヤギと馬の餌やり(有料)、そして瞬間施術(投げ銭)で出店します。

瞬間施術は今回は開催時間も短いので施術体験ということで、上体のリラクゼーションもしくは普通の足マッサージを5分間ほど、今回は投げ銭です。

と言っても別に期待はしていないので財布を持たずに来ても構いませんよ😉

通常は最低5000円から始まるので、今回はお試しいただく良い機会になると思います。

牧場の入場料300円いるので注意してください。

場所はバンナ公園東の牧場『んまんま·ぴぴじゃ』です。







友人の集まりで、ある女性が旦那の性格が自分の前と他の人の前とではずいぶん違うのは不思議という話をしました。

 

よく考えてみると、全ての人は自分の親に対する態度と子供に対する態度、社長や部下、ペットや虫に対する態度、さらにはある自分の持ち物のあつかい方などすべてかわりますよね。

 

完全に違う人格で接しているのです。

 

まるで別人、違う自我がたくさんあるようです。

 

 

私たちは普段やさしい人が誰かに怒鳴っているのを見ると、あの人は本当は怒りっぽいとか、本当は性格悪いとか思ってしまいます。

またいつも自分に意地悪な人が、人知れず自分のことを弁護してくれていたことがわかると、実はこの人はいい人だったかもとか思いませんか?

 

でも本当の性格とか隠している本性とか、もともとないのです。

ある社長の奥さんが、家ではめっちゃやさしい旦那さんが会社では社員に厳しいのを見ても、キツイのが本性だとか性格を隠していたとか思わないでしょう?

 

つまり人の人格(表面の自我)は人(や物)との関係性によってつくられるのです!

 

ヤキインディアンの賢者であるドン・ファンは、世界は目に見える物質世界(トナール)とその奥にある無形の世界(ナワール)に分けられるといいます。

ある時、弟子のカスタネダがトナール(形のある世界)の詳しい説明を求めると、なんとドン・ファンは「トナールとは社会的人格だ!」と言ったのです。

 

これは表面の自己の外部に対する自分の態度ということです。

 

つまり人の自我のみならず、この目に見える物質世界を組み立てている要素は人や物との関りだったのです。

 

この関係性とは簡単に言えばエネルギーのつながりというやつです。

つまり自分の中の(目に見えない)原因と外部にある原因が何らかのエネルギー的つながりを持った時、そこに世界が現れるのです。

 

 

最近は小説家の平野啓一郎さんが分人(ブンジンdivisual)という言葉を発明して、個人(individual)は多くの分人(社会的人格)に分けられて、知り合いの数だけ自分の性格が生まれると言っています。

こういう考え方をすると、自分が好きになれない人も、自分の全部を好きにならなくても美味しいもの食べて幸せな時の自分や、親友と笑っているときの自分は好きになれるというきっかけから自己嫌悪を取り払ったりもできるようです。

この分人は対人関係だけでなく対物関係にも使えると思います。

 

 

では、外部との(対人対物)関係性が全く存在しないときはどうでしょう。

 

人は一人の時でも雑念妄想という形で、目の前に存在しない人や物とのエネルギーの関係性を作ってしまいがちですが、瞑想などの修行をした人だとその影響から脱していることがあります。

 

その時は自分の本当の性格(自我)など存在しません。

 

物質世界も存在しません。

 

つまり表面的な自我は関係性によって起きる現象ともいうべきもので、もともと確固とした存在基盤などなかったのです!

 

 

ですからもし自分のある部分(例えば威張ってるところ)が嫌なら、手っ取り早いのは自分より偉大と思える人たちとだけ交流することです。

それによって自分の謙虚な部分を引き出して、自分に印象付けることができます。

 

 

でもいつも自分と会う人を決めることができなかったり、一人でいるときに湧き上がってくる悪意や欲望などあるかもしれません。また暑さ寒さなどの環境に対する不満という自我(=関係性によって発生する物質現象)も出てくるかもしれません。

 

私の瞑想の先生は、そんな時はただ「関係ない!」って思えばいいよと教えてくれました。

 

そうなんです。

 

関係ない!興味ないね!と思えば、もう外部の要素にエネルギーを与えることがないので、表面的な力は消えてゆくのです。

 

逆に気にすることでエネルギーを注いでしまうと、近ごろ流行のタルパ(人工幽霊、想念の物質化)のようにドンドン物質化がすすみ、あなたのエネルギーもドンドン奪われていきます。

 

というわけで、表面の自我を越えていくには、関係ない!興味ない!が有効なのです。

 

ただ一つの提案は、きれいに片付いた後はそこを何か素敵なもので満たして置きましょうということです。

 

使ってないコンセントの差込口みたいに、せめてキャップをしておかないとホコリが入りますよということです。

 

何はともあれ、まずはお試しあれ!

 

 

 

 

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虹

現在は本当に情報過多の時代です。

昔だったら図書館に行って何冊もの本を漁ったり、いろんな人に話を聞いたりしてやっとえられる情報が、インターネットでものの数分で手に入れられたりする時代です。



逆にその状況を利用して次々と都合のいい情報を送り込んでくる人たちもいて、その結果ある意味で洗脳されるということがおきてしまう場合もあるかもしれません。

最近流行っている病気の問題でもありましたが、マスクをするべきだという情報と、それをすることが逆に体に良くないという情報とがあります。


そして今度はワクチンです!

打たなければ病気を広めて人に迷惑をかけるという情報と、打つことで体を悪くて死んだり、その他の異物を体に入れられてしまうという情報と二分しています。

賛成派と反対派の戦いというわけです。

まさに情報戦争ですね!



国同士の戦争の場合も、戦わねばという戦争賛成派や戦争強制派と、平和を守ると言って戦争派と戦う反対派と分かれて二分しています。

反対派が賛成派と戦う限り、反対派も戦争をしているのです。
そこに憎しみや怒りがあっては、結局世界や宇宙全体の波動を落とすことになってしまい、悪循環なのです。


ここに第3の選択はないのでしょうか?


キリスト教の聖書の中で、市場で売っている肉はそれがケガれた肉か清らかな肉かなどといちいちチェックしてはいけない。感謝して食べれば、あなたに害はなさないのです…ということを言っています。

現代でも、不安や怒りを持って食事をすることで体に不調を起こす原理は知られていると思います。

逆に感謝して食べれば、その食べているものがどんなものかにかかわらず体には良かったりします。


プラシーボ効果もしくはプラセボ効果というものがありますが、よいものだという認識で摂取することによって、正規の医薬品で治らない病気でさえも治ってしまうとことがあるのです。

これはポジティブな考えを持つことで波動が上がって、それが世界を変化させるのですが、その中でも強力だと思われるのは感謝ということなのです!



ですから一人一人にできることは、まず自分の中に強力な感謝を起こして自分の体を調和させることです。
そうすれば外からの害が入ってくることはないでしょう。

そして自分の周りの家族との調和を感謝によって実現していくのです。


平和調和を広げるのはいつも自分からです。

他の人を批判することによっては何も変わりません。

しかし感謝や愛の気持ちを外に向けた時、必ず世界は変わってきます。


もしこの言葉に少しでも真実味を感じるなら、まず自分の周りのものに感謝することから少しずつ始めてみてください。

感謝の気持ちが起き始めた時必ずあなたの人生はそしてあなたの周りの世界は良い方に変わり始めるはずです。

そして小さなことでも大きなことでも、何かを決める時は直感を働かせるように少しずつ練習していけば、つまらない情報に振り回されることはなくなっていくのです。

今はネットが 世界中に普及して、何でも知りたいことは スマホひとつで知ることができたりしますね。


全く頭を使わなくても、知りたいことの答えはそこに用意されているのです。

これはある意味で素晴らしいことだと思います。
例えば旅行中で迷ったり、待ち合わせの場所への行き方を調べたり、お料理する前に レシピを参照したり、わからない漢字を変換機能で表示させたり。
情報によって私たちの生活は、問題から解放されたり、より豊かになったりもしています。

これは文明の発達というのかもしれません。




ところで、火が発明されてから、寒い時でも自由に作業できるようになったのはいいのですが、体温が下がって病気にかかりやすくなったり、車などの交通機関が発達したため遠くに短時間で楽に行けるようになったぶん足が弱くなったりと、文明の発達によって個人的には肉体や精神性が退化している可能性はあります。

そして今回のメインテーマである考えるということもそうです。

体調が悪くなるとすぐ薬、情報が必要ならすぐスマホと自分の力を使わない習慣になってしまうというのが退化の原因です。

自分で考えるということができなくなると、他に頼るしかなくなります。
この考えるということは、思考を使って考えるというよりも奥と繋がって答えを得るというのに近いです。

私たちは子供が質問してくるとすぐに答えを教えてあげてしまいます。そういう子供はいわゆる物知りという意味では頭がいい子になると思いますが、知能指数(IQ )という意味ではまた別です。


子供の知能指数を上げる手っ取り早い方法は、実は逆に子供に対して質問することなのです。
ご飯中ならスプーンはどうして四角じゃなくて丸いの?と聞いてみたり、外出中ならどうして空は青いの?とか、どうして車はタイヤが四つあるの?とか、とにかく質問攻めにするのです。

そして子供は「う~ん…」と自分で考える癖がついてきます。
つまり自分の知識でわからないことを考えさせることによって知能指数が上がるのです。

禅問答などでも絶対に答えが出せないような質問をしていますよね。
例えば片手でする拍手とはどんなものかとかです。


考えてもわからないのですが、そこでも考えて考えて考え尽くすと、ついには頭が完全に停止して、身体もなくなったようなポカリとした身心脱落という状態になります。(身心脱落)
いわゆる瞑想状態です。

瞑想を修業している人が、一生懸命頑張ってもなかなか思考を雑念を払うことができないのに、この方法を使うと意外と簡単に思考が停止してしまうのです。

そしてそのとき人は自分の深い部分と繋がっているのでいろんな答えがそこから出てくるのです。



私は最近、132万円という高額な治療講座に出てみたのですが、そこで先生に質問するとなんと先生は、君はどう思うんだねと聞き返してくるのです!

即座に答えると、間髪入れずに、ではなぜそう考えるの ?と質問は続いていきます。
ついには答えきれなくなり思考停止状態になります。

この問答が、この講座で得た一番の宝でした!

どんな質問の答えをもらうよりも、自分で質問の答えを出せる状態になるのが一番なのです!

まさに魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるというやつですね。


そして自分で考えてみてわかったのは 、考えるという行為自体ではなく、必死で考えている時の精神状態こそが、深いところに入る入り口になるということなんです。

これは神様に必死で祈願しているときと同じ状態ではないかと思います。

神様は自分の一番奥にいる存在、自分の一番奥にある意識ですから、この意識というのは個人的なものではなく、気づいているということそのものであり、神ということも気づいているということです。

失神するという時、あなたが失っているものは意識であり気づきです。
また精神という言葉にも神という字が入っていますが、私たちの精神は神(気づき)の精(エッセンス)なのです。
神経という言葉も、身体を縦に走る情報の流れ、つまり意識・気づきを意味しています。

自分の内側や奥に頼る割合が強くなるほどこの気づきの部分により近づくことができるのです!


こんな素晴らしい入り口を、全ての人が無料で使えるのですから、もし今度何か調べる必要があった時、その前に5分だけでもいいので必死で考えてみてください!

自分の心の奥底にどうしたらいい?と問いかけてみてください。

そしてお互いが自立できるようになった時こそが、本当に他の人ともお互いに助け合うことができる準備が整った時です。

自分で考える者同士が協力し合ったとき、世界は急速に進化することでしょう!

このブログが読まれる度に進化した人が一人増えるのですから、世界は急速に変わっているはずです。

あなたが一人変わることによって世界は少なくとも一人分進化するのです。
是非お試しあれ!



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虹


















内地から石垣島に帰ってきて、郵便局に重い荷物を取りに行くことになった。
 
二つ合わせて40kg強だからかなり重いはずなのに、ものすごく軽く感じる!
おかしいなと思って途中で蓋を開けてみると、何と中は空っぽ。
 
これは怪しい!もしかして夢を見てるのかもと思い、目覚めてみることにした。
 
 
 
 
 
昔は夢を見ていることを自覚すると空を飛んだりしてみたものだけど、今回は夢かどうかなんだか自信がなかったのでとりあえず目覚めてみようと思い、体をミンチのように爆発させて目覚めてみることにした!
 
試みは成功し、石垣島の家のソファーの上で目覚めた。
やっぱり夢だったのだ!
 
 
昨日は内地から飛行機で帰ってきたのだけど、予定していた友人が車で迎えに来れなくなったので、空港から家まで5時間ほど重い荷物を担いで歩いてきた。
 
日が暮れてくると、車が通らない時は真っ暗闇で歩きにくいので、これはこれで手軽に味わえる小冒険だなと思った。
 
軽く汗をかいたので、外食した時の添加物や化学物質が少し排出されたような気もするくらい身体が軽い。
 
四国のお遍路もちょっと思い出した!
 
 
こんな小冒険からくるちょっとした疲労状態で瞑想状態になって、明晰夢(夢を見ていることを夢の中で自覚する夢)を見たのかもね。
 
 
さあ今度はリアルな世界で郵便局まで荷物を取りに行かなきゃ!
 
結局40kgの荷物を、両手で抱えて家まで戻ってきたのだけど、姿勢を正しくすることで随分荷物は軽く感じるなあと思う。
そして常に姿勢を正しくしていることで、なんでも最後までやり遂げることができるような気がするね!
 
なにはともあれ、今日も一日を有意義に過ごすことができたことに感謝!
 

 

 

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虹

 


 



 


 







 


 

さてみなさん、魚を釣りたかったらまずその地域をしっかり調べるべきでしょうか?それとも、自分の直感に従うべきなんでしょうか。
 
もちろん人それぞれなのかもしれませんが。
 
波照間島のまっすぐな道
 
私が日本最南端の波照間島(はてるまじま)という所に住んでいた時の話です。
 
私の尊敬する親友M君はそれまで釣りをしたことがありませんでしたが、島に住み始めてからふとやってみようと思い立ったらしいんです。
そして適当なスポットで釣りを始めたのですが、M君はあまり目が良くなかった。
 
それなのに結構よく釣るんですね。
 
そしてM君の趣味はどんどんとエスカレートして、1年後には一般の島の人さえも釣れないような1m以上の大きな魚を釣り上げるようになりました。もちろん釣竿も何万円もするようなものを買ってたりしましたが。
 
波照間漁港は絶好の釣りスポット
 
さて私も彼と一緒によく釣りに出かけたのですが、そんな時はどうやって彼が釣るのかよく観察していました。
 
彼はざっと周りを見回すと、あの辺に魚が見えると言って、その辺のスポットで釣りを始めるのですが、最初は私には何も見えませんでした。
 
しかし何度も彼と釣りをしていると、なんと見えるようになってきたのです。
彼が指差したあたりに動くものが見えたのです。
そして彼はそこに竿をふって大物を釣り上げたのですが、私が後でその場所に近づいてみてみると何と動いていたものは水中に沈んでいたゴミでした。
 
 
それから何度か彼と一緒に釣りをしたのですが毎回同じでした。
彼が見てるものは、漂流物であったり光の加減であったりして、魚ではなかったのですが、彼はそれを魚だと思い込んでしまい、島の人がそんなとこでは釣れないという場所であったとしても、そこで彼は魚を釣り上げるのです!
 
思い込みの力は何よりも強いのかもしれません!
 
波照間の最南端の崖は巨大魚が釣れるが、魚に引っ張り込まれることもあるから注意!
 
そしてつい最近の話ですが、近くで馬を飼っているO先生がうちの雌馬が妊娠してるよ!とみんなに宣言しました!
 
私と馬好きの友人も行ってみましたが、孕んでいるようには見えませんし、彼の奥さんもどう見てもいるわけはないわと言っていました。
 
一応、馬の専門家の人も来て診てみましたが、やはりおなかの中に子供がいるようではないと断言しました。
それでもO先生は いやウチの馬は妊娠している!と確信を持っていたようです。
 
 
そしてしばらくたった先週のとある日、例の馬の専門家の人が訪ねて行ってもう一度見てみると、どうやらお腹に子供がいるらしいと言うことなのです!
 
石垣島のO先生はみんなに信頼尊敬されている。もと小学校の教師。
 
 馬好きの私の友人も見に行って、確かにお腹の中に何かいるみたいと言っていました。数ヶ月前は全員が否定していたのに、O先生の思い込みがもしかしたらお腹の中に子供を作り出してしまったのかもしれません!
 
物質的なことでもこんな風に左右される可能性があるのですから、ましてや人生の成功など思い込みさえあれば必ず成就できてしまうような気がします。
 
というのは、思い込みというのは表面の心よりもずっと深いところにある潜在意識のことだからです。
これが、自分の心の中に潜む強い人です!
 
 
前にじゃんけんの話をしたのを覚えていますか ?
 
一般的に、じゃんけんが強い人というのは思い込みの強い人なのです。つまり自分自分が勝つという思い込みが強い人なのです。
 
というのは(相手の動きを事前に読み取るというテクニックを使ってる人を除いては)じゃんけんで勝つ確率と負ける確率は50%ずつのはずなのですが、勝ったことだけを覚えているので、自分はじゃんけんが強いと思うのです。
 
そうやってポジティブなことだけを覚えている人は、マイナスの要素が少ないので何でもやすやすと成し遂げてしまうのです。
 
 
表面の意識は車のハンドルのようなもので、理性と判断力により方向を決めることはできますが、推進力はゼロです!
 
一方、潜在意識には判断力はありませんが、強い感情でその人の人生をやすやすと変えてしまうほどの力を持っています!
 
 
さて、私たちもそろそろ自分の心を見直す時期が来たようではありませんか。
 
今はネットやテレビに、良い情報も悪い情報もあふれていますが、自分を心配させるような情報を毎日見て怯えて生きるよりも、自分に確信と力を感じさせてくれるような情報を毎日しっかり入れて、輝いた人生を生きていきたいものですよね。
 
そうすれば私たちの心の中にいる強い人が、私たちを素晴らしい境地へと運んでくれるのです。

実は私も波照間島を去る直前に、一度だけやってみたことがあるんです!

港に釣りに行き、水面下に何か動くものを見つけた時に、それが何かを確認せずに「大きな魚がそこにいる!」と大きな声で言いました。

そしてそこに餌を投げ入れると、なんと60cm越えのお魚がつり上がってきたのです。

そのお魚を手土産に私は石垣島に引っ越してきて、みんなでその逸話と一緒に魚を味わったという経験をしたのです。

 
私のブログもきっと皆さんの力になれるはず!と思い込み、今日も書いています(笑)。
 

 

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