![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220916/17/harunokazemassage/4c/0a/p/o1080076315175482172.png?caw=800)
さて、巡礼してる間はたいてい気づかないものですが、歩くにつれて自分の意識が外の世界のものと全然違うものになっていくのです。
こういう感覚は手短に説明してもなかなか分かって頂けない事が多いので、いっそのこと巡礼記録を全公開してしまおうとAmazonの電子書籍にしました。
ぱっと見は普通の旅日記に見えてしまうのですが、読みながら世界観や意識状態が緩やかに変化していくのが感じられると思います。
Kindle Unlimited に登録している人なら無料で読み放題です。
そうでない方もご興味があれば350円で読めるようになってますので、インスピレーションがあればぜひどうぞ!
永遠の旅路上巻: ~カミーノ巡礼~日常に潜む非日常への入り口
カミーノの巡礼旅は3パートに分かれていて、最初の1/3は過去の自分の浄化、真ん中の部分は現在の自分を見ていく、
そして最後の1/3は自分の未来を垣間見ていく、もしくは作り上げていく旅路と言われています。
歩きながら人は意識を変え、自分に対する考えも変わり、そうなると世界も変わっていくということを実感するのです。
前書きの部分を以下に無料公開します!
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2007年夏にふと行きたくなったカミーノ巡礼が終わりのない旅の始まりだと気づくまでにはそんなに長くかからなかった。
普通の巡礼として気楽に始めたのだが、歩くにつれて自分の人生や生き方と深く関わりを持つ旅になっていった。
サンティアゴに着いたら巡礼の完結を祝おうと思っていたが、実はカミーノが人生全体を歩く旅だと気づいてしまったがゆえに、死ぬまでこの道の上を歩き続けようと決心した。
ぼくには選択の余地などないからだ。
それ以来人生の旅路を重ねて、ある時ふとカミーノの旅を書き残しておこうと思った。
後から歩き始める人たちの道しるべにか?
それとも、安全に旅の思い出をしまっておける場所は人々の心の中だけだからと気づいたからかもしれない。
とにかくこれは誰にあてたわけでもないぼくの40日ほどの巡礼の旅と瞑想の日記である。
読めばぼくと一緒にぼくの人生の一部を歩くことになる。
それでもいいという人だけ読み進めてほしい。
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そう言えば、若いころから旅と瞑想は好きだった!
何年も海外を放浪して回り、長い時は8年以上も各国を流れていた。
何かに呼ばれてアメリカ在住時に最も厳格な正教徒のクリスチャンになり、シナイ山など中近東の砂漠の修道院で修行に励んだが、また何かに呼ばれて還俗し放浪に戻った。
そんなぼくがタイでタイ古式に出会い、チェンマイで教え始めたのは2005~6年頃のことである。
父親の命がもう長くないと言う姉の策略にまんまとはまってすべてを捨てて帰国するが、長年の父との諍いが調和に変わったことは姉に感謝しなければならない。
せっかく日本に来たのだから日本一周してみようと、まず屋久島などの島々を経て沖縄本島・石垣島までいったところが、結局そこで「はまって」しまった。
それが今はなき石垣島のゲストハウス『さんだるハウス』である。
オーナー夫婦と気があったのが長滞在の一番の原因かもしれないが、「さんだる」のゆんたくルーム(談話スペース)を取り囲む寝室群という造りが人と人をどんどん結び付けていくのに感激したせいもある。
ところが、いきなりインスピレーションはやってきた!
「カミーノ巡礼へ行きたい!」
訳も分からないまま情報収集し始めたところが、偶然スペイン人のカップルがやってきて一か月も「さんだる」に滞在したので、忘れていたスペイン語も思い出してきた。
そしてすべてが整った時、また必ず石垣に帰ってくるとみんなに言い残して(誰も信じていなかったが…)、出発地点の名古屋へと飛び立ったのだった!
巡礼旅行というよりは歩き瞑想の旅になりそうだ。
とにかくこんな風にすべてははじまった!
ー 上巻もくじ ー
イントロダクション上巻目次
第一章 過去を見つめる旅路
1Day before 国境の街に想いを馳せて
Day 0 ついに巡礼者になる
Day 1 国境越え、そして出会い
Day 2-4 狂乱の牛追い祭り
Day 5 & 6 出会いが増え始める
Day 7-9 親切な韓国人たち終結
Day 10 & 11 過去現在未来と渡り合うカミーノの3区分
Day 12 フランスの名物男と聖なる神父
Day 13 過去と現在の境目を超える
第二章 現在と向き合う旅路
Day 14 & 15 肉体感覚との関り
Day 16 & 17 痛みの最後
Day 18 & 19 サアグンの夢の啓示!
Day 20 & 21 現在の終わり、そして未来へ
上巻あとがき
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…とまあ、こんな感じです。
読みながら一緒に旅をしていただける方はぜひどうぞ!
永遠の旅路上巻: ~カミーノ巡礼~日常に潜む非日常への入り口
永遠の旅路下巻: ~カミーノ巡礼~日常に現れる非日常への参入
人生は巡礼そして巡礼は人生なのですが、大切なのは毎日の日常の中に非日常の表れを捉えることです。
そんなお手伝いがこの本でできたらなと思っています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220906/18/harunokazemassage/85/73/j/o0370032015171040131.jpg?caw=800)
皆さん何かが変わる時ってどんな時でしょうか?
それは限界点が変わる時だと思います。
カタストロフィって聞いたことあると思いますが、何かが変化に対して耐えていて限界に達すると我慢できなくなりグチャッといくあれです!
そうなると極端な言い方すれば世界の終わりみたいなもんですから、死ぬか生きるか。生きるためには変わらなければいけないわけですね。
まあ死ぬとか生きるとか、おおげさだったかもしれませんが、単に体の動きのある限界点を超えただけでもいろんな変化が起きてきます。
でもまあその前に私の若い時の工場体験をお話ししましょう。ある自動車工場で働いていたのですが、昼夜勤で仕事はかなりきついものでした。
疲れが限界まで溜まっていた私は、もう生きる希望もなくなりコンベアーを流れてくる車の中に頭を突っ込もうと考えたときもあったほどです。
それが私にとっての限界点だったのでしょう。
するとなんとその瞬間、体の奥からものすごい力が湧いてきて疲れが一気に吹き飛んでしまったのです。
それから私は猛烈に働いたのですが全く疲れることのなくいつもよりも早いスピードで仕事をこなすことができました。
さて私は朝のお手洗いでは下腹をペコペコを動かしたりするとお通じが良いのですが、お腹をグーっと へこましてからゆるめるとさらに良くなることがわかりました。
限界までへこませると両肋骨の下辺りから中央斜め下に向かってスジが現れるのです。それくらいへこませます。
それでもそれ以上へこませようとした時、限界を超えたようです。
それ以上お腹をへこませることができない(つまり限界)ので体の奥にある違う筋肉を動かすことができ始めたのです!
なるほど!面白い!
20以上のギネス記録を持つヴィムホフ氏のコールドトレーニングもそうで、氷水に体の一部もしくは全身をつけて限界点に達するまで待つのですが、それを超えると逆に冷たさが引いたりするのです。
そのまま体を付け続けて今度は痺れが出てくるようであればそれは危険な限界なので、すぐに水から体を出します!
前にも書いてますが無理はしちゃいけないというやつですね。
でも無茶はしないと変わらない。
結局限界点を超えると体が変わり限界点自体が変わるということですね。
そうすると今まで大変だったことがどんどん楽になったり楽しくなったりしてるのです。
人生の中の色々な場面で試す機会があると思いますが、色々お試しあれ!
友人の集まりで、ある女性が旦那の性格が自分の前と他の人の前とではずいぶん違うのは不思議という話をしました。
よく考えてみると、全ての人は自分の親に対する態度と子供に対する態度、社長や部下、ペットや虫に対する態度、さらにはある自分の持ち物のあつかい方などすべてかわりますよね。
完全に違う人格で接しているのです。
まるで別人、違う自我がたくさんあるようです。
私たちは普段やさしい人が誰かに怒鳴っているのを見ると、あの人は本当は怒りっぽいとか、本当は性格悪いとか思ってしまいます。
またいつも自分に意地悪な人が、人知れず自分のことを弁護してくれていたことがわかると、実はこの人はいい人だったかもとか思いませんか?
でも本当の性格とか隠している本性とか、もともとないのです。
ある社長の奥さんが、家ではめっちゃやさしい旦那さんが会社では社員に厳しいのを見ても、キツイのが本性だとか性格を隠していたとか思わないでしょう?
つまり人の人格(表面の自我)は人(や物)との関係性によってつくられるのです!
ヤキインディアンの賢者であるドン・ファンは、世界は目に見える物質世界(トナール)とその奥にある無形の世界(ナワール)に分けられるといいます。
ある時、弟子のカスタネダがトナール(形のある世界)の詳しい説明を求めると、なんとドン・ファンは「トナールとは社会的人格だ!」と言ったのです。
これは表面の自己の外部に対する自分の態度ということです。
つまり人の自我のみならず、この目に見える物質世界を組み立てている要素は人や物との関りだったのです。
この関係性とは簡単に言えばエネルギーのつながりというやつです。
つまり自分の中の(目に見えない)原因と外部にある原因が何らかのエネルギー的つながりを持った時、そこに世界が現れるのです。
最近は小説家の平野啓一郎さんが分人(ブンジンdivisual)という言葉を発明して、個人(individual)は多くの分人(社会的人格)に分けられて、知り合いの数だけ自分の性格が生まれると言っています。
こういう考え方をすると、自分が好きになれない人も、自分の全部を好きにならなくても美味しいもの食べて幸せな時の自分や、親友と笑っているときの自分は好きになれるというきっかけから自己嫌悪を取り払ったりもできるようです。
この分人は対人関係だけでなく対物関係にも使えると思います。
では、外部との(対人対物)関係性が全く存在しないときはどうでしょう。
人は一人の時でも雑念妄想という形で、目の前に存在しない人や物とのエネルギーの関係性を作ってしまいがちですが、瞑想などの修行をした人だとその影響から脱していることがあります。
その時は自分の本当の性格(自我)など存在しません。
物質世界も存在しません。
つまり表面的な自我は関係性によって起きる現象ともいうべきもので、もともと確固とした存在基盤などなかったのです!
ですからもし自分のある部分(例えば威張ってるところ)が嫌なら、手っ取り早いのは自分より偉大と思える人たちとだけ交流することです。
それによって自分の謙虚な部分を引き出して、自分に印象付けることができます。
でもいつも自分と会う人を決めることができなかったり、一人でいるときに湧き上がってくる悪意や欲望などあるかもしれません。また暑さ寒さなどの環境に対する不満という自我(=関係性によって発生する物質現象)も出てくるかもしれません。
私の瞑想の先生は、そんな時はただ「関係ない!」って思えばいいよと教えてくれました。
そうなんです。
関係ない!興味ないね!と思えば、もう外部の要素にエネルギーを与えることがないので、表面的な力は消えてゆくのです。
逆に気にすることでエネルギーを注いでしまうと、近ごろ流行のタルパ(人工幽霊、想念の物質化)のようにドンドン物質化がすすみ、あなたのエネルギーもドンドン奪われていきます。
というわけで、表面の自我を越えていくには、関係ない!興味ない!が有効なのです。
ただ一つの提案は、きれいに片付いた後はそこを何か素敵なもので満たして置きましょうということです。
使ってないコンセントの差込口みたいに、せめてキャップをしておかないとホコリが入りますよということです。
何はともあれ、まずはお試しあれ!
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