今はネットが 世界中に普及して、何でも知りたいことは スマホひとつで知ることができたりしますね。
全く頭を使わなくても、知りたいことの答えはそこに用意されているのです。
これはある意味で素晴らしいことだと思います。
例えば旅行中で迷ったり、待ち合わせの場所への行き方を調べたり、お料理する前に レシピを参照したり、わからない漢字を変換機能で表示させたり。
情報によって私たちの生活は、問題から解放されたり、より豊かになったりもしています。
これは文明の発達というのかもしれません。
ところで、火が発明されてから、寒い時でも自由に作業できるようになったのはいいのですが、体温が下がって病気にかかりやすくなったり、車などの交通機関が発達したため遠くに短時間で楽に行けるようになったぶん足が弱くなったりと、文明の発達によって個人的には肉体や精神性が退化している可能性はあります。
そして今回のメインテーマである考えるということもそうです。
体調が悪くなるとすぐ薬、情報が必要ならすぐスマホと自分の力を使わない習慣になってしまうというのが退化の原因です。
自分で考えるということができなくなると、他に頼るしかなくなります。
この考えるということは、思考を使って考えるというよりも奥と繋がって答えを得るというのに近いです。
私たちは子供が質問してくるとすぐに答えを教えてあげてしまいます。そういう子供はいわゆる物知りという意味では頭がいい子になると思いますが、知能指数(IQ )という意味ではまた別です。
子供の知能指数を上げる手っ取り早い方法は、実は逆に子供に対して質問することなのです。
ご飯中ならスプーンはどうして四角じゃなくて丸いの?と聞いてみたり、外出中ならどうして空は青いの?とか、どうして車はタイヤが四つあるの?とか、とにかく質問攻めにするのです。
そして子供は「う~ん…」と自分で考える癖がついてきます。
つまり自分の知識でわからないことを考えさせることによって知能指数が上がるのです。
禅問答などでも絶対に答えが出せないような質問をしていますよね。
例えば片手でする拍手とはどんなものかとかです。
考えてもわからないのですが、そこでも考えて考えて考え尽くすと、ついには頭が完全に停止して、身体もなくなったようなポカリとした身心脱落という状態になります。(身心脱落)
いわゆる瞑想状態です。
瞑想を修業している人が、一生懸命頑張ってもなかなか思考を雑念を払うことができないのに、この方法を使うと意外と簡単に思考が停止してしまうのです。
そしてそのとき人は自分の深い部分と繋がっているのでいろんな答えがそこから出てくるのです。
私は最近、132万円という高額な治療講座に出てみたのですが、そこで先生に質問するとなんと先生は、君はどう思うんだねと聞き返してくるのです!
即座に答えると、間髪入れずに、ではなぜそう考えるの ?と質問は続いていきます。
ついには答えきれなくなり思考停止状態になります。
この問答が、この講座で得た一番の宝でした!
どんな質問の答えをもらうよりも、自分で質問の答えを出せる状態になるのが一番なのです!
まさに魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるというやつですね。
そして自分で考えてみてわかったのは 、考えるという行為自体ではなく、必死で考えている時の精神状態こそが、深いところに入る入り口になるということなんです。
これは神様に必死で祈願しているときと同じ状態ではないかと思います。
神様は自分の一番奥にいる存在、自分の一番奥にある意識ですから、この意識というのは個人的なものではなく、気づいているということそのものであり、神ということも気づいているということです。
失神するという時、あなたが失っているものは意識であり気づきです。
また精神という言葉にも神という字が入っていますが、私たちの精神は神(気づき)の精(エッセンス)なのです。
神経という言葉も、身体を縦に走る情報の流れ、つまり意識・気づきを意味しています。
自分の内側や奥に頼る割合が強くなるほどこの気づきの部分により近づくことができるのです!
こんな素晴らしい入り口を、全ての人が無料で使えるのですから、もし今度何か調べる必要があった時、その前に5分だけでもいいので必死で考えてみてください!
自分の心の奥底にどうしたらいい?と問いかけてみてください。
そしてお互いが自立できるようになった時こそが、本当に他の人ともお互いに助け合うことができる準備が整った時です。
自分で考える者同士が協力し合ったとき、世界は急速に進化することでしょう!
このブログが読まれる度に進化した人が一人増えるのですから、世界は急速に変わっているはずです。
あなたが一人変わることによって世界は少なくとも一人分進化するのです。
是非お試しあれ!
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