マイケル・チミノ1)監督

 

鉄鋼労働者のロシア系アメリカ人がベトナム戦争に出征し,肉体的あるいは精神的に崩壊していく姿を描いたお話

 

 

ゴッドファザーPARTⅡ(1974)とはジョン・カザール,ロバート・デ・ニーロつながりです。

もう一つU.S.スチールも関係あるかな

 

この映画も3時間と長い映画です。

ベトナム戦争を舞台にしていますが,案外戦闘場面は少ないです。

 

最初の1時間は主人公らが戦地に赴くまでの日常が描かれています。

ピッツバーグで鉄鋼業に従事している若者たちがこの映画の主人公です。

クレアトン(Claieton)の製鉄工場,U.S.スチール社のコークス工場という設定です。

U.S.スチールは多額の保険契約を結んで炉床の周囲に俳優を配置する工場内での撮影を許可したそうです。

 

仕事が終わって出てきた5人の仲間は空に「幻日(げんじつ)」を見つけます

右から

スティーヴン   (ジョン・サヴェージ)

マイケル       (ロバート・デ・ニーロ)

ニック         (クリストファー・ウォーケン),以上の3人はベトナム戦争へ出征予定です。

アクセル       (チャック・アスペグレン)

スタンリー     (ジョン・カザール2))

 

「幻日」とは太陽と同じ高さに光が見える大気光学現象です。空中に浮かぶ氷の結晶などの微粒子に光が当たり,プリズムのような屈折で見える虹色の光です。

マイケルが「狼の大将が子供たちを祝福している」と言っていました。

古代ネイティブ・アメリカンの文化では,善意あるスピリチュアルな力や先祖がコミュニティを見守っていることを示すポジティブなサイン吉兆として解釈されています。

良いことが起こる予感ということでしょう

 

今日はスティーヴンの結婚式です。

彼らがロシア系の移民だというのはロシア正教の教会が出てくることでわかります。

 

これから結婚式なのになのに酒場に行ってすでに酒盛りです。

結婚式のあとのパーティーが盛大。

老若男女入り乱れて,ロシア的な音楽にダンス。コザックダンス

 

 

リンダ(メリル・ストリープ)はニックに気があります

2人が踊るのを見ているマイケル

 

そして花嫁がブーケを投げてリンダがキャッチします。

隣にいたニックが結婚するかと言います。ベトナムから戻ったらもう一度プロポーズすると言います。

その後,新郎新婦がワインをふたりでこぼさずに飲んだら幸せになるという儀式で2滴こぼれるところが映し出され,「幻日」とは違った未来を暗示します。

酔って素っ裸で走るマイケル,追いかけるニック

ニック「大切なものはここにある。俺の身に何があっても見捨てるな。誓ってくれ」

この言葉があとで大きな意味を持ってきます。

 

夜明けとともに鹿狩り

あんなにベロベロになるまで飲んで車運転できるの?と思いますが,映画の世界ですからそこはスルーします。

 

鹿狩りの時マイケルが着ていたオレンジ色のマウンテンパーカーがイイです。

これが欲しくて探して似たようなものを買いました。

だいぶ古くなり,あまり着る機会もなくなったんですが捨てられないだなぁ。

 

マイケルは1発で仕留めると言っていたとおりOne Shotで決めました

この時の鹿は麻酔銃で倒れたところを撮影されたようですが良く撮れていましたね。

「幻日」 の吉兆は鹿狩りのことだったのでしょうか

 

酒場に戻ってピアノ演奏を聴きながらみんなで無言でまたビール

ピアノの音に ヘリコプターの音が重なり,いきなりベトナムの映像

 

村が南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)兵士に襲われ,住民が隠れていた地下の防空壕に手榴弾を投げ入れる様子が映ります。

 

ベトナム戦争はもともとベトナム統一の主導権をめぐる南北ベトナムの勢力の対立です。

同じ民族同士の戦いですから内戦にあたるものです。

しかしインドシナの共産化を恐れたアメリカが介入し南を支援したことで,北ベトナムを支援するソ連,アメリカの代理戦争ともとらえられます。

主人公らはロシア系の移民ですから,おそらく味方からも白い目で見られて嫌がらせやハラスメントを受けたんでしょうねぇ。

だからそれを払拭するが如きベトコンに対するマイケルの孤軍奮闘なのでしょうか

 

そこにヘリからアメリカ兵が降りてきました。

なんとニックとスティーヴン。3人の極めて偶然の再会でしたが,あっという間に北の兵につかまり捕虜となります。

 

 

ここからの描写がこの映画の真骨頂

ロシアン・ルーレットが始まります。捕虜にとった兵にこのような仕打ちはジュネーブ条約に違反するのでしょうが,やっぱり戦争ですから何でもあり得るのでしょう。

 

ロシアン・ルーレット,6連発のリボルバー(回転式拳銃)に1発だけ弾を込めてを自分の側頭を撃ち抜きます。

弾が出る確率は1/6 (16.7%)で,この映画の中ではこれを交互に行ない,どちらかが死んだところでゲーム・オーバーです。

1回目は83.3%の確率で死なないわけです。でもこの場のロシアン・ルーレットはリボルバーを回転させずに,次の人が撃つので2回目に弾が発射される確率は1/5 (20%),3回目の確率は1/4(25%)と上がっていき,どちらかが死ぬまで行います。

恐ろしい。

 

 

でもマイケルは死ぬ確率を2分の1まで自ら上げて脱出に賭けました。

すごいよマイケル

 

何とか3人とも生き延びることができました。

1年後,病院にいたニックは怪我もなく退院しましたが,別人のようになって町中をさまよい,賭けとしてロシアン・ルーレットを行っている場に行き着きます。

 

マイケルは故郷に帰ります

スティーヴンはすでに帰国していましたが新婚だったはずなのに一緒に暮らしていません。

ほかの仲間は昔のように接してくれまた鹿狩りに出かけますが,One Shotで仕留められる位置で,あえて鹿を撃つことはしませんでした。

 

スティーヴンは戦傷者の病院に入っていて退院する気がありません

スティーヴンの元にサイゴンから金が届いていました。ニックからだと直感したマイケルはベトナムに戻り,ニックを探します。

この時のサイゴンは,北の軍勢が占拠してベトナムから出国したい人々で街は騒然。1975/04の頃の風景ですね。

ゴッドファーザーPARTⅡ(1974)のキューバからの脱出と同じ感じです。

 

ニックは狂ったようにロシアン・ルーレットをやっていました。

マイケルを見ても誰だかわかりません。

マイケルは大金を払い,ロシアン・ルーレットでニックと対決し,何とか思い出させようとします。

 

ここではリボルバーを毎回回転するので一回ごとに弾が出る確率は1/6(16.7%)です。

マイケルの番,"I Love You" と言って引き金を引きますが空胞。

そのあとニックの番。止めるマイケル,ニックの前腕の静脈には注射の痕。麻薬を打っていたのでしょう。

ニックはマイケルから鹿狩りのことを話され,思い出したようにほほえみながら "One Shot"と声を出し,引き金を引くと今度は銃弾が発射しました。

切なくてやりきれない気持ちになります。

 

失意の帰国,葬式。式のあといつもの酒場で食事

皆,無言

 

スクランブルエッグをつくりながらGod Bless Americaの合唱になります。

ニックに乾杯,そしてエンドクレジット

やっぱりアメリカが祖国でアメリカバンザイってことですかねぇ。

ちょっと腑に落ちない気もします。

 

 

ディア・ハンターとは鹿を狩る猟師の意味です。

主人公のマイケルはOne-shotで鹿を仕留めていましたが,ベトナム戦争からの帰国後,One Shotで鹿仕留められたのに,わざと外して発砲しました。狩猟者だった自分がベトナムで狩猟される側になったことで,鹿を自分らの立場に重ね合わせたのでしょうか。

 

スティーヴンは車いす生活を強いられ,精神的にも追い詰められ,ニックはメンタルが完全に崩壊し,自死に追いやられてしまいます。「何があっても見捨てるな」という約束を果たそうとしたマイケルの気持ちも痛々しいほどあふれ出ています。

戦争そのものを描くよりも戦争がもたらす肉体的,精神的トラウマを描いています。

 

捕虜になったときのロシアン・ルーレットの場面はすごいです。

ロバート・デ・ニーロもクリストファー・ウォーケンも渾身の演技です。

この場面での平手打ちは、100パーセント本物です。

ただし,この場面では,ベトナム人が悪質なサディストとして描かれ,人種差別的な感情があると批判されたことも事実です。

ロシアン・ルーレットのようなことがベトナム戦争で行われたかどうかも実際にはあいまいのようです。

この映画の影響で実際にロシアン・ルーレットを行い,死亡した人たちもいて法医学の論文にも報告されていました。

 

映画公開の翌年1979年のベルリン国際映画祭ではソビエト代表団は,ベトナム人を侮辱した映画だと憤りを表明し,他の共産主義諸国もこの映画の上映に抗議し,共産圏の多くの人が退席し,審査員の何人かも辞任しています。

 

アカデミー賞授賞式の会場近くではこの映画に対する反発のデモが行われました。

「戦争に反対するベトナム退役軍人」のデモ隊が,「人種差別にオスカーはなし」 や「ディア・ハンター: 血まみれの嘘」と書かれたプラカードを振りあげました。

脚本賞にノミネートされたデリック・ウォッシュバーンが会場入りのため乗っていたリムジンに石が投げつけられたようです。

ロバート・デ・ニーロはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされていましたが,このような抗議がくることを心配してアカデミー賞の授賞式には出席しなかったらしいです。

 

アカデミー賞作品賞,監督賞,助演男優賞(クリストファー・ウォーケン),音響賞,編集賞を受賞しました。

 

作品賞のプレゼンターは,デューク,ジョン・ウェインでした。

ジョン・ウェインは胃癌を患っていて公の場での最後の仕事がこのプレゼンターでした。

ウェインはグリーン・ベレー(1968)を監督し,ベトナム戦争に対するアメリカの介入を支持する立場にあった人です。

ディア・ハンターがアカデミー賞作品賞を受賞し,そのプレゼンターをつとめたのは皮肉なものです。授賞式のあと2ヶ月で亡くなっています。

 

この年は同じくベトナム戦争を題材にした帰郷(1978)もアカデミー賞候補になっており主演男優賞(ジョン・ヴォイド),主演女優賞(ジェーン・フォンダ)を受賞しています

 

アカデミー賞作曲賞にノミネートもされていませんが,この映画で何度か使われたスタンリー・マイヤーズの "Cavatina" という曲も哀愁の漂うきれいな曲ですね。ギターの音色が胸にしみてきます。演奏はジョン・ウイリアムスです。スター・ウォーズ(1976)などの作曲したジョン・ウィリアムズとは別人です。

 

 

AFIが選ぶアメリカ映画ベスト100(1998)で79位,同じくベスト100(2007)で53位,スリルを感じるベスト100(2001)で30位に選ばれました。

日本のスクリーン誌(近代映画社)の読者が選ぶ1980年(日本公開が1979年だったため)ベスト10では2位以下を大きく引き離して1位でした。ちなみに2位はビッグ・ウェンズデイでした。執筆者選出のベスト10は1位はギリシャ映画 旅芸人の記録,2位がイタリア映画 木靴の樹,3位にようやくディア・ハンターです。1位,2位の映画は芸術性の高い映画なんでしょうか。その後一度でも話題になったことがあるの?

 

 

この映画が計画されていた1970年代半ばは,ベトナムはまだ主要なハリウッドスタジオにとってタブーな題材でした。

最初に資金調達を手配したのはイギリスのEMIでした。ユニバーサルがかかわってくるのは,ずっと後の段階です。

 

 

1) マイケル・チミノ

アイビーリーグ,イェール大学卒業のです。絵画を専攻していました。

クリント・イーストウッド主演のダーティハリー2(1973)の脚本を手がけ(ジョン・ミリアスと共作),これまたクリント・イーストウッド主演のサンダーボルト(1974)で監督デビューしています。

ディア・ハンター後は天国の門(1980)の監督をしていますが,この映画が大コケ。4400万ドルの製作費に対して興行収入は1割にも満たないという大きな赤字を出してしまいました。20世紀の映画としては最大級の赤字作品です。

フットルース(1984)の監督として一時契約していましたが,映画撮影が始まろうとした時に予算追加して脚本を書き直すように頼んできたため,解雇されハーバート・ロスが監督しています。

フランシス・フォード・コッポラもワン・フロム・ザ・ハート(1982)で大きな赤字を出していますが,その後盛り返して監督を続けました。

チミノは復活できず,監督を辞めた後,フランスで小説家として成功を収めているようです。


 

2) ジョン・カザール

ボストン大学演劇学部卒業です。

ディアハンターの撮影時には肺癌であることがわかっており,保険に加入できないと判断されました。

ユニバーサルは交代を検討しましたが,ロバート・デ・ニーロが保険料を出しています。この当時はメリル・ストリープと交際しており,カザールが交代させられるなら自分もやめる覚悟だったと言っています。

この映画の完成直後,プレミア上映される前に亡くなりました。


カザールが出演した映画は,フランシス・フォード・コッポラアル・パチーノロバート・デ・ニーロのいずれかが関わっています。ゴッドファーザーPART IIでは3人がすべて関わっています。アル・パチーノとは若い頃,メッセンジャーをやっていることからの友達でした。

出演作,ゴッドファーザー(1972),カンバセーション盗聴(1974),ゴッドファーザー PART II(1974),狼たちの午後(1975),ディア・ハンター(1978)すべてがアカデミー賞にノミネートされ,そのうち3作が作品賞を受賞しています。