ABBA

 

さらば友よ(1968)とはワーテルロー(英語読みでウォータールー)つながりです。

 

 

 

My my, at Waterloo

Napoleon did surrender

Oh yeah

 

Waterlooの戦いでナポレオンは降伏した。Yeah!

という歌詞で始まる歌ですが,恋の戦いに負けたワタシ・・・ってかんじの内容です。

でもミュージックビデオの最初にはナポレオンの胸像が出ていますし,タイトルで中央,後ろ向きの人はナポレオンなのでしょう

英語の歌ですが,ABBAはスウェーデンの4人グループで名前の頭文字を並べものがABBAです。

 

この曲は1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝した時に歌った曲です。

ユーロビジョン・ソング・コンテストは欧州放送連合(EBU)加盟放送局によって毎年開催されている音楽コンテストです。

ぼくたちにはあまりなじみのないコンテストですが,有名どころの優勝者としては1988年にスイス代表で出場したセリーヌ・ディオンがいます。

 

"Waterloo" はヨーロッパ各国で大ヒットしており,アメリカでもBillboard Hot 100で1974/06,6位を記録しています。

日本では「恋のウォータールー」として発売されましたが日本の洋楽ヒットチャートAll Japan Pop 20では20位以内に入らなかったようです。

 

 

 

All Japan Pop 20には同じアルバムから落ち葉のメロディ(1974)が1974/12に6位になっていました。

最初はユーロビジョン・ソング・コンテストでもこちらを歌う予定だったという話も聞きます。

原題は "Hasta Manana" スペイン語で「また明日」という意味です。

アグネタの透き通った声が響く曲です。

ABBAの男性ふたりは,ビョルン&ベニー(Bjorn & Benny)というデュオでABBA結成以前から活動していました。

 

 

木枯しの少女(1972)で1972/03,All Japan Pop 20で1位になっています。

「木枯しの」という邦題がついていますが歌詞を見ても全く「木枯し」は関係なく,「彼女はボクのタイプの女の子で彼女なしではいられない,ナンタラカンタラ・・・・・・」

ちょっと恥ずかしくなるような内容の歌詞でした。

ヒットした時期も木枯しの吹く晩秋とは全く関係ない春でした。

原題は "She's My Kind Of Girl" です

 

ABBAは1982年に解散しましたが,1999年からABBAの曲で構成されたミュージカル「マンマ・ミーア!」がロンドンを皮切りに世界中で公演され,メリル・ストリープ主演のマンマ・ミーア!(2008)で映画化もされています。

ABBAのファンにはうれしい曲ばかりで興行収入も製作費の10倍以上稼ぎ出しており,ABBAの人気がよく分ります。

 

 

 

ABBAのたくさんのヒット曲の中でも一曲選ぶとすればやっぱりダンシング・クィーン(1976)でしょう。

Billboard Hot 100でも1977/04に1位になっています。

日本のAll Japan Pop 20では1977/06,2位が最高位でした。2位だったのか。

1位はベイシティローラーズの恋のゲーム(1977)でした。ベイシティローラーズの人気はすごかった。

 

ピアノのグリッサンドから始まるイントロから始まり,歌詞もメロディも明るくて,落ち込んでいてもこの歌を聴くと気分アゲアゲになってきます。20世紀の名曲のひとつでしょう。