ジャン・エルマン監督

 

戦争帰りの軍医と傭兵が金庫破りを企みますが,金庫は空,部屋に閉じこめられます。

最初はいがみ合っていたふたりですが,何とか脱出して真犯人を見つけるというお話

 

 

禁じられた遊び(1952)とはブリジット・フォッセー1)つながりです。

 

この映画,フランス映画です。

ですが,今回見た映像のタイトルは "Farellwe, Friend" になっており,セリフも英語でした。

フランス語版もあるようですが,公開時はどちらだったのでしょう。

ぼくは映画館で2度ほど見ていますが(名画座のようなところだったと思います)どちらだったか覚えていません。

 

軍医バラン役を演じたアラン・ドロンも吹き替えではなく英語でセリフを話しているようです。

 

 

 

フランソワ・ド・ルーベの曲の流れる中,船から迷彩色の軍服を着た兵隊の集団が下りてくるところから映画は始まります。

 

この中にプロップ(チャ-ルズ・ブロンソン)がいました。

アルジェリアでの戦争2) が終わったというテロップが流れましたがプロップはアメリカ人であり,給料をもらって戦争を職業としている軍人(傭兵)です。

 

バランは同じ軍医のモーツァルトを知らないかと声をかけてきた女に,「無断で流用していた債権をこっそり金庫に返してほしい」と頼まれ実行に移します。

しかし空だと言っていた金庫に200万フランの大金が入っていることが分り,そこにプロップが絡んできます。

200万フランは現在の価値に換算すると4億5000万円(ChatGPTの計算)に相当するようです。

 

二人はいがみ合いながらも苦労の末,金庫を開けますが,しかし中はからっぽ。

はめられたことに気付き,二人はなじりあい,殴り合いますが,警備員が見回りに来た時にドアのロックがかかり部屋に閉じこめられてしまいます。

 

何とか脱出を試みて壁を削ったプロップが電線に触れ感電しました

感電であれば熱傷以外に,筋肉の収縮やけいれん,呼吸困難,心停止が起こる可能性があります。軍医のバランが行なうべき行動は最初に意識の確認,呼吸の有無,心拍の有無であり,次に心臓マッサージでしょう。

倒れたプロップをわざわざうつぶせにして腰から胸を押していましたが,この処置の意味が分かりません。

 

電線が切れたためにエアコンが停止,暑くて裸になります

 

ふたりともいい体しているなぁ

 

バランがこの仕事を引き受けたのは同じ軍医で親友だったモーツァルトへの義理ってことでしょうね。

プロップに死んだヤツのために引き受けるなんて信じられないと揶揄されます。でもその通りですね。

 

通風孔に通じるように壁を壊し,何とか部屋から脱出

警備員が死んでいました。

ふたりは何とか逃げますが,強盗殺人事件として捜査が始まります。

 

二人が落ち合った場所は場外馬券売り場ですね。入り口にP.M.U.3) の文字がありました。

空腹でしょうからパンを食べるのはイイとしても飲み物は赤ワインかい

さすがフランス

二人が金庫破りに絡んでいたと分れば罪が重くなる,共犯なら10年はくらう。

二人は赤の他人同士を貫き通そう,そう誓い合いました。

ここでのプロップのセリフが "Farewell, Friend" でした

 

プロップは捕まりそうになったバランを助けるため自分が犠牲になります。

 

逃げおおせたバランは自分たちを陥れ,金庫の金を盗み警備員を殺害した犯人を見つけます。

金庫の番号が1861805でした。ここから1805/06/18という年月日が出てくるのか。

しかも1805/06/18がワーテルローの戦い4) の日なんてみんな知っているの?フランス人には常識?

落第を繰り返したアウステルリッツ4)だからあだ名がワーテルローなんてのも歴史に詳しくないと分らないよね。

日本人だって関ヶ原の戦いが何年だったなんて知らない人の方が多いでしょう。ましてや日付まで知っている人は皆無に近いよね。

 

 

まあそれは置いておいて最後までお互いを信じた二人が最後にすれ違って煙草に火をつける場面

しびれます。yeah!!

 

 

超イケメンのアラン・ドロン,醜男(ぶおとこ)と言われたチャールズ・ブロンソン

フランス映画ですし,この映画はアラン・ドロンの映画です。ドロンはプロップ役にはリチャード・ウィドマークを望んでいたようです。ブロンソンの初主演映画マシンガン・ケリー(1958)を見てブロンソンに決めたようです。

 

この映画はパラマウントがアメリカでの配給権を持っていましたが,公開は相当遅れたようです。理由はよくわかりません。

 

この映画,フランスをはじめヨーロッパでは大ヒットしています。

ブロンソンはそれまでも荒野の七人(1960)大脱走(1963)といった大作に出演していましたが脇役が多く,「さらば友よ」の後,とくにヨーロッパ映画で主役をとる映画が多くなりました。

「さらば友よ」の脚本を書いたセバスチャン・ジャプリゾが,いたくブロンソンを気に入り,ルネ・クレマン監督の雨の訪問者(1970)の主人公ははじめからブロンソンを念頭に脚本を書いたと言われています。

 

この映画の中でも "Yeah!"のセリフや表面張力を利用したコイン入れはとっても印象的でした。

日本でも人気抜群でMandomのCMに起用されました。

 

 

 

1)   ブリジット・フォッセー

禁じられた遊び(1952)のポーレット役が最大の当たり役でしょうね。乳歯が抜けて差歯しながらの演技だったようです。

ソフィー・マルソー主演のラ・ブーム(1980)シリーズに出演しています。

ニュー・シネマ・パラダイス(1988)にも出演しているらしいですがボクの見たバージョンでは確認できませんでした。

 

2)  アルジェリア戦争

第二次世界大戦後,各地で独立運動が起こり,フランスの植民地だったアルジェリアでも1954年,民族武装戦線がフランス軍と武装闘争を開始しました。

時のフランス大統領だったド=ゴールは反乱軍を鎮圧した後にアルジェリアの独立を承認しました。

ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したイタリア映画のアルジェの戦い(1966)に詳しく描かれているようですが機会があったら見てみたい映画です。

 

3)  P.M.U.

Pari Mutuel Urbain(パリ・ミュテュエル・ユルバン)の頭文字です。

Urbainは英語ではアーバン,市中という意味。すなわちPMUは場外馬券売り場のことです。

フランス中に1万軒ともいわれるP.M.U.は町のあちこちにあり,大抵はカフェであることが多いようです。

緑色の看板が貼ってあります。サッカーくじやタバコ屋との併設も多いようです。

 

4)   アウステルリッツの戦い,ワーテルローの戦い

ダヴィッドの「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」呼ばれる絵です。

皇后となるジョゼフィーヌにナポレオンが冠を授けている場面です。
 

1804/12,フランス皇帝としてナポレオンの戴冠式が行なわれました(パリのノートルダム大聖堂)。

1805/10,イギリス海軍とのトラファルガーの海戦では完敗していますが,続くアウステルリッツの戦いではオーストリア・ロシア連合軍に勝利しています。この勝利を記念して建築が始まったのが凱旋門です。

しかし,ロシア遠征に失敗し,ナポレオンは失脚しエルバ島に流されます。

その後,エルバ島を脱出して再起,しかし1815/06,ワーテルローの戦いでイギリス・プロイセンなどの連合軍と戦い敗れます。ナポレオンはセントヘレナ島に流され,1821/05/05,死亡します。死因:ヒ素毒殺説,胃癌説