日本国は子どもたちに○○○になってほしい 〜日本の科学教育がイマイチな理由〜  | 西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

鍼灸師、保育士、JAPAN MENSA(メンサ)会員/IQ149(WAIS-Ⅲ)、日本抗加齢医学会指導士、実用イタリア語検定3級。趣味は読書、芸術鑑賞、小説執筆(2019年神戸新聞文芸年間賞受賞)、スイーツめぐり、香水づくり。

朝日新聞の記事から

科学への関心、米中韓より低く 4カ国の高校生を調査
 日本の高校生は、米国、中国、韓国の高校生と比べて自然や科学への興味や関心が少ない。そんな実態が、国立青少年教育振興機構が実施した意識調査でわかった。調査を担当した明石要一・千葉大名誉教授は、「科学への関心を高める『調べ学習』や『実験的学習』が日本では少なく、これらを踏まえた指導が求められる」と指摘する。
 調査は昨年9~12月、4カ国の高校1~3年生にアンケート形式で実施。6453人から回答を得た。今月6日に発表した。
 自然や科学への興味や関心について四択で聞くと、「とてもある」「ある」と答えたのは、日本の59・5%に対し、中国79・3%、米国63・6%、韓国63・1%。男女別では日本の女子が50・5%と最も低く、最多だった中国男子の84・6%と大きく差が付いた。
(高浜行人 2014年8月19日15時50分)

他国との比較はさておくとして、
どうして、日本の学校教育、なかんずく義務教育における、自然科学系の科目ーー要するに

算数、数学、理科

の学習内容、カリキュラムがイマイチなのか?
記事中にある、自然の原理や法則の探究心を育てる「調べ学習」や「実験的学習」が足りないのはなぜか?

長いこと考えてきましたが、最近、思うことがあります。

平成18年に改正された教育基本法の第5条第2項には

義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。

と記載されています。
しかし、「国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質」とは何か、定義されていません。

日本の義務教育は、未来の日本国民となる子どもたちが

公務員

になれるようーー
もっと言えば、公務員試験の教養試験がそこそこ解ける程度の人材にはなってほしいという期待をもっているのではないか?

公務員試験では、考える力は求められません。
考えさせるといっても知能試験的な思考問題(数的推理など)で、
町の本屋に行けばそういう問題を解く裏技集みたいな参考書がたくさん売られています。
要するに、解法パターンを知っているかどうか、クイズを解く反射神経(瞬発力)を磨けるかどうかが勝負です。

それに、特に行政職では、複数分野の専門家のコーディネータや、
ステークスホルダー(利害関係を有するひとたち)の調整役になることが求められるため、
いろんな分野について一通りの知識を備えたゼネラリストにならないといけません。

国際社会に対するメンツもあります。
一昔前、中国の高級官僚がシェイクスピアの戯曲も読まないと物議を醸したことがありました。
(もっとも、日本でも漢字の読めない政治家や日本国憲法の条文もロクに理解していない政治家が首相になっていますが)
日本の公務員が、いわゆるニッポンのイッパンジョーシキを知らないのは、日本の恥です。

「全部は読んでいませんが、『源氏物語』は日本文学を代表する作品の一つであることは心得ております」
「市場の失敗には自然独占、外部性、情報の非対称性の3つがあることは知っています。だから何だと思わないこともないですが」
「原子が原子核と電子から成り立っている程度の知識は持ち合わせています。クオークは知らない」
「無理数を有理化する方法を知っています。実生活で3/(√5ー√2)なんて見たことないですが」

と言えるひとを求めているのです。
5教科--副教科も入れると9教科-
-まんべんなく勉強させる理由は、こういうところにあるのではないかと思います。

そして、日本国憲法 第15条第2項にあるように

すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

全体の善悪や真偽を自分の頭を使って「判断」「吟味」する能力は必要ではありません。
それよりも全体(国家/国民全体)に「奉仕」できる能力ーー決められた
法やルールを遵守し運用する能力ーーが必要です。

ここで海外の教育事情と比較したいのですが、
「世界で最も住みやすい国」「幸福度世界一の国」と言われるデンマークの教育目標は

「幸せな子どもとなり、自立した大人になる」
「納税義務を果たせる
大人になる

だそうです。

権威からの「ありがたいお言葉」を細大もらさず暗記するのではなく、自分で物事を考え、判断し、それに対して責任をもつ。
社会問題の解決は「お上」に任せない。自分たちで議論して解決策を見つけていく。

自然科学の学習で大事なことは正解を導くことではなく、

問題設定→仮説→実験→データ収集→考察→結論

のサイクルを自分で作れる科学的思考力をつけることなのです。
これは、問題解決の方法そのものです。

たとえば、惑星運動の説明が地動説だろうと天動説だろうと、日常生活レベルでは差がありません。
どちらでもいいことです。
太陽が地球の周りを回ったところで、困りません。

それなのに、それではどうして地動説が生まれたのか? 天動説だと説明のつかない自然現象は? 
これを手間ひまかけて調べ、考え、それでも分からなければ分からないと正直に言える人間を育てることが、科学教育の目標であるべきだと思います。

【後記】
「なぜ日本の科学教育はお粗末なのか?」
「なぜ旧日本軍は各自で飯盒を持っていたのか?」
「なぜ天皇制は残り続けているのか?」
「なぜ日本の戦後民主主義は戦後で終わってしまったのか?」
「なぜ少子高齢化問題が深刻になってしまっているのか?」

ーーこれらの問いはある一点で互いにつながっていることもいつかは書いてみたいですが、十分に考えが練れていません。
ただ、いつかは答えなければいけないと考えていますーー小説という形式で。