一休み(3) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

 

 

 

 

 

 

「死ね!」

 

 

 

 

 

私は半ば叫ぶように、

次男に向かって

こう言い放っていた。

 

 

 

 

昨年、秋のこと。

土曜日の昼下がり。

 

次男の習いごとの

帰り道。

 

地元のドラッグストアの

駐車場でのこと。

 

 


 

このお店は、店舗の外に

段ボールを回収してくれる

カゴ台車が設置してある。

 

 

調べてみたところ。

 

ロールボックスパレット

というらしいのだが。

 

まあ、別に名称は

何でもいい。

 

 

 

そのロール某に

回収してもらうべく、

 

出かける前に

車に段ボールを

積んであった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ。段ボール

出しといてくれん?」

 

 

 

 


 

店内へ買い物に行く間、

車内で待つという次男に

こうお願いすると。

 

 

 

 

 

 

「や」

 

 

 

 

 

こちらを

見もしないで言う。

 

 

 

 

 

この瞬間、

爆発した。

 

あるいは。

 

何かが、

プツンと切れた。

 

 

 

 

 

父が入院してから数か月。

 

まるで負の貯金のように、

少しずつ、少しずつ

でも、容赦なく確実に、

 

私の心と体に蓄積されていった

疲労や鬱憤、不安や恐怖。

 

 

ずっと纏わりついたまま

離れなかった

孤独感とプレッシャー。

 

 

 

 

加えて。

 

子供たちの生活を守るという

親としての役割。

 

 

 

 

 

 

「代わりにお願い」

 

 

 

 

 

 

父に関することも。

子供たちのことも。

 

私には、この一言を託せる人が、

身近に誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

なんて酷いことを

言ってしまったんだろう...

 

 

 

 

 

 

もう遅い。

後の祭り。

 

 

 

 

 

いつもなら。

こんなとき。

 

負けじと、私を遥かに上回る

悪態をついてくるはずの次男が。

 

 

この時は、

下を向いたまま、

ただ黙っていた。

 

 

だからこそ、余計に

居たたまれなくなった。

 

 

 

今、思い出しても

涙が出る。

 

 

 

 

 

 

たとえ

何があろうとも。

 

あれだけは

断じて。

 

親が子供に言っては

いけない言葉だ。

 

 

でも。

私は発したのだ。

 

 

一度、口から飛び出した言葉は、

放たれた矢と同じ。

 

取返しはつかない。

 

なかったことになど、

できるはずもない。

 

 

そして。

 

放った後には、

結局。

 

ブーメランのように、

我が身へと戻ってくる。

 

 

事実。

 

あの言葉を発した直後、

強烈な罪悪感に襲われた。

 

まるで、鉛でも

飲み込んだかのような。

 

 

挙句。

 

飲み込んだ鉛は、

体の全方向へ

重くじわじわと

広がっていった。

 

 

 

失態だの後悔だの、

あるいは恥だのという

言葉などでは生ぬるい。

 

 

 

 

その場で、

すぐに次男に謝った。

 

 

帰宅後も度々

謝っていると、

 

 

 

 

 

 

「しつこい」

 

 

 

 

 

 

こう叱られた。

 

 

 

 

 

私は自分が

許せなかった。

 

これが何よりも辛い。

 

自分で自分を

許せないというのは、

地獄の沙汰ではないだろうか。

 

 

 

 

 

今、私の隣で、お昼ご飯を

食べている次男に、

 

あの時のことを

覚えているかどうか

訊いてみたところ。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。うん」

 

「あの時は、ごめんね」

 

「今、母ちゃんに言われるまで

忘れとったわ」

 

「本当に悪かったね」

 

「誰でも、口滑るときあるから」

 

 

 

 

 

 

フライパンから直接

炒飯を頬張りながら、

こう答えてくれた。

 

 

 

 

次男よ。

本当に申し訳ない。

 

そして。

かたじけない。

 

痛み入ります。

 

誠に、誠に。

 

 

 

 

 

私は。

あの日、あの時。

 

自分の口から飛び出した言葉に、

自分でも驚き、唖然とした。

 

 

 

 

まさか。

 

あんなことを

口走るなんて。

 

 

 

 

でも、その後。

 

しばらくしてから、

こうも思った。

 

 

 

 

 

 

所詮。

 

親としての私など

こんなもの。

 

人として肉体をまとって

生きている以上、

これが私の本性なのだと。

 

 

 

 

人間。

 

生きていれば

色々ある。

 

 

だって。

 

生きていかなければ

ならないから。

 

 

毎日毎日。

365日。

 

雨風雪、夏には

刺すようなお日様の光を

凌げる屋根の下。

 

暖かくしながら、

涼しくしながら、

 

きちんとご飯を食べられる生活を

維持するだけでも大変だ。

 

 

増してや。

 

自分以外の家族や誰かを

支える生活ならば

尚更のこと。

 

 

 

 

 

 

 

今回の一件を通して、

改めてよく分かった。

 

 

私は人間なのだ。

 

 

だから。

 

生活していれば、

必ず疲れる。

 

どう足掻こうが、

この事実からは

逃れられない。

 

生きている証とも

言えるだろう。

 

これが、肉体という器に

住まわっている存在の宿命なのだ。

 

 

 

そして、人間。

 

疲れ果てれば、

道理もへったくれも

なくなる。

 

 

たとえ。

 

自分が親であろうが。

相手がハニーであろうが。

我が子であろうが。

 

 

 

少なくても、

私の場合はそうだった。

 

 

 

かくなる上は、

潔く認めなければなるまい。

 

 

 

 

人の親になって、

今年で二十数年になるが。

 

 

親としての私とは。

 

肉体を宿主として生きている、

血迷った未熟な何者かに過ぎない。

 

ただ、それだけだった。

 

 

まあ。

 

自分自身の発言によって露呈し、

証明されたのだから仕方がない。

 

 

 

 

 

 

せいぜいのところ。

 

子供たちより数十年前に

この世に生まれてきた分、

 

経験値だけは、私の方が

上回るというだけのこと。

 

実にシンプルだ。

 

 

 

 

しかし、もう。

 

それすらも

当てにならない。

 

 

だって、今では。

 

日々、成長していく子供たちから、

私が教わることの方が圧倒的に多い。

 

 

子供たちと私。

 

一体、どちらの方が

親らしいんだろう。

 

甚だ疑問だ。

 

 

 

 

 

 

今一度。

 

肝に銘じて

おかなければならない。

 

 

私は人間だ。

 

 

ぜんまい仕掛けでも、

ロボットでもない。

 

 

だから、

どうしたって。

 

疲れを覚える

生き物なのだ。

 

そして、そんな時は、

きちんと休むことこそが仕事。

 

 

 

自分のためにも。

周りのためにも。

 

 

 

 

生きていれば、

時として。

 

自分では、どうしようも

ないことがある。

 

 

そこに。

 

人間としての情が絡めば、

文字通り絡めとられる。

 

 

否も応もなく、

取り込まれ、巻き込まれ、

 

どこかにあるはずの

答えを懸命に探す。


まるで迷路を

彷徨うように。

 

 

 

 

 

出口はある。

 

どこかにある。

必ずある。

 

 

だからこそ。

 

そこに辿り着く前に

こと切れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

あわてない

あわてない

 

ひとやすみ

ひとやすみ

 

 

 

 

 

 

子供の頃に観ていた

アニメの一休さん。

 

あの頃。

 

テレビを通して、

日々耳にしていた

一休さんの台詞。

 

 

何気なく聞いていた

あの言葉が、

 

この年になって、

ふと浮かんでは

有難く胸に響く。

 

 

 

 

 

 

絶え間なく続く今、

この瞬間、この瞬間は、

 

求めている場所へと

繋がっているに違いない。

 

 

 

 

そう信じるならば。

 

 

 

 

 

 

あわてない

あわてない

 

ひとやすみ

ひとやすみ

 

 

 

 

 

出口はある。

きっとある。

必ず辿り着ける。

 

 

 

だから。

休め休め休め。

 

 

 

勇気を持って。

堂々と。

 

 

 

 

そして。

 

心も体も十分に

休息を得られたら。

 

 

いつの日か。

 

あの時の自分を

許してあげたい。

 

 

 

それも、きっと。

 

私の大切な

仕事だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

今なら分かる。

 

あの時、私が死んで

欲しかったのは。

 

 

 

もちろん、

次男ではない。

 

 

 

私が死ねと

叫んだ相手。

 

それは。

 

自分が置かれていた

状況だった。

 

 

先々への不安や恐怖。

儘ならない現実。

 

そんな中であっても、

容赦なく繰り返される

日常生活。

 

こちらの都合など、

常にお構いなしで

待ったなし。

 

 

ひとりきりだと

感じる心細さ。

 

気負い、

プレッシャー。

 

 

 

許されるのなら。

 

あの時の私は、

何もかも放り出して

逃げ出したかった。

 

 

 

でも。

できなかった。

 

 

 

自分の本音。

 

それと対立する

責任と義務。

 

そこから生じる

葛藤、苛立ち。

 

 

こういった諸々によって、

日々まるで雪のように

しんしんと音もなく

静かに積み重なっていった

心と体の疲労。

 

 

 

そりゃあ。

 

私が死んで欲しいと

願ったのも無理はない。

 

休みが欲しいと

願うのも。

 

 

 

 

 

 

ああ。

 

温泉にでも行って

のんびりしたい。

 

北投温泉、

きっといいところ

なんだろうな...

 

 

 

ああ。

 

休みたい。

休みたい。

 

 

 

こんなことばかりを

考えていたからだろうか。

 

 

 

 

先の5月末。

 

是が非でも

休まなければならない

状況に陥った。

 

 

 

 

コロナだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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