走れエロス
エロスは涙した
この世に生きる
多くの人が
泣いている
姿を見て
その肌を
抱えながら
大人になって
ひとりになって
自由になって
人恋しくて
寂しくて
選んでもらう
選んであげる
差し出す
差し出される
ああ 君の肌は
ゲームではない
時が止まったかと
紛うほどの
ときめきを
その肌に
その心に
刻んで
欲しくて
喜びに震えて
欲しくて
神が宿っている
その肌の
隅々にまで
泣くな エロス
泣くな エロス
人は皆
愛を求めて生きている
泣くな エロス
泣くな エロス
いつか皆
あなたに気がつく
エロスは贈った
この世に生まれる
すべての人に
愛と呼ばれる波を
その髪先
指先にまで
大好きな人と
手を繋ぐとき
うなだれる肩に
手を置かれるとき
愛する人の唇に
唇を重ねるとき
誰かの背中に
顔をうずめて泣くとき
世界を満たす
愛とぬくもりを
その肌で
その心で
感じられるようにと
見つけられるようにと
神の息吹を
その肌の
隅々にまで
泳げ エロス
泳げ エロス
見渡す限りの
誤解の海を
泳げ エロス
泳げ エロス
ひとり残らず
抱きとめるんだ
エロスは伝える
この世界の
すべての街の片隅で
その肌を抱いて
泣いている あなたに
その頬に触れられ
時が止まった あなたに
その髪に触れられ
慰められている あなたに
自らの鼓動を分け与えた
愛しいあなたに
その肌が
覚えているはずの愛を
何度でも
何度でも
その肌に
相応しい愛を
いつまでも
いつまでも
決して諦めはしない
走れ エロス
走れ エロス
風のように
間に合うように
走れ エロス
走れ エロス
照らしながら
太陽のように
走れ エロス
走れ エロス
愛は無償ではないと
あなたから受け継いだ
その肌で感じている
子供たちのために
走れ エロス
走れ エロス
愛には
対価があるものと
信じることで
生き抜いてきた
大人たちのために
走れ エロス
走れ エロス
愛は駆け引きだと
教わってきた
この世のすべての
大きな子供たちのために
【注釈】
もう随分前のこと。
ある日、中島敦のことを
ネットで検索していたら、
どういうわけか、ふと太宰治の
「走れメロス」が脳裏に浮かびました。
その後、一体どこから
エロスが湧いて出たのか、
自分でも分からないのですが。
同じタイトルで、最初は
物語の体で書き始めました。
出だしは、
″エロスは激怒した。”
王妃が不貞を働いたと主張し、
身近な人たちや関係者を皆殺しにしている
王がいると聞きつけた神エロスが、
宮殿に乗り込んで王に物申し、
その後、対峙するという、
不貞の部分以外は、国語の教科書で
読んだままの設定だったのですが。
どうにも進まず、
そのまま放置してありました。
数年後「神経」という
言葉の語源を調べていた際、
どこからか、どういうわけか
エロスがカムバック。
「神経」とは、杉田玄白らが
『解体新書』を訳す際、
中国語の「神気経脈」を参考に、
その意味を簡略化して作った言葉で、
「神気」は精神力や気力を
「経脈」は気の流れを示す道筋を表し、
このふたつを
合わせたものだそう。
人の体には、隅々にまで
神経が通っている。
ちょっとした指先の
ささくれが痛むし、
肌を撫でるわずかな
風を感じることもできる。
つまり、末端細部にまで
「神」が「経」ているというわけか。
ということは、人はその体に、
神を宿しているということに
なるのでは。
エロスは神。
だからきっと、
エロスも私たちの中にいる。
ギリシャ神話の愛の神が
私たちの体の中にいるとしたら。
なんてロマンティックなんだろう。
だって、人は愛と共に生まれ、
愛と共に生きているということだから。
たとえ、そのことに
気づいていようが、いまいが。
「エロスがこんな神様だったらいいな」
こう期待し、想像しながら
書いた詩です。


