葬儀の日の夜は、タクシーに乗って
みんなで饒河街観光夜市に行った。
MRTの松山駅が開通する前のことで、
その頃は、ちょうど工事中だった。
私は杏仁茶が好きで、
台湾に滞在中、見かけると
よく買っていたのだが、
確かこの夜市でも、
杏仁茶のお店を見つけると
素通りできずに手が伸びた。
子供たちは、熱心に
おもちゃを眺めていたような。
夜市を見て回った後は、
レストラン『京鼎樓』へ。
小籠包や炒飯、餃子などがあるから
小さな子供がいても困らない。
「美味しいねー」
「ほんとやねー」
子供も大人も、同じお皿から
お料理をいただきつつ
みんなでこう言い合えるのが、
円卓を囲む醍醐味じゃないだろうか。
朝、骸骨の夢で目を覚まし、
師匠の葬儀では散々面を食らわされ、
果てには抗議までした午前中を思えば、
なんと穏やかな夜だろう。
「この炒飯、美味しいね」
どういうわけか、この夜、
母がこう言っていたことを
今でもよく覚えている。
母が大皿から
炒飯をよそうところも。
自分でも不思議なのだが、
京鼎樓での食事のことは、
母のこの言葉と姿以外に、
ほぼ何も記憶に残っていない。
他に覚えているのは、会計の時に
割引クーポンを使ったことくらい。
母は、師匠が亡くなった
ちょうど1年半後に亡くなった。
月命日も亡くなった曜日も
先生と同じだった。
「お母さんには、私がついているから」
あのおっさんが、長患いをしていた
母の手を取ってくれて、
「お義母さん、こっちだよ。
一緒に行こう」
きっとこう言って、母が迷わないように
あちらの世界まで案内してくれたのだと、
私は信じたい。
今頃、ふたりとも
どうしているだろう。
ちゃんと会いたい人に
会えただろうか。
ちゃんと行くべきところに
行けただろうか。
このふたり。
たまに、それぞれ
私の夢に出てきてくれるのだが。
まあ、母はともかく。
この間、夢に現れた師匠は
上半身裸で、何かをまくし立てていた。
このおっさん。
亡くなった後も、
やっぱりエイリアンだった。
京鼎樓を出た後、
ホテルに戻るまでの道すがら
歩いた台北の街は、
大通りの両側を埋め尽くすお店の
色とりどりの華やかなネオンが
とても綺麗だった。
でも、その分、
私の目には切なく映った。
きらきらした光の束と
自分の気持ちをつい比べてしまう。
なんだか場違いなところに
迷い込んだような。
賑やかな世界に居合わせながらも、
ぽつんと取り残されているような。
そんな気がした。


