先日。
次男、娘と連れ立って
お風呂に行った。
今回は地元の総湯や、
町のお風呂屋さんではなく、
ホテルの大浴場だ。
子供たちの同級生の
お母さんの伝手で
予約してもらったプランで、
ホテルでランチブッフェを
楽しんだ後、
そのホテルの大浴場にも
入れるという。
何それ。
極楽?
もちろん。
当日の朝は、ブッフェに
備えて控えめに。
コーヒーと黒砂糖の
塊を数個のみ。
私にしてみたら、
鳥の餌以下の量よ。
そして、本番。
一巡目で、早々と好みの
料理を探り当て。
二巡目以降は、その辺りを
メインにプレートオン。
デザートに至っては、
ケーキからプリン、フルーツや
アイスクリームに至るまで、
ほぼ全品を制覇。
最後は、香り高い
アップルティーで
締めくくり。
ああ。
お腹いっぱい。
朝の備えよ。
鳥の餌が
活きた昼よ。
この後、子供たちと
大浴場へ移動。
ホテルならではの
ゴージャスなアメニティが
揃った、優雅なお風呂を満喫。
ああ。
命の洗濯よ。
露天風呂よ。
非日常よ。
どうもありがとう。
大切に思う人たちと、
同じテーブルを囲んで
ご飯を食べられること。
一緒にお風呂に
入れること。
「おいしいね」
「いい気持ちやね」
こう言葉を
交わせること。
そんな間柄で
いられること。
たまに。
うちの外で過ごす
こんな時間が、
大事なことを
改めて気づかせてくれる。
ところで。
この大浴場。
履物は、入り口にあつらえてある
横に長い下足箱に入れるように
なっていたのだが。
帰り際。
娘のブーツが
見当たらない。
確か。
私の靴の隣に
置いたはずなのだが...
ふと。
私に背を向けた
格好で腰を下ろし、
履物に足を入れている
女性に目をやると。
なにやら、
見覚えがあるような...
そのはずだ。
その女性が足を入れようと
悪戦苦闘していたのは、
娘のブーツだった。
ご自分の履物よりも
サイズが小さいのだろう。
何とか足を入れようと
奮闘しているご様子だった。
「すみません」
こうお声がけすると。
お連れの女性の方が
気が付いた。
「ああ。どうもすみません。
ごめんなさい」
当の女性の方は
私の言葉に反応を示さず、
娘のブーツを手にしたまま、
なおも履こうと頑張っておられる。
その瞬間。
なんとなくだが。
大まかな事情が
呑み込めたような気がした。
「いえいえ。
私だって間違えることが
ありますから」
うん。
これは事実だ。
しかも。
私の場合は、
履物に限らない。
「あら、本当にごめんなさいね。
どこから来たの?」
こんなことをお話になりながら、
私たちとコミュニケーションを取り、
場を和ませようとしてくださる。
お詫びしてくださった
この女性。
お見受けしたところ、
ご年齢は70代から80代
くらいだったような。
傍らには、
杖をお持ちだった。
娘のブーツをご愛用
いただいた方の女性は、
もう少しお若く見えた。
お二人の間柄は、
私には知る由もないが。
いくつになっても。
一緒にお風呂に行こうと
誘い合える仲なのだろう。
私の父は、桜の頃
81歳になる。
昨年病気をして、
今では言語障害がある。
「ああ。どうもすみません。
ごめんなさい」
父と同行する中で、
私も度々こう口にしてきた。
娘は。
人様が自分のブーツを
履こうとしていた事実に、
とても驚き、面食らっていた。
無理もない。
まだ13歳だ。
私だって、娘の年齢だったら
同じような反応を示しただろう。
そんな娘を
見ているうちに。
子供叱るな 来た道じゃ
年寄り笑うな 行く道じゃ
ふと。
若い頃にどこかで聞いた、
こんな言葉が浮かんできた。
その瞬間。
なんだか。
合点がいった
ような気がした。
半世紀近くも
この世で生きていると。
段々と
分かってくる。
日々の生活の中で。
否が応でも。
この言葉の意味する
ところが。
肌で。
心で。
それこそ。
字面以上の立体で
迫ってくる。
そして移ろう。
あの日。
あのお風呂場で。
誰かを叱るのも。
誰かを笑うのも。
的外れだった
ことだろう。
のどかな土曜日の
昼下がり。
かけがえのない
人たちと。
美味しいランチ。
大きなお風呂。
なんとも
粋な休日だった。
すでに素敵な
思い出だ。
その後。
娘は、ちゃんと自分の
ブーツを履いて帰宅した。
あれよあれよと、
すべてまんまる。
従って。
極楽の〆には、
バカボンのパパに
お出まし願いましょう。
これでいいのだ。