ドクターに促され
ICUから出た後、
同じフロアの待合スペースに
置かれたソファに座り、
只々、先生を待ちながら
呆けていた。
この時は、もう。
何も考えられず。
何も心に浮かばず。
そこへ。
見慣れた人が
通りかかった。
ICUの看護師長
李さんだった。
いつ何時でも押しかける
迷惑極まりない私に
根負けして、
面会時間外でも
師匠に面会できるように
取り計らってくれた人だ。
彼女からの視線を感じ、
そちらへと私が顔を向けた
その瞬間。
李さんは、ハッとしたような
強張ったような表情を見せ、
私と目が合う直前に
視線を逸らし、
ICUの方へと歩いて行った。
李さんは、きっと。
何があったのかを
瞬時に察したに違いない。
あの時も今も。
私には、彼女の気持ちが
分かるように思う。
一体、こんな時。
私のような立場の人間に、
どう向き合ったらいいだろう。
私には、今も
分からない。
親しい人なら、傍らから
肩を抱くだろうか。
愛する人なら、正面から
抱きしめるだろうか。
まるで。
あの頃の自分を
目の当たりにするようで。
私には、その人の目を
見据える胆力もなければ。
きっと。
どんな「正しい」
言葉も出てこない。
でも。
それでいいような
気がしている。
時に言葉が無力な
こともある。
ぬくもりの方が
雄弁なことも。
それに。
あらゆる場面において、
言葉が万能でなければ
ならない理由はないとも思う。
発する方も。
発せられる方も。
日々、生きていく中で。
時には言葉から
解放される機会が
あってもいい。
しばらくすると、ICUから
ストレッチャーが出てきた。
上からシーツが
被せられている。
ストレッチャーが
私の目の前を通り過ぎる際、
見覚えのあるスニーカーが
ちらりと見えた。
あれは、
師匠のものだ。
体から、すべての機械や
器具を取り外した後、
先生が病院に搬送された時に
身に着けていたものへと
着替えさせたのだろう。
誰かが亡くなった際には、
そうするのが台湾の風習だと
義姉から聞いていたが、
どうやら、その通りらしい。
ああ。
先生は物になったんだな...
反射的に、
こう思った。
ほんの少し前まで、
私の師匠だった人が。
夫だった人が。
子供たちの
父親だった人が。
ある瞬間を境に、
「物」へと変わる。
これが。
人が死ぬと
いうことか。
あるいは。
死なれると
いうことか。
当時、30代最後の
年齢だった私にとって、
身近な人の死を経験するのは、
これが初めてではなかった。
それまでに、二人の祖父、
父方の祖母を亡くしてきたし、
叔父も一人
亡くなっていた。
死に顔を見て、
棺に献花し。
火葬に立ち会い、
骨を拾った。
そうした儀式を経て、
その都度、身近な人たちの
死を受け入れてきた。
長い間、私はずっと
こう思っていた。
でも。
それは
大間違いだった。
壮大な勘違いとも
言える。
実のところ。
私は何も分かって
いなかったのだ。
この人だけは
心からこう願う、
かけがえのない人を
亡くすことで、ようやく。
人は本気で死と向き合うことに
なるのだということを。
真正面から。
待ったなしで。
否が応でも。
少なくとも、
私はそうだった。
私もいつか死ぬ。
絶対的な人の死が、
私にそう教えてくれた。
師匠を亡くした後
しばらくは、
もうどうなっても
いいと思っていた。
それこそ。
毎日飲んだくれて、終いに
死んでしまえばいいと。
でも、それは
本心ではなかった。
願望ではあったが。
私には、
子供たちがいる。
5歳。
7歳。
13歳。
当時、それぞれ。
保育園の年中。
小1。
中2。
パパが死んじゃって
何もかもが嫌になったから、
母ちゃんはもう、
しこまた酒でも
かっくらって死にまーす。
後のことは、
各自でよろしくー。
子供たちは、みんな。
私がこう言い放った後、
うっちゃっておくことは
できない年齢だった。
ましてや。
子供たちは、夫と私の
子供たちであると同時に、
亡くなった師匠のお子さんたち
という見方もある。
「酒に飲まれちゃったんで、
もう知りません」
こんな不義理が、
許されるはずもない。
まあ、実際。
浴びるほど飲み散らかした挙句、
死んでしまえる程の量の酒を
買う余裕もなかったが。
どうやら、人生には。
自暴自棄に浸ることすら
贅沢という状況もあるらしい。
でも。
今から思えば、
それで良かったのだろう。
そのお陰で、今この瞬間を
生かされているわけだから。
ただ。
絶対的な人の死は、
私に後遺症をもたらした。
何をどう頑張って
みたところで。
たとえ何を残して
みたところで。
どうせ、早かれ遅かれ
死ぬんだから。
何かに一生懸命
打ち込むなんて。
結局、無駄。
この一連の記事を
書き始める辺りまで、
ずっと。
こんな思念が、
私の頭と心の中で
渦巻いていた。
もしかしたら。
こうやって書き続けていくことは、
無駄なのかもしれない。
誰の何の役にも
立たないのかもしれない。
まあ。
それでもいい。
今の私は、
こう思っている。
この世のすべてが
無常であるのなら。
精一杯に書く方の無常を
取ろうと決めたのだから。
悔いはない。
師匠が亡くなったことを
ある人に伝えた時。
これから、私の人生の
第二章が始まる云々....
確か。
チャットで、こんなようなことを
書いて送ったような記憶がある。
相手に気を遣わせてはいけないと
考えた上での文章ではあったが。
それでも。
今振り返ってみると、
なんだか。
気恥ずかしいわね。
まあ、確かに。
私の人生は、
師匠を亡くす前と後で、
大きく線引きができるだろう。
先生を亡くす前までが
第一章。
その後の人生が
第二章。
ずっと、
こう思ってきた。
が。
どうも。
近年、そうではない
ような気がしている。
私の人生に、第二章が
あるとすれば。
それは、私が一連の
記事を書き上げた後、
始まるんじゃないかと。
つまり。
今はまだ、
インターバル。
第一章と
第二章の間。
随分と長いインターバルで、
自分でも呆れるが。
このシリーズを書く時は、
他の記事を書く時よりも
エネルギーの消耗が激しい。
疲れている時には、
まず書けない。
様々な所用や事情で、
思うように進まない
こともあれば。
さあ書こうと
意気込んでみても。
画面に打ち込んだ文字が、
どうあがいても
味気なく、白々しい、
ただの字面の集合体にしか見えず、
断念する日もある。
だから、
焦りが募る。
でも、
仕方がない。
私の人生の
インターバルは。
どうやら。
あっちにぶつかり。
こっちで行き詰まり。
寄り道やら
遠回りが出揃った、
なかなか手強い
幕間らしい。
と、まあ。
ぐだぐだ書いたが。
早い話。
私は恐ろしく
不器用なのだ。
でも。
懲りず。
腐らず。
諦めず。
書き続けよう。
自分のために。
きっと。
第二章が出番を
待っている。